第170話 頂点の終焉と、新たなる防壁の礎
凄まじい地響きと共に、新大陸の生態系の頂点に君臨していた絶峰の剛角獣が砂浜に倒れ伏した。
巻き上がった土煙が潮風に流されていくと、そこにはへし折られた巨大な角の根本、剛角獣の頭部の上に静かに立つヴァンの姿があった。
二百メートルに迫る巨体は、もはや二度と立ち上がる気力を失い、ただ浅く荒い呼吸を繰り返している。無敵を誇った鋼の岩盤は剥がれ落ち、自らの誇りであった天を突く角は無惨にも根本から叩き折られ、地面に巨大なクレーターを作って転がっていた。
「見事だ、ヴァン。奴の闘争本能は完全に砕け散っている」
青白い竜のオーラを解き、ローランが剛角獣の巨大な顔の横へと降り立った。彼の流麗な軽鎧もひび割れ、随所に激しい戦闘の爪痕が残っているが、その表情にはかつてないほどの清々しい達成感が浮かんでいた。
「ああ。だが、このまま放置するわけにはいかない」
ヴァンは全身から血を滴らせながらも、その手から白銀の神狼斧を離すことはなかった。
「俺たちの国を創るためには、この領域の安全を完全に確保し、奴の遺骸を素材として余すことなく利用させてもらう必要がある。それが、この過酷な新大陸で生き抜くための礼儀だ」
ヴァンは後方で祈るように見つめているセリアへと視線を向けた。
「セリア、最後の一撃だ。これ以上、奴に無駄な苦痛を与えず、一瞬で命を断つ。魔物への特効と、細胞の活動を停止させる力をくれ」
「ええ……! 任せて、ヴァン!」
セリアが涙ぐむ瞳を拭い、両手を真っ直ぐに突き出して最後の詠唱を紡ぎ出す。
「魔の血を絶ち、あらゆる外殻を貫く竜殺しの英雄。万物の律動を止め、触れるものすべてを静寂へと誘う絶対零度の氷晶竜。二つの魂よ、今、交わりたまえ。多重同化ッ!」
ヴァンの肉体を包んでいた神狼と巨斧のオーラが消失し、代わって、魔を屠る闘気を象徴する深い真紅のオーラと、透き通るような絶対零度の冷気が同時に展開された。
常軌を逸した連続の多重同化。ヴァンの体内で筋肉の繊維がさらに断裂し、皮膚が限界を迎えて無数の裂傷から鮮血が噴き出す。だが、ヴァンは表情の筋肉すら動かさず、ただ静かに、その途方もない負荷を己の精神力のみで完全に支配した。
チャキィィィィィィンッ!
手にした白銀の剣が、最後の魂の組み合わせに共鳴して変異する。
身の丈を超える巨大な大剣。その刀身は、竜の鱗すら容易く引き裂く無数の返しがついた禍々しい形状を持ちながら、全体が絶対零度の冷気を放つ分厚い氷の結晶で覆われていた。「絶対零度の滅竜剣」の完成である。
「安らかに眠れ。お前の体は、俺たちの国を護る礎になる」
ヴァンは剛角獣の頭頂部、岩盤が剥がれて生命の核が最も近い場所へと狙いを定め、巨大な滅竜剣を真っ直ぐに突き下ろした。
ドスゥゥゥゥンッ!!!
竜殺しの英雄がもたらす魔物特効の物理貫通力が、剛角獣の分厚い頭蓋骨を紙のように容易く貫き、その奥深くにある生命の核へと到達する。
ピキィィィィィィンッ!!
