第169話 神狼の瞬撃と、へし折られる絶対の誇り
自身の命を削って放った極大の魔力砲が、たった一人の戦士の腕力によって両断され、虚空へと散った。
新大陸の生態系の頂点として君臨してきた絶峰の剛角獣は、巨大な瞳を驚愕に見開き、硬直していた。数千年もの間、何者にも脅かされることのなかった絶対者の本能が、目の前で血に染まりながらも揺るぎなく立つちっぽけな戦士に対し、明確な「死の恐怖」を抱いたのだ。
だが、恐怖はすぐに、己の尊厳を汚されたという極限の怒りへと変わった。
「グオオオオオオオオオオオッ!!」
魔力を使い果たした剛角獣は、純粋な暴力へと回帰した。全長二百メートル、数千トンにも及ぶ鋼の岩盤の巨体を軋ませ、その巨躯そのものを巨大な質量兵器としてヴァンたちへと突進を開始する。
大地が砕け、空気が悲鳴を上げる。魔力が尽きようとも、その途方もない質量と、天を突く二本の巨大な角がもたらす破壊力は、依然として歩く自然災害そのものであった。
「ヴァン、奴の狙いはもはや我々だけではない。あの巨体で方舟ごとすべてを踏み潰す気だ!」
突進の余波で巻き起こる暴風に耐えながら、ローランが叫ぶ。
「させない。あの巨大な角を根本からへし折り、完全に無力化する」
ヴァンは全身から止めどなく血を流しながらも、その双眸に一切の揺らぎを見せず、後ろを振り返った。
「セリア、魔神を解除しろ。あの巨体を駆け上がり、的確に角の根本を叩き割るための『神速』と『剛力』を合わせる!」
「ええ! あなたの体に、最速の刃を!」
セリアが血まみれの戦士の背中を見つめ、銀色の髪を逆巻かせて極限の詠唱を紡ぎ出す。
「神速の反射神経と究極の索敵を誇る白銀の神狼。空を穿ち大地を両断する無双の巨斧。相反せし二つの絶大な魂よ、今、この器にて交わりたまえ。多重同化ッ!」
ヴァンの肉体を包んでいた極炎の赤黒いオーラが弾け飛び、代わって、透き通るような白銀の光と、重厚で破壊的な赤黒い光が複雑に絡み合った。
ゴキッ、メキメキメキッ……!
異なる魂を短時間で連続して上書きするという異常な負荷により、ヴァンの体内で筋肉の繊維が限界を超えて軋む。鎧の隙間からはさらに多くの血が噴き出すが、ヴァンは表情一つ変えることなく、その絶大な反動を精神力のみでねじ伏せた。
チャキィィィィィィンッ!
手にした極炎の戦斧が、新たな魂の組み合わせに共鳴して形態を変化させる。
無骨だった刃が洗練された流線型へと変わり、柄が長く伸びた。白銀の神狼の毛並みのような美しい銀色のオーラを纏いながらも、刃そのものは両断の巨斧の圧倒的な質量を残している。
神速の機動力と絶対の物理破壊力を併せ持つ、「白銀の神狼斧」の誕生であった。
「ローラン、道を作れ!」
「承知した!」
ローランが青白い竜のオーラを最大まで高め、迫り来る剛角獣の正面へと単騎で駆け出した。
「シィィィィッ!」
ローランは剛角獣の巨大な右前足の関節、先ほどの機巧毒槍で岩盤が剥がれ落ちて剥き出しになっていた緑色の肉の部位を正確に狙い、竜の魔力を込めた長剣を深々と突き立てた。
「ギャアアアアッ!?」
古傷を完全に貫かれた剛角獣が、激痛に体勢を崩し、巨大な頭部を大きく地面の方向へと下げる。
「そこだッ!」
ローランが作ったその一瞬の隙を、ヴァンは決して逃さなかった。
白銀の神狼がもたらす超音速の脚力で砂浜を蹴り飛ばし、一条の銀色の閃光となって剛角獣へと肉薄する。
ヴァンはローランの肩を飛び箱のように蹴ってさらに加速し、地面スレスレまで下がってきた剛角獣の巨大な鼻面へと飛び乗った。
