第179話 狂乱の猛将と、雷鳴轟く白銀の鋸刃
絶海の岸辺を焦がす極炎の火災旋風を、巨漢の魔族バルザールは己の規格外の膂力と断頭矛の旋回のみで強引に吹き飛ばした。
周囲に舞い散る火の粉と緑色の血の飛沫。分厚い肩の装甲をローランに斬り裂かれ、全身に極炎の火傷を負いながらも、バルザールの顔に浮かぶ狂気じみた笑みは消えるどころか、さらに深くなっていた。
「ぬるい戦場にウンザリしてたところだ! もっと俺を楽しませろ、てめえらの骨の髄まで残さずブチ砕いてやるからよ!!」
バルザールが雄叫びを上げると同時、彼の四メートルを超える巨体から、ドス黒く粘り気のある魔力が間欠泉のように噴き出した。
それはただのオーラではない。極限まで圧縮された魔力が物理的な質量を持ち、彼の赤黒い皮膚の上に分厚い第二の装甲としてへばりついていく。
「シィィィィッ!」
ローランが着地の反動を利用し、再び青白い竜の魔力を込めた長剣でバルザールの左脚へと斬りかかった。
ガギィッ!
だが、先ほどまでは深々と肉を裂いたはずの竜の斬撃が、バルザールの皮膚を覆う黒い魔力の装甲に弾かれ、浅い傷を刻むに留まる。
「軽いんだよ、トカゲ野郎!」
バルザールが断頭矛の石突きを地面に突き立て、それを支点にして丸太のような右脚を横薙ぎに振り抜いた。
空気を圧縮して放たれた回し蹴りが、ローランの腹部を捉える。
「グッ……!」
竜の鱗のごとき硬度を持つ軽鎧がひび割れ、ローランの体が弾丸のように後方へと吹き飛ばされた。彼は空中で辛うじて体勢を立て直し、砂浜を滑るようにして着地したが、その口の端からは一筋の血が流れていた。
「ローラン!」
防壁の内側から状況を見守っていたセリアが、悲痛な声を上げる。傷つく仲間たちの姿に唇を噛み締めながらも、彼女は絶対に詠唱の集中を切らすまいと、杖を握る手に力を込めた。
「よそ見してる暇があるのか!?」
バルザールが大地を蹴り砕き、一瞬にしてヴァンの頭上へと跳躍した。
巨体が太陽の光を遮り、巨大な影がヴァンを覆い尽くす。
「ブチ潰れろォォォッ!!」
渾身の力が込められた断頭矛が、大気を悲鳴のように引き裂きながら、脳天から真っ二つにしようと振り下ろされた。
「……遅い」
ヴァンは紅蓮の神狼刀を構えたまま、白銀の神狼の超音速の反射神経で横へとステップを踏む。
ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!
断頭矛が直撃した砂浜が爆発したかのように吹き飛び、数十メートル規模の巨大なクレーターが穿たれる。巻き上がった土煙と砂の飛沫が、散弾のように周囲に降り注いだ。
ヴァンは土煙を縫うようにして一気に距離を詰め、バルザールの無防備な胴体へと極炎を纏う太刀を振り抜いた。
ギュオオオオオッ!
だが、刀身が黒い魔力の装甲に触れた瞬間、激しい火花が散るものの、肉を断つ手応えがない。
(……装甲が厚すぎる。炎の熱が内部に届く前に、魔力の層に弾かれている)
ヴァンは即座に太刀を引き戻し、追撃の矛の柄を躱して後方へと跳躍した。
どれほどの衝撃を受けようとも、彼の動きが鈍ることはない。ヴァンの鋭い観察眼は、現在の魂の組み合わせではバルザールの防御を打ち破れないことを冷静に分析していた。
神速の機動力と炎の面制圧。それは広範囲の敵を焼き尽くすには最適だが、これほど高密度に圧縮された魔力の塊を一点突破するには、物理的な切断力と駆動力が足りない。
「セリア! 魂を入れ替える!」
ヴァンが後退しながら、背後のセリアへと力強く叫ぶ。
「装甲ごと削り取る圧倒的な駆動力と、一点を貫く雷だ!」
「ええ! あなたの体に、すべてを削り砕く雷鳴を!」
セリアが即座にヴァンの意図を汲み取り、両手を真っ直ぐに突き出した。
「あらゆる衝撃を無効化し、機械の無限の駆動力を付与する鋼の機神。超高圧電流と超音速の機動力を誇る紫電の雷獣。相反せし二つの絶大な魂よ、今、この器にて交わりたまえ。多重同化ッ!」
極限の連続多重同化。
ヴァンの肉体を包んでいた神狼と魔神のオーラが消失し、代わりに、重厚で無機質な鋼の光と、バチバチと紫色の火花を散らす超高圧の雷のオーラが同時展開された。
激しい負荷により、体内で筋肉が軋みを上げ、全身の毛細血管が破裂してさらに多くの血が噴き出す。だが、ヴァンは表情の筋肉一つ動かすことなく、その絶大な反動を精神力のみでねじ伏せた。
チャキィィィィィィンッ! ガシャッ、ガシャァァァンッ!
