第194話 魔界の扉の封印と、真なる美しい夜明け
新大陸の最奥部、かつて未開の地と呼ばれたその奥地に、天を突くような巨大な漆黒の門がそびえ立っていた。
魔界への扉。
幾千万の魔族の軍勢を吐き出し、覇軍大将バルバトスという絶望をこの世界に呼び込んだ次元の亀裂。バルバトスが討たれ、魔界軍が壊滅した今でも、半開きになった門の奥からはドロドロとした極彩色の瘴気が吐き出され、周囲の木々や大地を黒く腐食させ続けていた。
「これが、魔界へと通じる次元の門……。近くで見ると、吐き気がするほどのおぞましい魔力圧だな」
バルガンが額の汗を拭いながら、巨大な門を見上げて唸った。
伝説のドワーフとして数多の武具や要塞船を建造してきた彼であっても、空間そのものをこじ開けて固定しているこの次元の構造物の前では、己の技術がちっぽけに感じられるほどだ。
「ああ。魔界の王が膨大な力と数百年もの時間をかけて、星の境界を侵食した結果だ」
ガロが険しい顔で門の縁に近づき、吹き出してくる瘴気を剣の腹で払い除ける。
「だが、あのバルバトスが消滅したことで、門を固定していた魔力の供給源の大部分はすでに断たれている。今なら、こちら側からの干渉で次元の亀裂を完全に塞ぐことができるはずだ。おっさん、例の『星脈の核』は準備できているか?」
「おう、任せとけ」
バルガンは腰の革袋から、淡い青色の光を放つ手のひら大の結晶――星脈の核の欠片と、それを制御するための複雑な金属製のシリンダーを取り出した。
「方舟の結界システムを逆位相に調整してある。空間を『護る』んじゃなく、空間の裂け目を『縫い合わせる』ための特注品だ。だが、これだけじゃ魔界の理には干渉できねえ。ガロ、お前の魔族としての知識が必要だ」
「わかっている。俺が魔界の座標を固定し、門の術式を中和する。その瞬間に、核のエネルギーを叩き込んでくれ」
ガロは剣を地に突き立て、両手を門の両端に広げた。
彼の全身から、魔族特有の濃密な魔力が立ち昇り、門から漏れ出す瘴気と激しく衝突する。
「……開かれた次元よ。我が魔力と知識をもって、汝の繋がりを絶つ!」
ガロの叫びと共に、門の周囲に刻まれていた不可視の魔界の術式が、赤い光を放って空間に浮かび上がった。ガロがその術式の結び目を一つ一つ、己の魔力で正確に解きほぐし、無効化していく。
「今だ、おっさん!」
「おうさァッ!!」
バルガンが渾身の力で大地を蹴り、門の中央の地面にシリンダーを激しく突き立てた。
その先端にセットされた星脈の核が、新大陸の地脈と接続され、眩いほどの青白い光を爆発的に放ち始めた。
「星脈の力よ、裂けた次元を縫い合わせろ!」
星の生命力そのものである核のエネルギーが、バルガンの組み上げたシリンダーを通じて逆位相の結界へと変換され、魔界の門へと雪崩れ込む。
ガロが中和した術式の隙間に、星脈の青白い光が楔のように次々と打ち込まれていった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
空間そのものが悲鳴を上げ、巨大な漆黒の門が激しく震動し始める。
極彩色の瘴気が押し返され、門の扉が、星脈の力によってゆっくりと、しかし確実に閉じられていく。
「押し込めェェェッ!」
バルガンがシリンダーにさらなる重力をかけて押し込み、ガロが最後の魔力を振り絞って門の縁を強く押さえつける。
ドワーフの技術と魔族の知識。かつては相容れなかった二つの種族の力が完全に噛み合った瞬間、魔界の門は最後のおぞましい悲鳴を上げ――。
ガァァァァァァァァァァンッ!!!!!
鼓膜を劈くような金属音と共に、漆黒の門が完全に閉ざされた。
直後、門を形成していた空間の亀裂がガラスのように砕け散り、巨大な門そのものが光の粒子となって世界から完全に消滅した。
シューゥゥゥゥ……。
後に残されたのは、瘴気によって黒く変色していた大地が、星脈の浄化の光によって本来の緑色を取り戻していく、静かで穏やかな風景だけだった。
「……やりやがった。本当に、塞ぎやがったぞ」
バルガンが地面に尻餅をつき、信じられないというように汗だくの顔で笑う。
「ああ。私たちの勝ちだ。これで二度と、魔界の軍勢がこの世界を脅かすことはない」
ガロもまた、息を切らしながら、しかし晴れやかな顔で空を見上げた。
門が消滅した瞬間、新大陸を覆っていた最後の淀みが完全に吹き払われた。
絶海の岸辺から内陸部まで、分厚い雲一つない、突き抜けるような青空が広がっていく。東の空から昇りきった太陽が、新大陸の大地を眩いほどの光で照らし出していた。
それは、彼らがこの過酷な旅の果てにようやく手にした、本当の意味での、真なる美しい夜明けであった。
海岸線では、その劇的な空の変化に、仲間たちも歓声を上げていた。
「空が……! 完全に晴れたわ!」
ルミナが目を輝かせ、朝日に照らされた海原を指差す。
「バルガンのおっさんとガロの奴、きっちり仕事をやり遂げやがったな!」
バクスが空に向かって拳を突き上げ、ローランもまた、深く頷いて微笑みを浮かべている。
セリアは、膝の上で眠るヴァンの横顔に優しく触れながら、その眩しい空を見上げていた。
「ヴァン。見て……。世界が、こんなにも綺麗よ」
ザクッ、ザクッ。
砂浜を踏みしめる音と共に、任務を終えたバルガンとガロが戻ってきた。
「お待たせしたな。次元の穴は完全に塞いだ。もう心配はいらねえ」
バルガンが泥だらけの手でサムズアップを作る。
「本当にお疲れ様。二人とも、ありがとう」
セリアが涙ぐみながら深く頭を下げる。
周囲を取り囲むように、バクス、ルミナ、ローラン、そしてバルガンとガロが集まり、互いの無事を喜び合い、顔を見合わせて笑い合った。
理不尽な追放から始まり、種族の壁を越え、幾多の死線を共に潜り抜けてきた彼らの絆は、今この瞬間、何よりも強く、確かなものとしてそこにあった。
「……うるさいな。少しは静かに休ませてくれ」
不意に、掠れた、しかし呆れたような声が響いた。
全員の視線が、セリアの膝の上に集中する。
ヴァンが、微かに目を開き、眩しそうに朝の光と仲間たちの顔を見上げていた。
「ヴァン!」
セリアが耐えきれずに、再び彼の胸に顔を伏せて泣きじゃくる。
ヴァンは不器用に、しかし確かな力で彼女の背中を撫で、そして周囲を囲む仲間たちへ向けて、初めて見せるような、心からの穏やかな笑みを浮かべた。
「無事でよかった。……みんなのおかげだ」
「何言ってやがんで! お前が一番ボロボロだろうが!」
バクスが涙声で怒鳴り、バルガンがガハハと豪快に笑う。ルミナがその横で手を叩き、ガロとローランが静かに微笑む。
新大陸の青空の下、彼らの新たな歴史が幕を開ける。
誰もが平等に笑い、手を取り合って生きていける国。
その真の第一歩が、美しく晴れ渡った空と共に、確かな足音を立てて踏み出されようとしていた。




