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追放された戦士は『同化』で覚醒する〜不要とされた俺が伝説の剣豪を身に宿し、やがて多民族国家を創り上げるまで〜  作者: 八咫 日本


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第191話 魔王の影と、愚かなる勇者の寓話

絶海の岸辺に、長きにわたる死闘の終わりを告げる静寂が訪れた。

魔界の四天王、覇軍大将バルバトスの七メートルを超える巨体は、破壊神と闘神の力によって完全に粉砕され、もはや灰の残骸となって風に散りつつあった。

極限の二重同化を維持し続けた代償は、勝利と同時にヴァンの肉体に牙を剥いた。

「……っ」

ヴァンの口から大量の血が溢れ出し、その体は糸の切れた操り人形のように砂浜へと崩れ落ちた。全身の皮膚は裂け、骨は砕け、黒曜の鱗鎧の内側は文字通り血の海と化している。

「ヴァン!」

結界を飛び出したセリアが、自らの命を削った代償である血の涙で顔を汚したまま、全速力で駆け寄る。彼女は血だまりの中に倒れたヴァンを抱きかかえ、その冷えゆく胸に顔を埋めて声を上げて泣き崩れた。

彼の心臓は微かに動いている。だが、その命の灯火は今にも消え入りそうだった。

パチ……パチ……パチ……。

波の音とセリアの嗚咽だけが響く絶海の岸辺に、突如として、ひどく場違いな拍手の音が鳴り響いた。

セリアがハッと息を呑み、震える手で杖を握り直して音の方向を睨みつける。

そこには、いつの間にか一人の男が立っていた。

空間の歪みから音もなく滲み出るように現れたその男は、全身を深い漆黒のマントで覆い隠しており、顔の判別すらつかない。しかし、その全身から漂う魔力は、先ほどまで死闘を繰り広げていた獣神バルバトスと同等か、あるいはそれ以上に底知れない、静かで冷たい絶対的な闇の気配を纏っていた。

「素晴らしい。まさか、あの誇り高きバルバトスが、辺境の人間ごときに討ち取られる日が来るとは。大魔王様への良い土産話ができましたよ」

マントの男は、バルバトスの灰を踏み躙りながら、優雅な仕草で一礼した。

「あなたは……誰。魔族の、増援なの……?」

セリアがヴァンの体を庇うように前に立ち、血に染まった唇を噛み締める。

「名乗るほどの者ではありません。私はただの影。大魔王様の意志を代行する、ちっぽけな使い走りに過ぎませんから」

男はクスクスと笑いながら、セリアと、倒れたヴァンを見下ろした。

「警戒なさらなくて結構です。あなた方と戦うつもりはありません。むしろ、私はあなた方を賞賛し、スカウトに来たのです。いかがですか? 愚かで脆弱な人間たちを見限り、大魔王様と共にこの世界を統治するというのは。あなた方ほどの力があれば、魔界においても最上級の待遇をお約束しましょう」

「……ふざけないで。私たちが護るべきものを差し出して、世界を力で支配する悪魔の手先になれと言うの?」

セリアの紫色の瞳に、強い怒りの炎が宿る。

「悪魔、ですか。手先、ですか。……くくっ、やはり人間というのは、救いようのない種族ですね」

マントの男は大袈裟に肩をすくめると、まるで劇場で独白をする役者のように、両手を広げて語り始めた。

「愚かな人間など護る価値はない。その事実を、一つ興味深いお伽話でお教えしましょう。私がかつて、直々に手を貸してやった『とある勇者』の逆転劇を」

男の声には、底意地の悪い嘲笑がたっぷりと含まれていた。

「その男は、かつて召喚師であり、自らを勇者と名乗っていました。しかし、ダークエルフの罠にかかり全ての魔力を奪われ、落ちぶれて盗賊まがいの行為に手を染め、惨めにも地下牢に幽閉されていたのです。『俺は勇者だ』と喚き散らす彼に向けられるのは、看守たちの冷ややかな嘲笑と暴力だけでした。投獄から一年、私はその薄暗い独房に足を運び、彼に問いました。力を取り戻したいか、と」