「グオオオオオッ!!」
顔面にへばりついた外敵に気づき、剛角獣が狂乱して巨大な首を激しく振り回す。
その動きがもたらす遠心力は凄まじく、普通の人間であれば一瞬で空の彼方へ弾き飛ばされるほどのGがヴァンの肉体を襲う。
だが、ヴァンの足元は微塵もブレなかった。白銀の神狼の究極の反射神経とバランス感覚が、激しく揺れ動く巨大な岩盤の上でも完璧な足場を確保させている。
ヴァンは剛角獣の鼻面から額へと、垂直な崖を駆け上がるような驚異的な速度で疾走していく。
目標は、生態系の頂点の象徴であり、最大の武器である天を突く二本の巨大な角の根本。
「落ちろッ!!」
剛角獣が前足を高く跳ね上げ、自らの額にいるヴァンを叩き潰そうと巨大な蹄を振り下ろしてくる。
家屋ほどの大きさがある蹄が、ヴァンの頭上から迫る。
「遅い」
ヴァンは神速の反応で横に跳躍し、直撃を紙一重で躱した。
蹄が剛角獣自身の額に激突し、その衝撃でさらに岩盤が砕け散る。ヴァンはその砕け散って空中に舞い上がった岩の破片を次々と蹴り渡り、空中を駆け上がるようにして、ついに二本の巨大な角の根本へと到達した。
「これで、終わりだ」
空中に躍り出たヴァンが、白銀の神狼斧を大きく背後へ振り被る。
両断の巨斧の魂が、ヴァンの全身の筋肉に大地の底すらも断ち割る無双の剛力を注ぎ込む。銀色のオーラが斧の刃に収束し、眩いばかりの輝きを放った。
「砕け散れェェェェッ!!」
裂帛の気合いと共に、ヴァンは空中で体を激しく捻りながら、巨大な戦斧を角の根本へと全力で振り下ろした。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
戦斧の刃が角の根本に激突した瞬間、大気を震わせる凄まじい衝撃波が円形に広がった。
ミスリル以上の硬度を誇る剛角獣の角。しかし、神速の勢いを乗せ、一点に極限の質量を集中させた多重同化の一撃の前に、その絶対の硬度はついに悲鳴を上げた。
バキバキバキィィィィィィンッ!!!
新大陸の空に、信じられないような甲高い破壊音が響き渡った。
数千年の間、いかなる魔物にも傷つけられることのなかった剛角獣の巨大な二本の角が、根本から完全にへし折られたのだ。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
生態系の頂点の誇りであり、最大の武器であった角を失った剛角獣が、これまでで最も悲痛な絶叫を上げた。
切断された巨大な角が二本、轟音を立てて砂浜へと落下し、地響きと共に深いクレーターを作り出す。
角を失ったことによるバランスの崩壊と、精神的な完全な屈服。剛角獣の二百メートルに迫る巨体は、ついにその重みに耐えきれなくなり、ゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちていく。
ズドォォォォォォォォンッ!!!
凄まじい土煙を巻き上げながら、剛角獣が砂浜に完全に倒れ伏した。
その巨体は二度と立ち上がる気力を失い、ただ荒い呼吸を繰り返すのみの巨大な肉の塊へと成り果てた。
土煙が晴れていく。
そこには、へし折られた角の根本、剛角獣の巨大な頭部の上に静かに降り立ち、白銀の神狼斧を振り抜いた姿勢のまま息を吐くヴァンの姿があった。
全身を血で染め、鎧はボロボロになりながらも、その背中は誰よりも大きく、そして揺るぎない王者の風格を漂わせていた。




