第183話 神々の降臨と、蹂躙される大将
第183話 神々の降臨と、蹂躙される大将
新大陸の空が、もはや昼か夜かも判別できないほどの絶望的な漆黒へと塗り潰されていく。
覇軍大将バルバトスが右の手の平に生み出したのは、光すらも逃れられないほどに超高密度に圧縮された漆黒の魔力球であった。それはまるで巨大な心臓の鼓動のように不気味な明滅を繰り返し、周囲の空間を物理的に歪ませ、絶海の岸辺に存在するすべての生命から呼吸を奪い去るような絶対的な死の気配を撒き散らしていた。
「さあ、まずはこの汚らしい瓦礫の山から消し去ろう。跡形もなく、塵一つ残さずに」
バルバトスが冷酷な笑みを深め、漆黒の球体を防壁の結界へと向けて無造作に振り下ろそうとした、まさにその瞬間だった。
「させない……! 私たちの国は、絶対に私が護る!」
結界の内側に立つセリアの全身から、これまでとは比較にならないほど膨大で、そして澄み切った魔力の奔流が天に向かって噴き上がった。
彼女の銀色の髪が重力に逆らうように激しく逆巻き、紫色の瞳が極限の集中によって星のように眩い光を放つ。彼女は己の命を削るかのような絶大な魔力を杖に込め、異次元の理すらも捻じ曲げる究極の召喚術を紡ぎ出した。
「星の聖剣を掲げし、円卓の騎士王アーサー! 万物を打ち砕く雷槌の主、北欧の雷神トール!」
遥か彼方の異界より召喚された、星の光を束ねて魔を討つ救世の王と、雷鳴を轟かせ万物を粉砕する戦神。この世界の理すらも凌駕する二つの極大の魂の名前が新大陸の空に響き渡った瞬間、淀んでいた紫色の雲が円形に吹き飛び、天頂から二筋の巨大な光の柱がヴァンの肉体へと同時に降り注いだ。
「二つの絶大な魂よ、今、この器にて交わりたまえ! 多重同化ッ!」
天地を揺るがす轟音と共に、ヴァンの肉体を包み込んでいた空気が爆発的に弾け飛んだ。
魔を退け光を束ねる騎士王の黄金のオーラと、神の怒りそのものである青白い超高圧の雷光。その二つが完全に融合し、ヴァンの強靭な肉体を核として、世界そのものを浄化するような神々しい光の竜巻となって絶海の岸辺を包み込む。
二つの神格を同時に降ろすという常軌を逸した負荷により、ヴァンの皮膚の表面から細かな血の霧が噴き出していく。しかし、彼の双眸は微塵の揺らぎも見せず、眼前の敵のみを真っ直ぐに射抜いていた。
手にした武器が、かつてないほどの激しい流動を始める。
黄金の光と青白い雷を吸い込んだそれは、巨大な両手剣の形状を取りながらも、刀身そのものが眩い光を放つ聖なる水晶のようであり、同時にその表面を雷神の雷がバチバチと這い回る「神雷の聖剣」へと劇的な変異を遂げた。
ただその剣がそこに存在するだけで、バルバトスが放っていた底なしの重圧が相殺され、息苦しかった空気に清浄な風が吹き抜けていく。
「……なんだ、その光は」
バルバトスの漆黒の双眸が、初めて僅かな疑念を帯びて細められた。
「行くぞ」
ヴァンは短く呟くと、砂浜を蹴った。
次の瞬間、ヴァンの姿がその場から完全に消失した。否、消えたのではない。雷神トールがもたらす神速の雷撃そのものと化したヴァンの肉体は、人間の動体視力を遥かに置き去りにする速度で、空中にある漆黒の球体の真正面へとすでに到達していたのだ。
「砕けろ」
ヴァンは両腕の筋肉の限界を引き出し、神雷の聖剣を漆黒の球体に向かって真っ向から振り抜いた。
