第27話 長刀の絶技と届き始める噂
城塞都市の喧騒から遠く離れた、切り立った岩山が連なる「風鳴りの峰」。
そこは常に強風が吹き荒れ、飛行能力を持たない魔物や人間にとっては歩くことすら困難な険しい地形だった。この一帯を縄張りとしているのは、刃のように鋭い鋼鉄の羽を持つ「刃羽の怪鳥」の群れである。
上空から音もなく滑空し、その鋭い羽と鉤爪で獲物を切り刻む。動きの鈍い前衛職では攻撃を当てることすら難しく、後衛の魔術師は詠唱の隙を突かれて空から首を刈り取られる。中級以上の冒険者パーティーでも、余程の弓使いや風の魔術師がいない限りは決して手を出さない厄介な討伐対象だった。
強風が吹きすさぶ岩山の頂上付近に、ヴァンとセリアの姿があった。
ヴァンの右手には、前回の討伐報酬でスラムの鍛冶屋に打たせた、長大で分厚い無骨な鉄の太刀が握られている。刃羽の怪鳥を相手にするには、あまりにも重く、そしてリーチを持て余す不格好な得物に見えた。
「ヴァン、来るわ。上空から三体、信じられない速さよ」
岩陰で風を避けるように身を潜めていたセリアが、灰色の空を指差して叫んだ。
雲の隙間から、太陽の光を反射してギラギラと光る三つの影が、矢のような速度で急降下してくるのが見えた。狙いは完全に、岩場に無防備に立ち尽くしている巨体のヴァンだ。
「今回は、あの飛ぶ鳥をも叩き落としたという、極東の歴史に名を刻む孤高の天才剣士。その究極の絶技を、あなたの肉体に降ろすわ」
強風の中で、セリアの凛とした詠唱が響き渡る。
「飛燕の軌跡を断ち切る無双の刃よ。己の剣のみを信じ、神の領域へと至りし天才の記憶を、今この器に宿したまえ」
虚空に展開された青白い魔法陣から、身の丈ほどもある長刀を携えた、着流し姿の若い剣士の幻影が現れた。その幻影は、涼やかな笑みを浮かべたまま、空を見上げるヴァンの胸の奥深くへと真っ直ぐに飛び込んだ。
「同化召喚、飛燕の剣鬼」
ドクン、という心臓の跳躍とともに、ヴァンの肉体を研ぎ澄まされた氷のような冷気が駆け巡った。
これまでの傭兵や抜刀の剣士とは全く違う。筋肉の膨張や、殺気に満ちた重圧はない。ただ、周囲の風の音、空気の摩擦、そして上空から迫る怪鳥の羽ばたきすらもが、水面を通したかのようにゆっくりと、そして極めて鮮明に感知できる異常な空間認識能力。
「……なるほど。これが、天才の視る世界か」
ヴァンは低く呟き、長大な鉄の太刀を、だらりと右斜め下へと下げた。
腰を深く落とし、剣先を地面すれすれに向ける。極東の剣術における、極めて特異な迎撃の構え。同化した剣鬼の記憶が、ヴァンの筋肉にその最適解を強要していた。
キィィィンッ。
空気を切り裂く金属音とともに、先頭の刃羽の怪鳥がヴァンの首を跳ね飛ばそうと滑空してくる。時速百キロを超える、まさに神速の急降下攻撃。人間の動体視力では、捉えることすら不可能な速度だ。
だが、怪鳥の鉤爪がヴァンの鼻先に迫った、その瞬間。
ヴァンは呼気すらも音を立てず、下げていた太刀を下から上へと斬り上げた。
通常、いかに速い剣であっても、軌道は一本だけだ。空を飛ぶ鳥は、その風圧を感じ取って軌道を変え、容易く刃を避けてみせる。
しかし、ヴァンの放った斬撃は違った。
下から上への斬り上げ。それに全く遅れることなく、同時に左右から対象を挟み込むような二つの斬撃の軌跡が、空間に青白い光の残滓として描き出された。
一の太刀で退路を絶ち、二の太刀で動きを縛り、三の太刀で確実に命を刈り取る。
三つの斬撃が、全く同時に、一つの標的に向かって放たれる。物理法則を完全に無視した、空間そのものを屈折させる神域の絶技。飛ぶ燕の逃げ道を完全に塞ぎ、叩き落とすために編み出されたとされる伝説の魔剣であった。
ガァンッ、という鈍い音響が風鳴りの峰に響き渡った。
鋼鉄の硬度を持つ怪鳥の胴体が、三つの直線的な切断面を残して空中でバラバラに粉砕された。悲鳴を上げる間すらない、完全なる即死。重力に従って、三つの肉塊が赤茶けた岩場へとボトボトと音を立てて落ちる。