マントの男はゆっくりと砂浜を歩きながら、言葉を紡ぎ続ける。

「狂ったように頷く彼に、私は一つの扉を用意してやりました。彼が目を覚ましたのは、見たこともない異世界『ガイナックス』。そこで彼は驚喜しました。失われたはずの魔力と召喚術が蘇り、さらには、かつての彼には全く備わっていなかった強靭な筋力とスタミナが、全身に満ち溢れていたからです。……哀れな男は、それが大魔王様から注入された魔力によるものだとは微塵も疑わず、自らの才能が再び開花したのだと錯覚していました」

セリアは杖を構えたまま、男の語る不気味な物語に耳を傾けるしかなかった。

「ガイナックスの荒野で魔物を粉砕した彼は、辺境の地に追いやられた人間たちの最後の砦へと辿り着きました。大魔王の脅威に怯えながらも助け合って生きる心優しい人々は、彼を救世主として歓喜と共に迎え入れた。なけなしの食料を差し出し、王ですら彼に頭を下げました。……しかし、力を取り戻した勇者の心に宿ったのは、感謝ではありませんでした。かつての横柄で、歪んだ優越感だったのです」

男の口調が、さらに酷薄なものへと変わっていく。

「王から大魔王討伐を懇願された勇者はふんぞり返り、最上級の待遇を要求しました。そして、大魔王を倒すための『伝説の兜、鎧、盾、剣』を回収する旅に出た。その道中、彼が何をしたかお分かりですか? 己を案内し、身を呈して彼を守ろうとするガイナックスの兵士たちを囮にして見殺しにし、魔物を騙し討ちにするなど、卑劣の限りを尽くしたのです。しかし愚かな村人たちは、彼の非道な行いを『大義のための尊い犠牲』と勘違いし、ますます彼を崇拝していきました。すべての武具を揃えて帰還した彼は、王にこう要求しました。大魔王を倒した暁には、王の座を自分に譲れ、とね」

「……最低ね。それが、かつて勇者と呼ばれた人間のすることなの」

セリアが嫌悪感に顔を歪める。

「ええ、最低の屑です。ですが、喜劇はここからです。完全武装した勇者は自信満々で大魔王様の城へ乗り込んできました。しかし、最奥の間で大魔王様の圧倒的な魔力と威圧感を浴びた瞬間、彼は腰を抜かして失禁し、泣き叫びながら命乞いを始めたのです。そこで大魔王様は、彼に冷酷な取引を持ちかけました。『辺境の砦を滅ぼし、あの地を守護しているクリスタルを破壊すれば、この世界の半分を与えて統治させよう』と」

マントの男が立ち止まり、セリアを真っ直ぐに見据えた。

「魔族には、その神聖なクリスタルに触れることすらできませんでした。だからこそ、人間の裏切り者が必要だったのです。勇者は自らの命と権力のため、一切の躊躇なくその契約にすがりつきました。砦に帰還した彼を、人々は勝利を信じて満面の笑みで出迎えた。……次の瞬間、勇者は何の罪もない人々に向かって、伝説の剣を振り下ろしました。王を殺し、逃げ惑う女子供を背後から魔法で蹂躙し、己に優しくしてくれた者たちを皆殺しにしたのです」

血の海と化した砦の最奥で、勇者は人間を守護していたクリスタルを粉砕した。その瞬間、世界から光が失われたという。

「大魔王様の元へ戻った勇者に、約束通り漆黒の闇の力が与えられました。しかし、大魔王様はこう告げたのです。『お前の人格など不要だ。ただ私の優秀な駒として生きることだけが、貴様の存在価値だ』と。どす黒い力が全身を巡る中、彼の中から人間の頃の思い出も、勇者としての過去の記憶も、すべての感情が消え去っていきました。伝説の装備は禍々しく変異し、後に残ったのは、圧倒的な闇の力と大魔王様への絶対的な忠誠心だけ。……こうして、彼は大魔王様の側近『ダークナイト』として生まれ変わったのです」