剣先が核に触れた瞬間、絶対零度の冷気が剛角獣の巨体全体へと一瞬にして流れ込んだ。
苦痛の悲鳴を上げる間もなく、剛角獣の巨大な心臓、そして全身を巡る血流から神経の末端に至るまで、すべての分子運動が完全に停止する。
ズゥゥン……。
最後の微かな吐息とともに、新大陸の生態系の頂点であった超巨大原生モンスターは、真っ白な霜に覆われ、完全にその命を終えた。
「終わったわ……!」
セリアが安堵の声を上げ、同化召喚を解除する。
光が散ると同時に、元の白銀の長剣に戻った剣を背中に収めたヴァンが、大きく体勢を崩した。
極限の多重同化を連続して使用した反動が一気に押し寄せ、彼の強靭な両足から力が抜け落ちる。
「ヴァン!」
セリアが誰よりも早く剛角獣の頭上へと駆け上がり、倒れそうになるヴァンの血まみれの体をその細い肩で必死に支え止めた。
彼女は自身の着ていた清潔なローブの裾を躊躇いなく引き裂き、ヴァンの腕や胴体から流れる血を止めるために素早く、そして優しく縛っていく。
「無茶ばかりして……。でも、ありがとう。本当に、よく頑張ってくれたわね……」
セリアの紫色の瞳から、大粒の涙がヴァンの頬へとこぼれ落ちた。
「泣くな。俺が倒れるわけにはいかないだろ」
ヴァンは不器用に微笑み、セリアの手に自分の血に塗れた手をそっと重ねた。
「うおおおおおおおっ!! 大将が、あの化け物を倒したぞォォォッ!!」
方舟の中から、数千の民衆たちの割れんばかりの歓声が絶海の岸辺に響き渡った。
「ひはははははっ! さすがは俺たちの大将とローランの旦那だぜ!」
バルガンが満面の笑みで駆けつけ、砂浜に落ちている巨大な角の根本を義手でガンガンと叩いた。
「見ろこの硬さと密度! これほど完璧な建築資材は、旧大陸のどこを探してもありゃしねえ! 奴から剥がれ落ちた鋼の岩盤とこの角を使えば、いかなる天災にも魔物にも揺るがない、世界最強にして難攻不落の防壁が築けるぞ!」
「おいおいバルガンの旦那、建材だけじゃねえぜ!」
バクスも巨大な包丁を担ぎ、舌舐めずりをしながら剛角獣の巨体を見上げている。
「これだけデカい図体だ、肉の量も一生食いきれねえくらいあるぞ! しかも絶対零度で瞬間冷凍されてやがるから、鮮度も完璧に保たれてる! 今夜は新大陸最大の祝賀会だ! 俺が腕によりをかけて、この頂点の肉を極上のステーキにしてやるからな!」
「解体と素材の分類は、私たち商人チームと職人チームで協力して行います! これだけの希少素材、これからの初期の国庫を潤す最高の財産になりますよ!」
ルミナも帳簿を抱きしめ、飛び跳ねるようにして喜んでいる。
仲間たちの逞しい声を聞きながら、ローランがヴァンの傍らへと歩み寄り、静かに片膝をついた。
「あなたの剣と、セリア殿の力がなければ、我々はここで間違いなく全滅していた。……改めて、心からの敬意と感謝を捧げる、ヴァン」
「礼はいい、ローラン。お前が囮になって防壁の代わりを務めてくれたからこそ、叩き込めた一撃だ」
ヴァンはセリアに肩を借りながらゆっくりと立ち上がり、新大陸の澄み渡る青空を見上げた。
絶峰の剛角獣という最大級の自然災害を退け、その残骸は今や新しい国を護るための強固な防壁となり、民の腹を満たす極上の糧となろうとしている。
過酷な大自然の洗礼を乗り越え、彼らはついに、この白紙の大地に確固たる安全な拠点の礎を打ち立てたのだ。
「さあ、始めよう。俺たちの国創りを」
ヴァンの静かな、しかし力強い言葉に、ローランが力強く頷き、セリアが微笑む。
迫害された者たちが集う多民族国家の建国。その偉大なる歴史の第一歩が、今、完全なる勝利のカタルシスと共に力強く踏み出されたのである。




