第180話 凍てつく断頭矛と、猛将の最期
巨漢の魔族バルザールが両手で天高く掲げた巨大な断頭矛の先端に、紫に淀んだ空から底知れないほどのドス黒い魔力が渦を巻いて収束していく。
その圧倒的な魔力密度は、周囲の空間を物理的に歪ませ、絶海の岸辺に立っているだけで肌が粟立つような破壊の予兆を撒き散らしていた。
「ヒハハハハッ! この一撃で、てめえらも背後の結界も、チマチマと積み上げた石ころの城ごと全部ブチ壊してやるよ! 受け止めてみろ、人間!」
狂気に満ちた猛将の咆哮と共に、断頭矛の刃が禍々しい黒光りを放ち始める。
周囲の砂浜が、これから放たれる一撃の余波を感知したかのように、パラパラと空中に浮遊し始めた。大地そのものが、圧倒的な暴力の前に悲鳴を上げているのだ。
「ローラン、奴の狙いは俺たちだけじゃない。この一撃を防壁に届かせるわけにはいかない」
ヴァンは手にした白銀の機巧雷鋸の回転を止め、静かに構えを解いた。
「ああ。だが、あの大質量の魔力を正面から受け止めれば、いかに君の肉体といえど無事では済まないぞ」
ローランが竜のオーラを限界まで引き上げ、血を流しながらもヴァンの隣に並び立つ。
「受け止めるんじゃない。砕く」
ヴァンは一切の動揺を見せず、背後で祈るように杖を握るセリアへと視線を向けた。
あの大質量の魔力と鋼鉄の塊を正面から粉砕するには、圧倒的な物理破壊力と、相手の運動エネルギーそのものを殺す力が必要だ。
「セリア! 魂を入れ替える! すべての律動を止める氷と、魔を穿つ英雄の力を!」
「ええ! 任せて、ヴァン!」
セリアが力強く頷き、銀色の髪を海風に激しく逆巻かせながら、最後の力を振り絞って極限の詠唱を紡ぎ出す。
「魔の血を絶ち、あらゆる外殻を貫く竜殺しの英雄。万物の律動を止め、触れるものすべてを静寂へと誘う絶対零度の氷晶竜。二つの魂よ、今、この器にて交わりたまえ。多重同化ッ!」
ヴァンの肉体を包んでいた鋼の光と紫電の雷が消失し、代わって、魔を屠る闘気を象徴する深い真紅のオーラと、透き通るような絶対零度の冷気が同時に展開された。
強大な魂の連続上書きによる極限の負荷が、ヴァンの全身の筋肉と骨を激しく軋ませ、黒曜の鱗鎧の隙間から夥しい血の霧が噴き出す。だが、ヴァンは表情の筋肉すら動かさず、凄まじい反動を強靭な精神力のみで完全に支配した。
チャキィィィィィィンッ!
手にした武器が、最後の魂の組み合わせに共鳴して劇的な変異を遂げる。
身の丈を超える巨大な大剣。その刀身は、竜の鱗すら容易く引き裂く無数の返しがついた禍々しい形状を持ちながら、全体が絶対零度の冷気を放つ分厚い氷の結晶で覆われていた。
「絶対零度の滅竜剣」の完成である。
「消し飛べェェェェッ!! 崩星の断頭撃ィィィッ!!」
バルザールが両腕の筋肉を限界まで膨張させ、全魔力を込めた巨大な断頭矛を、天地を割るような勢いで振り下ろした。
空気を圧縮し、黒い衝撃波の嵐を伴いながら迫る必殺の一撃。
「行くぞ!」
「シィィィィッ!」
ヴァンとローランは同時に地を蹴り、巨大な黒い波へと真っ向から飛び込んだ。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
絶対零度の滅竜剣と、漆黒の魔力を纏った断頭矛が真っ向から激突した。
絶海を揺るがす規格外の轟音が響き渡り、衝突点から発生した凄まじい衝撃波が、足元の砂浜をすり鉢状に吹き飛ばす。
「グオオオオオッ! 押し潰されろォォォッ!!」
バルザールが四メートルを超える巨体の全体重をかけ、さらに断頭矛を押し込んでくる。
ヴァンの強靭な両足が砂に深く沈み込み、後方へと引きずられそうになる。
だが、ヴァンの双眸は静かに敵の武器の一点を見据えていた。
「……凍れ」
ピキィィィィィィィンッ!