マントの男は話し終えると、心底楽しそうに肩を揺らして笑った。

「どうです? これが人間の本質です。己の欲望のためならば、同胞すら裏切り、最後には自らの魂すらも失う。こんな愚かで卑小な生き物たちを護るために、あなたがたは血を流し、命を削っているのですよ。馬鹿馬鹿しいとは思われませんか?」

絶海の風が、重く冷たく吹き抜ける。

しかし、セリアの紫色の瞳は、男の嘲笑を前にしても全く揺らぐことはなかった。

「……確かに、あなたの言う通り、人間には信じられないほど愚かな者もいるわ。欲望に負け、大切なものを裏切るような最低の人間が」

セリアは静かに、しかし凛とした声で紡いだ。

「でもね、すべての人間がそうじゃない。傷つき、絶望しても、誰かのために自分の命を懸けられる人がいる。何度裏切られても、もう一度信じようと立ち上がる人がいる。私が出会った人たちは、この腕の中で倒れている彼は、絶対にそんな選択はしないわ」

セリアの言葉に、マントの男の笑い声がピタリと止まる。

「護るべきものがあるこの世界を、愛する人たちが笑って暮らせる明日を、力と恐怖で屈服させるあなたのやり方こそが、最も愚かで哀れだわ。私たちは絶対に、あなたたちには屈しない!」

セリアの毅然とした拒絶の言葉が、絶海の岸辺に響き渡る。

マントの男はしばらく沈黙した後、ゆっくりと息を吐き出した。

「……そうですか。それは残念です。本当に、残念だ」

男が右手を見えないマントの中から引き出し、虚空に向けてかざした。

その瞬間、バルバトスが塵となって消え去った砂浜の中心から、ドス黒い、心臓のような脈動を放つ不気味な結晶体が浮かび上がった。

「バルバトスは死にました。ですが、彼の命の源であった『獣神のコア』はここに残されている。主の制御を失ったこのコアに、私がほんの少し魔力を加えてやればどうなるか……わかりますね?」

男の指先から、一筋の漆黒の魔力がコアへと注ぎ込まれる。

ドクンッ、とコアが悍ましい音を立てて膨張し、周囲の空間が再びガラスのように軋み始めた。

「臨界を突破した魔核は、メルトダウンを引き起こします。先ほどの星崩壊の魔法の、数十倍の規模のエネルギーが暴走し、この新大陸はおろか、世界は一瞬にして粉々に吹き飛ぶでしょう。愚かな人間たちと共に、虚無の底へと沈むがいい」

男がコアに向かって最後の一撃を放とうとした、まさにその時だった。

「……そんなことは、絶対にさせない」

掠れた、しかし鋼のように硬い声が、血だまりの中から響いた。

マントの男が驚いて視線を落とす。

絶対に動けるはずのない、全身の骨が砕け、肉が裂けた瀕死の戦士。ヴァンが、血に染まった愛剣を杖代わりにして、ゆっくりと、しかし確実に立ち上がったのだ。

「ヴァン……!」

セリアが信じられないものを見るように息を呑む。

片目すら潰れたヴァンの双眸は、限界を超えたその先にある、究極の闘志の炎を静かに燃やし続けていた。

「ほう……。まだ立ち上がる意志があるとは。驚異的な執念ですね」

マントの男は、ヴァンのその姿を見て、ふっと不敵な笑みを漏らした。

「よろしい。ならば、足掻いてみなさい。この破滅の連鎖を、そのボロボロの肉体で止められるものなら」

言葉を残し、マントの男の体が陽炎のように揺らめいたかと思うと、音もなく空間に溶け込み、完全に姿を消した。

後に残されたのは、限界を超えて立ち上がった戦士と、祈る召喚師。

そして、今まさに星を吹き飛ばす規模の暴走を始めようとしている、獣神の禍々しいコアだけであった。

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