第173話 仲間たちの密約と、不器用な戦士の休日
新大陸での過酷な開拓が一段落し、巨大な防壁に守られた都市が穏やかな夜を迎えていた頃。
バクス亭の第一号店の奥にある小さな個室に、この国の首脳陣とも呼べる四人が密かに集まっていた。
「で、どうなんだ。あの大将とセリア嬢ちゃんの仲は」
バクスが腕を組み、大きな牙を見せながらため息をついた。彼の前には、極上の果実酒が注がれた木製のジョッキが四つ置かれている。
「どうもこうもねえよ。相変わらず、互いに背中を預け合う最高の相棒って感じだ。大将は四六時中、都市の防衛線をどう広げるか、武器の手入れはどうするかばっかり考えてやがる」
バルガンがジョッキを煽り、義手でテーブルを軽く叩いた。
「戦場での信頼関係は完璧ですけれど、それとこれとは話が別ですよね。セリアさんはヴァンさんのことを、一人の男性として熱烈に慕っているのが私たちには丸わかりなのに……ヴァンさんときたら、色恋沙汰に関しては本当に鈍感なんですから」
ルミナが呆れたように肩をすくめる。
「彼はずっと、勇者パーティーで雑用係として蔑まれ、戦いと生き残ることだけを考えて生きてきたからな。誰かを愛し、愛されるという平穏な感情に、どう向き合えばいいのかわからないのだろう」
ローランが静かに果実酒を口に運び、目を細めた。
「だが、このままではいけない。彼はこの国の王となるべき男だ。そして、セリア殿はその隣に立つべき女性。戦いばかりの日常から一度引き離し、二人に平穏な時間を強制的に与える必要がある」
四人の顔を見合わせ、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「よし。明日は一つ、大将とセリア嬢ちゃんに『特別任務』を与えてやろうじゃねえか」
翌朝。
抜けるような青空の下、都市の中央広場に呼び出されたヴァンとセリアは、どこか妙な空気を放つ仲間たちを前に首を傾げていた。
「周辺の地形調査、か?」
ヴァンは背負った白銀の長剣の革帯を締め直しながら、ローランから渡された羊皮紙の地図を見つめた。
「そうだ。都市から少し離れた南の森の奥に、美しい湖があるらしい。水源として利用できるか、そして水の中に未知の魔力が潜んでいないか、セリア殿の同化召喚による魔力感知で調査してきてほしい」
ローランは極めて真面目な顔を作って頷く。
「わかった。護衛はガロたちを数人連れて行くか?」
「いや、防壁の拡張工事で手が塞がっている。ヴァン、君一人でセリア殿を護ってくれ。君なら巨大魔物が出ても単体で対処できるだろう。これは二人のみで行う極秘かつ重要な任務だ」
そこに、大きなバスケットを抱えたバクスがやってきた。
「おう大将、調査には時間がかかるだろうからな。特製の弁当を作っといたぜ。新大陸の美味いもんを全部詰め込んである。景色のいいところで食ってこい!」
「弁当……? いや、携帯食料があれば十分だが」
「バカ野郎! 俺の料理が食えねえってのか! 絶対に残さず食ってこい!」
バクスが強引にヴァンの腕にバスケットを押し付ける。
さらに、ルミナがセリアの手を引いてやってきた。
セリアはいつものクラシカルでゆったりとしたローブではなく、ルミナが用意したという、新大陸の絹糸で編まれた純白のワンピースを着せられていた。露出は少ないが、彼女の細く美しい体のラインを綺麗に見せ、銀色の髪と紫色の瞳の神秘さを際立たせている。
「セリアさん、この服は新素材の耐久テストを兼ねていますから、一日中着て歩き回ってくださいね」
「え、ええ……。でも、なんだか動き慣れなくて、恥ずかしいわ……」
セリアが顔を赤らめながら、もじもじと裾を直す。
「さあさあ、任務だ任務! 日が暮れるまで帰ってくるんじゃねえぞ!」
バルガンが義手で二人の背中を押し、半ば強引に都市の南門から森へと送り出した。
門が閉まり、静寂に包まれた森の道を歩き出しながら、ヴァンは小さく息を吐いた。
「……あいつら、何か隠しているな。水源の調査なら、俺の観察眼だけでも十分なはずだ」
ヴァンは鋭い洞察力で仲間たちの不自然な行動を見抜いていたが、それが「自分たちを二人きりにするためのお節介」であることには全く気づいていなかった。
「ご、ごめんなさいヴァン。私、こんなヒラヒラした服で……足手まといにならないかしら」
隣を歩くセリアが、不安そうに見上げてくる。
ヴァンは歩みを止め、セリアを振り返った。
その瞬間、ヴァンの心臓が、今まで経験したことのない奇妙な跳ね方をした。
木漏れ日が、彼女の色素の薄い銀髪をキラキラと輝かせている。純白のワンピースは彼女の透き通るような白い肌によく似合っており、少し不安そうに揺れる紫色の瞳が、信じられないほど綺麗だった。
戦場では、彼女の放つ極限の詠唱と魔力の流ればかりに意識を向けていた。だが、こうして戦いから切り離された穏やかな森の中で、ただ一人の女性として立つ彼女を見た時、ヴァンは自分の目が釘付けになっていることに気づいた。
(……おかしい。毒の胞子でも吸い込んだか?)
痛覚を持たず、いかなる巨大魔物を前にしても微塵も揺るがないヴァンの精神が、今、たった一人の少女の姿を前にして激しく動揺していた。
敵の弱点や魔力溜まりを瞬時に見抜くヴァンの鋭い観察眼は、今はただ、彼女の長いまつ毛の瞬きや、風に揺れる髪の美しさ、そして自分を見つめる瞳の優しさばかりを捉えてしまう。
「ヴァン……? どうしたの、怖い顔をして。やっぱり、似合わないかしら」
セリアがさらに顔を赤くして俯く。
「……いや」
ヴァンは慌てて視線を逸らし、不器用に口元を片手で覆った。
「似合っている。すごく、綺麗だ。……その、悪くない」
普段は口数の少ないヴァンの、あまりにも真っ直ぐで不器用な誉め言葉。
セリアの顔が耳まで真っ赤に染まり、彼女は嬉しさを隠しきれないようにパァッと表情を輝かせた。
「ほ、本当……? ありがとう、ヴァン」
「……先を急ぐぞ。湖はもうすぐだ」
ヴァンは足早に歩き出したが、その背中はどこかぎこちなかった。
自分のこの奇妙な感情の正体が何なのか、ヴァンにはまだ完全には理解できていない。だが、隣を歩く彼女の存在が、今までとは全く違う、ひどく甘くて胸を締め付けるようなものに変わってしまったことだけは、確かに感じ取っていた。
やがて、鬱蒼とした木々を抜けた二人の前に、息を呑むような光景が広がった。
そこは、底まで透き通るようなエメラルドグリーンの湖だった。湖畔には新大陸特有の淡い光を放つ青い花々が群生し、水面には暖かい陽光が反射して宝石のように輝いている。魔物の気配は一切なく、ただ穏やかな風と鳥のさえずりだけが響く、絵画のように美しい場所。
仲間たちが用意した、完璧すぎる舞台。
不器用な戦士と孤独だった召喚師の、たった二人の休日が、静かに始まろうとしていた。