滅竜剣が断頭矛に触れたその場所から、絶対零度の冷気が瞬時に流れ込んだ。
バルザールが矛に込めていた超高密度の魔力が、そして魔界の鋼で鍛え上げられたいかなる衝撃にも耐えるはずの矛の柄そのものが、極限の冷気によって分子運動を完全に停止させられ、真っ白な霜に覆われていく。
「な、なんだと!? 俺の魔力が、凍りついて……!」
バルザールの顔に驚愕が走る。
絶対零度の冷気は瞬く間に断頭矛全体を凍結させ、その強靭な柔軟性を完全に奪い去り、ガラスのように脆い物質へと変質させた。
「そこだッ!」
横から回り込んでいたローランが、青白い竜のオーラを長剣の切っ先の一点に集中させ、凍りついた断頭矛の柄の中央へと渾身の突きを放った。
ガァァァァァァンッ!
竜の魔力を込めた鋭い一撃が、極限まで脆くなっていた柄の構造に致命的な亀裂を走らせる。
「砕けろ」
ヴァンが残された全筋力を両腕に込め、絶対零度の滅竜剣を力任せに振り抜いた。
バキバキバキィィィィィィンッ!!!
甲高い破砕音が絶海の岸辺に響き渡った。
魔族の猛将が振るう規格外の武器、大質量の魔力を宿していた巨大な断頭矛が、真っ二つにへし折られ、無数の氷の破片となって空中に散華した。
「馬鹿なッ!?」
最大の武器を失い、完全に体勢を崩したバルザールの巨大な胴体が、ヴァンの目の前に無防備に晒される。
ヴァンは滅竜剣の軌道をそのまま捻り、竜殺しの英雄の圧倒的な膂力をもって、巨漢の魔族の胸元へと大剣を深々と突き立てた。
ドスゥゥゥゥゥンッ!!!
「ガハッ……!?」
バルザールの口から、大量の緑色の血が吐き出される。
突き立てられた滅竜剣から絶対零度の冷気が直接体内に流れ込み、彼の心臓を、そして全身を巡る強靭な魔力の流れを完全に凍結させていく。
ズズゥゥゥン……!
四メートルを超える巨体が、砂浜に力なく膝をついた。
致命傷を負い、体中から白い冷気を漂わせながらも、バルザールはヴァンの顔を見下ろし、血に染まった口元を歪めてニヤリと笑った。
「カハッ……。やりやがる……。最高に、楽しい戦いだったぜ。お前らみたいな、骨のある奴らに出会えて……退屈しなかった」
それは、敗北の恐怖でも命乞いでもない。純粋な戦闘狂としての、満ち足りた戦士の笑みだった。
だが、その笑みはすぐに微かな同情の色へと変わる。
「だが……気をつけな。俺の死を感じ取って……あのキザな大将が、いよいよ重い腰を上げるぜ。俺みたいな泥臭い武将とは違う……あいつの絶望は、もっと冷たくて、理不尽だ……」
バルザールの声が、徐々に細くなっていく。
「……見事な戦いだった」
ヴァンが静かに滅竜剣を引き抜くと、バルザールの巨体は完全に凍りつき、音もなく崩れ落ちて真っ黒な灰となり、淀んだ風に吹かれて絶海の空へと消えていった。
魔界からの先陣を切り、猛威を振るった反逆の剛将の討伐。
だが、ヴァンとローランの顔に安堵の色はなかった。バルザールの消滅と同時に、新大陸の最奥部から立ち昇る漆黒と極彩色の魔力の柱が、さらに巨大に、そして悍ましく膨張し始めたからだ。
前哨戦は終わった。




