第172話 繋がる手と手、紡がれる日常の風景
絶峰の剛角獣を討伐してから十数日。
白紙だった新大陸の岸辺には、確かな「都市」の姿が立ち現れていた。
「そこの接合部、もう少し魔力粘土を厚く塗れ! 剛角獣の岩盤は硬いが、隙間ができりゃそこから冷気が入り込むぞ!」
バルガンの義手が指示を出し、人間やドワーフの職人たちが汗まみれになりながら巨大な岩盤を組み合わせていく。
かつて人間から迫害され、同胞からも裏切られた隻腕の建築家は、今や種族の分け隔てなく数千の職人を束ねる棟梁となっていた。彼の設計した防壁は、剛角獣から剥ぎ取ったミスリル以上の硬度を持つ岩盤を主材とし、内側には新大陸特有の硬質な木材で居住区画が整然と配置されている。
中央広場には剛角獣の巨大な角がシンボルタワーとしてそびえ立ち、都市全体に星脈の核からの防御結界を安定供給する役割を果たしていた。
その広場の一角で、ルミナが手作りの黒板の前に立ち、様々な種族の大人たちを相手に市場のルールを講義していた。
「いいですか、皆さん。旧大陸では、商会が物価を操作し、労働力は常に買い叩かれていました。しかし、この国では違います。採取した木材、狩猟した魔物の肉、すべてに最低買取価格を保証する組合を設けます」
ハーフエルフの少女の透き通るような声に、獣人や人間の難民たちが真剣な眼差しで聞き入っている。
「労働には正当な対価が支払われ、誰もが平等にパンを買える。それが、私たちが創る公平な市場です。ごまかしや搾取は、このルミナが絶対に許しませんからね!」
彼女の商人としての誇りと熱意は、搾取されることに慣れきっていた民衆たちの心に、確かな希望の火を灯していた。
「おうおう、しっかり学んだ後はしっかり食え! 今日は新大陸近海で獲れた新種の巨大魚の香草焼きだ!」
広場に面したバクス亭の第一号店から、極上の香りが漂ってくる。
バクスが巨大な鉄板の上で、人間の背丈ほどもある白身魚を豪快に切り分け、赤い魔力石の炎で一気に焼き上げている。青い果実のソースが焦げる香ばしい匂いに誘われ、講義を終えた人々が次々と行列を作っていく。
その平和な喧騒から少し離れた資材置き場で、ヴァンは一人、職人たちが運ぶのに苦労していた巨大な木材を、汗一つかかずに肩に担いで運んでいた。
重さ数トンはあろうかという巨木を、ヴァンは呼吸を乱すことすらなく軽々と指定の場所へと下ろす。痛覚を持たず、長年の過酷な鍛錬と多重同化で鍛え上げられた彼の肉体は、土木作業においても規格外の力を発揮していた。
「ご苦労様、ヴァン。君の腕力には本当に助けられているよ」
羊皮紙の束を抱えたローランが、穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「ローランか。法律の草案は進んでいるのか」
ヴァンは木材についた土を払いながら、短い言葉を返す。
「ああ。皆が積極的に意見を出してくれるおかげでね」
ローランは手に持った羊皮紙を見つめ、竜の瞳孔を優しく細めた。
「最初は、種族が違う者同士で生活を共にすることに戸惑いもあった。だが、共に働き、共にバクスの料理を食べ、共に防壁を築くうちに、目に見えない壁が確実に溶けてきている。……私が隠れ里で抱えていた理想が、現実のものとして形になっているんだ。君がこの大地を切り拓いてくれたおかげだ」
「俺は邪魔なものを斬っただけだ。国を束ねているのはお前だ、ローラン。胸を張れ」
ヴァンは不器用に顔を背け、次の木材へと向かおうとした。
その時、二人のもとへ、籠を抱えたセリアが小走りでやってきた。
「ヴァン、ローラン様。お疲れ様です。バクスさんが、お昼の差し入れを持っていけって」
セリアが籠の布をめくると、焼きたてのパンと、先ほどの巨大魚の香草焼きを挟んだ分厚いサンドイッチ、そして冷たい果実水が入っていた。
「ありがとう、セリア。ちょうど腹が減っていたところだ」
ヴァンは素直にサンドイッチを受け取り、大きく齧り付いた。相変わらず表情の変化は乏しいが、少しだけ目が細まっているのを見て、セリアは嬉しそうに微笑む。
「セリア殿も、ずっと結界の調整を手伝ってくれていたのだろう。少し休んだらどうだ?」
ローランが気遣うように声をかけると、セリアは首を横に振った。
「私は平気です。私の同化召喚は、戦いの時にしかヴァンの力になれませんから。せめて日常では、皆さんの役に立ちたいんです」
その言葉に、ヴァンはサンドイッチを口から離し、真っ直ぐにセリアを見た。
「お前が傍にいるだけで、俺は十分助かっている。無理はするな」
不器用で、しかし嘘偽りのない実直な言葉。
セリアは一瞬目を丸くし、それから頬をほんのりと赤く染めて俯いた。
「……もう。ヴァンはたまに、そういうことを急に言うんだから」
少し離れた場所から、そのやり取りを見ていたバクス、バルガン、ルミナ、そしてガロが、物陰に隠れてニヤニヤと笑い合っていた。
「おいおい、見たかよ。あの大将が、あんな甘いセリフを吐きやがったぞ」
バクスが小声で牙を剥き出して笑う。
「ひははっ、戦場じゃあれだけ恐ろしい戦士なのに、色恋沙汰となると途端に不器用になりやがる。見てるこっちがむず痒くなってくるぜ」
バルガンが義手で口元を隠しながら肩を揺らす。
「ヴァンさんもセリアさんも、お互いを世界で一番大切に思っているのは誰の目にも明らかなのに、男女としての進展は全くありませんね。……これはいけません。商人として、需要と供給のバランスを整えてあげないと」
ルミナが帳簿をパタンと閉じ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
ガロも腕を組みながら、深く頷いている。
「ローラン様も、あの二人の仲には気を揉んでおられた。……よし、一つ我々で、あの不器用な戦士と召喚師の背中を押してやろうではないか」
新大陸に降り注ぐ柔らかな陽光の下、自由と平等を掲げる多民族国家の産声は、活気と笑顔に満ちていた。
過酷な死闘を乗り越え、それぞれの過去の鎖を断ち切った仲間たち。彼らが一つとなって築き上げる美しい都市の日常は、これからも永遠に続くかに思われた。
そして、平和な日々の中で、不器用な二人の距離を縮めようとする仲間たちのささやかなお節介作戦が、密かに幕を開けようとしていた。




