第195話 絶望の跡地に咲く、多様なる命の息吹
絶海の岸辺を揺るがした、神々と魔王による天地を砕くような死闘から数ヶ月。
かつて虚無のエネルギーによって深く抉り取られ、黒く変色していた絶望の大地は、今や見違えるほどの活気と生命力に満ち溢れていた。
「そっちの木材、もう少し右だ! ドワーフの石組みにエルフの防腐魔法をきっちり乗せろよ! 手を抜いたら、俺のハンマーが飛んでいくからな!」
「わかってるよ、親方! ほら、人間の兄ちゃんたちも力仕事だ、魔族の連中に負けてるぞ!」
「誰が負けるかよ! そっちこそ、尻尾を踏まれないように気をつけな!」
雲一つない青空の下、カンカンという甲高い槌の音と、活気に満ちた荒々しくも楽しげな怒号が響き渡る。
新大陸の海岸線から内陸部にかけて、巨大な都市がその全貌を現しつつあった。建材を運ぶ獣人の逞しい腕、精密な彫刻を施す人間の職人、巨大な石柱を魔法で浮かせるエルフ、そして屈強な肉体で足場を組む魔族。
かつての世界では決して交わることのなかった、あるいは互いに憎しみ合い、搾取し合っていた異種族たちが、ここでは肩を並べ、汗を流し、一つの巨大な街を作り上げている。
その喧騒を見下ろす小高い丘の上で、ヴァンは静かに風に吹かれていた。
彼の体には、覇軍大将バルバトスとの決戦で負った無数の傷跡が、生々しい傷痕として刻まれている。完全に崩壊していた肉体は、彼の持つ異常なまでの生命力と、バクスが毎日徹夜で作ってくれた特別な薬膳料理、そして何より、セリアの献身的な看護によって、日常生活に支障がないまでに回復を果たしていた。
真新しい、しかしかつてと同じように装飾の一切ない実用的な軽鎧を身に纏ったヴァンは、眼下に広がる街の景色を眩しそうに細めた目で眺めている。
都市の外周をぐるりと囲むのは、あの絶峰の剛角獣の遺骸をベースにして組み上げられた、堅牢無比な大防壁だ。防壁の各所には、バルガンが超大型要塞船方舟から移設した星脈の核と多頭蛇の魔石を動力源とする、淡い光を放つ絶対防衛結界の発生装置が設置されている。
魔界の扉が封印されたとはいえ、新大陸にはまだ未知の原生モンスターが生息している。しかし、この巨大な結界と防壁が完全に機能し始めたことで、都市の内側には絶対的な安全が保証されていた。
「おーい、お前ら! 昼飯の時間がきたぞ! 今日は絶海で獲れた巨大海竜のテールを、三日三晩煮込んだ特製シチューだ! 骨の髄まで溶け込んでるから、残さず食いな!」
広場の一角から、バクスの野太くも陽気な声が響き渡った。
巨大な野外テントの下に設置された、見上げるほどの大鍋。そこから漂う暴力的なまでに食欲をそそる香辛料と肉の匂いに、作業をしていた異種族の職人たちが一斉に歓声を上げて群がっていく。
そこには、並ぶ順番の種族による優劣など存在しない。ドワーフも人間もダークエルフも、誰もが同じ列に並び、バクスが豪快に盛り付けた木製の椀を受け取っては、満面の笑みで隣り合って座り、熱々のシチューを頬張っている。
「コラそこ! 食べた後はちゃんと器を洗って所定の場所に返すこと! 労働の対価としての食事なんだから、規律は守ってもらうわよ! それから、午後の資材の搬入リスト、まだ提出してない班は罰金だからね!」
バクスの横で、帳簿を片手に鋭い声を飛ばしているのはルミナだ。
彼女は商会の搾取から抜け出し、今やこの巨大都市の物資流通と財務をすべて取り仕切る要となっていた。彼女の厳しい、しかし公平な管理があるからこそ、これだけ多種多様な種族が集まっても、物資の不足や不平等による争いが一切起きていないのである。
「バクスもルミナも、本当に頼もしくなったわね」
ふと、ヴァンの隣に並ぶようにして、銀色の髪を風に揺らしたセリアが微笑みかけてきた。
彼女の顔色もすっかり良くなり、かつての神秘的で静かな雰囲気に加え、どこか母親のような、深く温かい慈愛の表情が備わっているように見える。
「ああ。あいつらがいてくれなかったら、俺たちは戦うことしかできなかった。この街は、あいつらが創り上げたものだ」
ヴァンは短く答え、広場の中央へと視線を移した。
広場の中央では、バルガンとローラン、そしてガロの三人が、巨大な石造りのモニュメントの前に立って図面を広げていた。
「ここの石畳の角度、あと二ミリ下げろ。水はけが悪くなる。全種族が集まる中心地なんだ、百五十年先まで保つ完璧な仕事を見せてみろ」
バルガンが職人の厳しい目で指示を出すと、ローランが苦笑しながら頷く。
「相変わらず妥協がないな、バルガン殿は。しかし、これほど広大で美しい広場になるとは。私の隠れ里にいた同胞たちも、この光景を見れば感動で言葉を失うだろう」
「当然だ。俺たちドワーフの技術と、ガロたち魔族の強靭な石材加工、それにエルフの魔法が完全に融合したんだ。旧世界のどの国の王都よりも、頑丈で美しい街にしてやるさ」
種族の壁がない、という言葉を口にするのは簡単だ。
しかし、かつての世界では、人間は他種族を迫害し、ドワーフは人間を不信し、魔族はすべてを力でねじ伏せようとしていた。
ヴァンとセリアが勇者パーティーを追放され、理不尽な世界に抗うために足掻き続けた旅の軌跡が、彼らと出会い、絆を結び、その背中を見せ続けたことで、今、確かな形となってこの大地に根を下ろしている。
「ヴァン」
セリアが、そっとヴァンのごつごつとした大きな手に、自分の手を重ねた。
「明日ね。いよいよ、広場が完全に完成するの」
「ああ。聞いている。……いよいよだな」
ヴァンはセリアの手を優しく握り返し、再び街を見下ろした。
誰もが平等に笑い、手を取り合い、美味い飯を食って、明日への希望を語り合う場所。
かつて、底辺の戦士と異端の召喚師が夢見た「誰もが平等に暮らせる国」の設立を宣言するその時が、すぐ目の前まで迫っていた。