手にした紅蓮の神狼刀が、新たな魂の組み合わせに共鳴し、全く異なる禍々しい形態へと変異していく。
スマートだった刀身が分厚く重厚な鋼鉄の塊へと変わり、その刃の縁に無数の鋭利な鋼の歯が形成される。鋼の機神の無限の駆動力が注ぎ込まれたそれは、巨大なチェーンソーの刃。そして、紫電の雷獣の力がその刃に超高圧の紫色の電流を纏わせる。
岩盤すらも容易く削り取る凶悪な粉砕武器、「白銀の機巧雷鋸」の完成であった。
ギュイィィィィィィィィィィンッ!!!
ヴァンが手元の引き金を引くと、巨大な鋸刃が超音速で回転を始め、周囲の空気を震わせる不気味な駆動音と、紫電のスパーク音が絶海の岸辺に轟いた。
「ほう……! 次から次へと妙な武器を出しやがる! 手品師の真似事か!」
バルザールが断頭矛を振り回し、血走った目でヴァンを睨みつける。
「手品じゃない。お前を解体するための道具だ」
ヴァンは駆動音を響かせる機巧雷鋸を低く構え、紫電のオーラを放ちながら地を蹴った。
紫電の雷獣がもたらす超音速の突進。雷光の尾を引いて迫るヴァンに対し、バルザールは真っ向から断頭矛を突き出した。
「砕け散れェェェッ!」
「……削り取れ」
ヴァンは突き出された矛の柄を避けることなく、回転する巨大な機巧雷鋸の刃を、バルザールの黒い魔力装甲が最も分厚い胸元へと直接押し当てた。
ガガガガガガガガガガガガガガッ!!!
絶海に響き渡る、鼓膜を破らんばかりの凄まじい削岩音。
超音速で回転する鋼の鋸刃が、紫電の超高圧電流を伴いながら、バルザールの強固な魔力装甲を容赦なく削り飛ばしていく。
「グオオオオオオッ!?」
いかなる斬撃も弾き返していた高密度の魔力が、物理的な圧倒的駆動力と雷の貫通力の前に、火花と黒い粒子を撒き散らしながらゴリゴリと削れ、ついにその下の赤黒い皮膚へと刃が到達した。
「舐めるなァァァァッ!!」
胸元を削り取られる激痛に顔を歪ませながらも、バルザールは狂気に満ちた笑いを上げ、両腕の筋肉を限界まで膨張させた。
彼は胸に押し当てられた雷鋸を無視し、自身の肉が削られることすら厭わず、強引に断頭矛をヴァンの胴体へと薙ぎ払った。
ドゴォォォォンッ!
圧倒的な質量の一撃が、ヴァンの左脇腹に直撃する。
並の戦士であれば上半身が吹き飛んでいるほどの衝撃。だが、鋼の機神の力がヴァンの肉体に絶対的な衝撃吸収の恩恵を与えていた。ヴァンの体は僅かに横に滑っただけで、機巧雷鋸の刃をバルザールの胸元から決して離さない。
「化け物が……! てめえ、本当に人間か!?」
バルザールの瞳に、初めて驚愕の色が浮かぶ。自らの肉が削られる痛みに耐えながらの一撃を、涼しい顔で受け止める人間など、彼の長い戦いの歴史の中でも存在しなかった。
「私を忘れてもらっては困るな、魔族の剛将!」
そこへ、傷ついた体を引きずりながらも立ち上がったローランが、バルザールの背後から跳躍した。
青白い竜のオーラを一点に集中させた長剣が、バルザールの右腕の関節、装甲の薄い隙間へと深々と突き刺さる。
「グアアアアッ! この、鬱陶しいハエどもがァァァッ!!」
バルザールが激怒の咆哮を上げ、全身からさらにドス黒い魔力を爆発させる。
その反発力によって、ヴァンとローランは機巧雷鋸と長剣を弾き返され、互いに距離を取った。
胸元から大量の緑色の血を流し、右腕の関節を負傷したバルザール。
だが、その四メートルを超える巨漢の闘志は、一滴たりとも衰えてはいなかった。
「ヒハハハハ……! 素晴らしい! やっぱり戦場はこうでなくちゃならねえ! 腐りかけていた俺の血が、最高に沸き立ってきやがったぜ!」
バルザールは傷口から流れる血を舐め取ると、巨大な断頭矛を両手で天高く掲げた。
周囲の淀んだ空気が渦を巻き、矛の先端へと異常な密度の魔力が収束していく。空間そのものが歪み、ビリビリと肌を刺すような破壊の予兆が新大陸の空気を支配し始めた。
死闘は最終局面。
狂乱の猛将が放つ渾身の絶技を前に、ヴァンは静かに機巧雷鋸の回転速度を極限まで引き上げた。