騎士王アーサーが持つ、あらゆる魔と邪悪を切り裂き浄化する絶対的な聖剣の力。そして、雷神トールが持つ、万物を物理的に粉砕する神の膂力。その二つが完全に融合した一撃が、絶望の質量へと叩き込まれる。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
新大陸そのものが真っ二つに割れたかのような、規格外の轟音が世界を揺らした。
バルバトスが生み出した超高密度の破壊の球体が、神雷の聖剣と激突した瞬間、まるで脆いガラス玉のように中心から亀裂を走らせる。
聖剣の放つ黄金の光が球体の内部の魔力を一瞬にして浄化し、雷神の剛力がその外殻を完全に粉砕したのだ。
「馬鹿な……ッ!?」
バルバトスの端正な顔に、明確な驚愕の色が張り付いた。
自らが放った絶対破壊の魔力が、ただの物理的な剣のひと振りによって、文字通り塵芥のように虚空へと散らされたのである。
だが、ヴァンの攻撃はそれで終わりではなかった。
漆黒の球体を粉砕した勢いを一切殺すことなく、ヴァンは空中で青白い雷を爆発させ、さらに一段階上の速度へと自らを加速させた。雷光の尾を引く一本の光の矢と化したヴァンは、瞬きをするよりも早く、バルバトスの懐へと潜り込む。
「遅い」
ヴァンの冷徹な声が、バルバトスの耳元で響いた。
「舐めるな、泥虫がァァッ!!」
バルバトスは咄嗟に後方へと跳躍しながら、自身の前面に数十層にも及ぶ不可視の高密度防壁を展開した。それは先ほどまで、ヴァンのいかなる神速の連撃をも傷一つつけずに弾き返していた、魔界の理で編み込まれた絶対の盾である。
しかし、今のヴァンの手にあるのは、星の光を束ねた聖剣だ。
ヴァンが下段から上段へと神雷の聖剣を斬り上げると、刀身から放たれた黄金の光が、魔界の防壁をまるで薄い紙のように次々と焼き切っていく。
ジュババババババッ! という凄まじい音と共に、数十層の防壁が一瞬にして蒸発した。
「なにッ!?」
完全に計算を狂わされたバルバトスの顔が、初めて焦燥に歪む。
防壁を突破した聖剣の切っ先が、ついに覇軍大将の漆黒の外套を切り裂き、その下の青白い肌を深く抉り取った。
ズバァァァァァンッ!!
「ガアァァァッ!?」
バルバトスの口から、痛みに満ちた叫び声が漏れる。
彼の胸元から左肩にかけて、斜めに走る深い裂傷が刻まれ、そこからドス黒い魔界の血が鮮やかに噴き出した。
無敵を誇っていた四天王が、衝撃で後方へと大きくよろめき、絶海の砂浜を無様に転がる。
静寂が、戦場を包み込んだ。
結界の内側で息を潜めて祈っていた民衆たちの目に、確かな希望の光が宿る。あの、ただ歩くだけで空間を軋ませ、息をするだけで軍勢を消し飛ばした絶対的な絶望が、彼らの信じる人間の戦士の剣によって地に叩きつけられ、血を流しているのだ。
だが、ヴァンは一切の油断を見せることなく、雷神の機動力を駆使して瞬時にバルバトスとの距離を詰めた。
砂浜に倒れ込んだバルバトスが立ち上がるよりも早く、ヴァンは神雷の聖剣を上段に構え、雷鳴と共に無慈悲な追撃を振り下ろす。
「この、下等生物がああああっ!!」
バルバトスが絶叫と共に右手を突き出す。そこから放たれたのは、山すらも一撃で貫通する漆黒の魔力砲線。
しかしヴァンは、その魔力砲線を避けることすらしなかった。
聖剣を斜めに振り抜くだけで、バルバトスの放った極大の魔力砲線は真っ二つに切り裂かれ、ヴァンの背後へと逸れて絶海の海面を爆発させる。
「嘘だ……! 私の魔力が、こうも容易く……!」
バルバトスの顔に、かつてないほどの狼狽が浮かぶ。