「ウソ……。三つの斬撃が、同時に……」
セリアは自らの術が引き起こしたあまりにも美しい剣の軌跡に、息を呑んで立ち尽くした。
残る二体の怪鳥が、仲間の不可解な死に混乱し、上空で旋回を始める。だが、ヴァンは止まらなかった。彼は赤土を力強く蹴り上げると、信じられない跳躍力で空へと飛び上がった。
風の魔物を相手に、自ら空中戦を挑む。常軌を逸した行動だが、ヴァンの瞳には確かな勝算と、剣鬼の冷徹な計算が宿っていた。
空中で身を捻り、無防備な状態の怪鳥たちに向けて、再びあの三方向からの同時斬撃が放たれる。青白い閃光が虚空に瞬き、二体の怪鳥は抵抗する暇すら与えられず、空中で細切れの肉片へと変わった。
ズシン、と重い音を立ててヴァンが岩場に着地する。
彼は太刀についた血を無造作に振り払い、ゆっくりと同化を解除した。極限の集中力と、物理法則を無視した筋繊維の酷使。強烈な疲労感が肉体にのしかかるが、ヴァンの表情は変わらず無機質なままだ。
「見事な技だ。刃を持たないこんな鉄の板切れでも、極限の技術と筋力が合わされば、空間ごと叩き斬ることができる」
「ヴァン、あなた本当に……英霊の記憶と技術を、魂の反発なしに完全に自分のものとして引き出している。伝説の絶技を、ただの人間が体現するなんて」
セリアは興奮を隠しきれない様子で駆け寄り、ヴァンの強靭な腕に触れた。彼女の同化召喚は、この男の底知れぬ虚無という器を得て、今やどんな高位の魔法使いすらも届かない領域へと到達しつつあったのだ。
数時間後。
城塞都市のギルド本部、換金所のカウンターに、鈍く光る鋼鉄の羽が山のように積まれた。
「な、なんだこれは。刃羽の怪鳥の羽じゃないか。しかも、魔法で焼かれた痕も、矢で射抜かれた痕もない。完全に鋭利な刃物で、空中で叩き斬られたような切断面だ……」
ベテランの鑑定係が、カウンターに積まれた羽を震える手で調べながら、信じられないといった声を上げた。
その周囲では、一日の依頼を終えた冒険者たちが遠巻きにその光景を取り囲み、ざわめきを大きくしていた。
「おい、見たか。またあの男だ。勇者パーティーを追放されたっていう、あの無能の戦士……」
「馬鹿言え、刃羽の怪鳥だぞ。魔法も使えない戦士が、どうやって空飛ぶあの化け物を斬り落とすっていうんだ。弓だって弾き返される鋼鉄の羽だぞ」
「だが、あの羽は間違いなく本物だ。それに、あの男と一緒にいる銀髪の女……見たこともないローブを着てるが、もしかしてとんでもない高位の魔術師なんじゃないか?」
レオンが流した「仲間を見捨てた卑劣な無能」という虚飾の噂。
それは確かにギルド中に広まっていたが、ここ数日、その最底辺の男が持ち込んでくる規格外の討伐部位の数々によって、人々の認識は大きく揺らぎ始めていた。
「ただの荷物持ちだった奴が、どうやってあんな上位の魔物を……」
「まさか、勇者様が嘘をついていたなんてことはないよな?」
疑念、畏怖、そして好奇。
様々な感情が入り混じった囁きが、ギルドの空間に充満していく。
ヴァンは周囲の好奇の視線やひそひそ話など、全く耳に入っていないかのように、ただ淡々と差し出された報酬の金貨を受け取った。
「行くぞ、セリア。明日はさらに北の狩場を開拓する」
「ええ、分かったわ」
二人がギルドの重い扉を開けて外へと出て行く背中を、多くの冒険者たちが無言で見送った。
勇者パーティーから理不尽に全てを奪われ、路地裏に捨てられた男。
そして、世界から無能と蔑まれ、地下に隠れ住んでいた異端の召喚師。
彼らが起こしている異常な事態は、もはやスラムの噂話程度では済まされない段階に来ていた。確かな実績と実力を伴ったその特異な存在感は、やがて勇者レオンたちの耳にも届き、都市全体の均衡を大きく揺るがすうねりへと変わっていく。
反撃の狼煙は、今、ギルドの喧騒を飲み込み、確かな炎となって燃え広がり始めていた。