彼は両手から次々と漆黒の槍や重力球を生み出し、ヴァンへと雨あられのように放ち続けた。だが、そのすべてがヴァンの振るう黄金の軌跡の前に、触れる端から浄化され、粉砕されていく。
アーサー王の聖なる光が魔の力を完全に無効化し、トールの剛力がすべての物理的抵抗を無に帰す。
二つの神格が完全に噛み合ったヴァンの多重同化の前に、バルバトスの人間形態での力は、もはや完全に手詰まりとなっていた。
「シィィィィッ!」
ヴァンが雷のステップでバルバトスの死角へと回り込み、水平に聖剣を薙ぎ払う。
「ガハッ……!」
バルバトスの脇腹が深く切り裂かれ、黒い血が砂浜に撒き散らされる。
優雅で美しかった漆黒の外套はすでにボロボロに引き裂かれ、端正だった青白い顔は、苦痛と屈辱によって醜く歪んでいた。
「ありえない……! 泥の地を這う虫けらどもが、神の似姿たるこの私の肉体を、こうも一方的に蹂躙するなど……!」
バルバトスは血を吐きながら後退し、荒い息を繰り返す。
その漆黒の双眸には、もはや退屈や冷酷さは微塵もなく、煮えたぎるような純粋な激怒だけが渦巻いていた。
「……まだ口を動かす余裕があるか。ならば、黙らせるまでだ」
ヴァンは聖剣の切っ先をバルバトスに向け、再び雷の闘気を練り上げる。
二つの魂を同時に宿し続けることによる凄まじい反動が彼の肉体を内側から破壊し続けているが、その足取りに僅かな揺らぎもない。
「許さん……。許さんぞ、人間ッ!!」
バルバトスが自身の胸元の傷口を強く握りしめ、爪を立てた。
指先にべったりと付着した、自らのドス黒い血。それを見た瞬間、彼の全身から、先ほどまでの静謐な魔力とは全く異なる、おぞましく悍ましい怒りの波動が間欠泉のように噴き出し始めた。
「私を……ここまでコケにしてくれたな。貴様らの魂は、もはや虚無に還すことすら生温い。無限の責め苦を与え、永遠に絶望の中で泣き叫ばせてやる!」
バルバトスの周囲の空間が、彼の怒りに呼応してバキバキとひび割れ始める。
その奥底から湧き上がってくるのは、魔界の最深部に眠る、真なる獣の気配。彼の肉体が、致命的な危機を察知し、その奥底に封じ込めていた本来の戦闘形態を強引に引き出そうと脈動を始めたのだ。
だが、バルバトスは己の肉体が変異しようとするのを、ギリッと歯を食いしばって強引に押さえ込んだ。
「……いや、ダメだ。あの姿だけは……あの醜悪で、汚らしく、知性の欠片もない獣の姿だけは、私の美学に反する。あんな姿をこの世界に晒すなど、それ自体が私への最大の侮辱だ……ッ!」
バルバトスは激しく葛藤していた。
圧倒的な力を持つがゆえに、彼は自身の美しさと優雅さに異常なまでの執着を持っている。人間形態のままでは目の前の戦士に対抗できないことは、先ほどの攻防で痛いほどに理解した。だが、自らが忌み嫌う本来の姿を解放することは、彼にとって死にも等しいほどの屈辱なのだ。
「泥虫風情が……私に、あの姿を晒すことを強要しようというのか……!」
バルバトスは血走った目でヴァンを睨みつけながら、自身のプライドと本能の間で激しく揺れ動く。
彼の全身から噴き出す魔力は限界を超えて膨張し、絶海の岸辺に立つすべての者を圧倒するほどの嵐となって吹き荒れていた。
「セリア、奴の動きが止まっている。ここで一気に押し切るぞ」
ヴァンはバルバトスの葛藤など意に介さず、神雷の聖剣を上段に構え直した。
最強の神々の力を宿したヴァンの猛攻は、魔界の四天王の誇りを完全に粉砕し、彼を究極の選択へと追い詰めていく。




