第166話 禁忌の機巧毒槍と、剥がれ落ちる絶望
方舟への距離を無慈悲に縮めていく全長二百メートルの超巨大原生モンスター、絶峰の剛角獣。
その圧倒的な質量とミスリルをも凌駕する鋼の岩盤外殻を打ち砕くため、ヴァンとセリアは最強にして最大の負荷を伴う禁忌の術、多重同化を解き放つ決意を固めた。
セリアが両手をヴァンへと突き出し、銀色の髪を逆巻かせながら極限の詠唱を紡ぎ出す。
「あらゆる衝撃を無効化し、無限の駆動を刻む鋼の機神。万物を腐食させ、形あるものを泥へと還す猛毒の沼王。相反する二つの絶大な魂よ、今、この器にて交わりたまえ。多重同化ッ!」
セリアの叫びとともに、ヴァンの肉体を二つの極端なオーラが同時に包み込んだ。
機械の歯車が噛み合うような無機質な銀色の光と、ドロドロと泡立つ不吉な紫色の瘴気。本来であれば決して交わることのない二つの強大な魔力が、ヴァンの体内という一つの器の中で激しく衝突し、暴れ狂う。
ギチギチギチッ……!
ヴァンの全身の筋肉が異様に隆起し、皮膚のすぐ下で細い血管が弾け飛んで赤黒い斑点が浮かび上がる。常人であれば一瞬で肉体が千切れ飛び、精神が崩壊するほどの凄まじい負荷。しかし、ヴァンは表情の筋肉すらピクリとも動かすことなく、その絶大な反動をただ静かに押さえ込んでいた。
チャキィィィィィィンッ!
ヴァンの背負っていた白銀の長剣が、二つの魂に共鳴して劇的な変異を遂げる。
刀身が極太の円錐状のドリルへと姿を変え、柄の周囲には複雑な機械の歯車と排気機構が組み上げられた。ドリルの溝からは、触れるものすべてを溶かす猛毒の沼王の紫色のガスがシューシューと音を立てて噴き出している。
無限の駆動力と極大の腐食力を併せ持つ究極の物理破壊兵器、「白銀の機巧毒槍」の完成であった。
「ローラン! 右前足を狙う!」
機巧毒槍を右手に構えたヴァンが、低く鋭い声を上げる。
「承知した! 奴の意識は、すべて私が引き受ける!」
ローランが青白い竜のオーラを全身から爆発させ、砂浜を蹴って空高く舞い上がった。
「シィィィィッ!」
ローランは空中で身を捻りながら、剛角獣の巨大な顔面、特に岩盤で覆われた瞼の隙間を狙って、雨霰のように斬撃の嵐を放つ。
ガギィィィィンッ! ガンッ! ガガガガガッ!
岩盤に弾かれる金属音が連続して響くが、ローランの目的はダメージを与えることではない。ハエのようにまとわりつく竜人の鋭い剣撃に、剛角獣は苛立ちの咆哮を上げ、その巨大な視線を完全に上空のローランへと向けた。
「今だ、ヴァン!」
ローランの叫びと同時、ヴァンが爆発的な踏み込みで地を蹴った。
鋼の機神の魂がヴァンの脚力に機械的な反発力を付与し、その体はもはや目で追うことすら不可能な銀と紫の閃光と化していた。
狙うは、先ほど両断の巨斧の全力の一撃すら無傷で弾き返した、剛角獣の右前足。
ヴァンは全身のバネを極限まで使い、回転する白銀の機巧毒槍を鋼の岩盤へと真っ向から突き立てた。
ギュイィィィィィィィィィンッ!!!
鼓膜を突き破るような、凄まじい削岩音が絶海の岸辺に響き渡った。
機巧毒槍のドリルが岩盤に激突し、オレンジ色の火花が滝のように降り注ぐ。先ほどの戦斧の一撃では刃が通らなかった絶対の防御。しかし、今回は違った。
ドリルの排気機構から噴出する紫色の猛毒ガスが岩盤の表面に付着し、ミスリル以上の硬度を持つ鋼の岩石を瞬時に腐食させ、スポンジのようにもろく変質させていく。
そこへ、鋼の機神がもたらす無限の駆動力がドリルをさらに高速で回転させ、もろくなった岩盤をゴリゴリと強引に削り取っていくのだ。
「砕けろッ!!」
ヴァンが腕の筋肉をちぎれんばかりに膨張させ、さらに槍を押し込む。
バキィィィィィィィンッ!!!
ついに、剛角獣の右前足を覆っていた分厚い岩盤の装甲が、巨大なクレーター状に砕け散った。
それだけではない。岩盤を突破した機巧毒槍のドリルは、そのまま剛角獣の生身の肉へと深く突き刺さり、猛毒と共にその筋肉を激しく抉り取った。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
新大陸の生態系の頂点が、初めて苦痛と驚愕の入り混じった悲鳴を上げた。
突き刺さった傷口から、緑色の鮮血が滝のように噴き出し、砂浜を濡らす。二百メートルに迫る巨体が、右前足の深手によって大きく体勢を崩し、ズシンッ!と地鳴りを立てて片膝を突いた。
「やった! あのデカブツの岩が剥がれたぞ!」
遠く離れた方舟の甲板から、バクスとバルガンが歓喜の声を上げる。ルミナも両手を握りしめ、祈るように前線を見つめていた。
「見事だ、ヴァン! これなら倒せる!」
空中で体勢を立て直したローランが、着地と同時に叫ぶ。
ヴァンもドリルを引き抜き、吹き出す緑色の血を浴びながら後方へと素早く跳躍した。彼の呼吸はひどく荒く、多重同化の凄まじい負荷によって全身の毛穴から血の汗が滲み出していたが、その双眸は獲物を狙う捕食者のように鋭く光っていた。
だが、生態系の頂点は、ただの一撃で沈むほど甘い存在ではなかった。
「ガァァァァァァァァァァァァッ!!」
右前足を負傷した剛角獣は、これまでにないほどの激しい怒りに狂い、天を突く二本の巨大な角をめちゃくちゃに振り回し始めた。
ただ首を振っているだけではない。その角から放たれる圧倒的な物理エネルギーが、周囲の大気を圧縮し、カマイタチのような超巨大な不可視の衝撃波となって全方位へと放たれたのだ。
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!
拠点周辺の砂浜が爆発したように抉れ、残っていた防壁の基礎はおろか、森の入り口にあった古代樹の群れすらも一瞬にして木っ端微塵に粉砕される。
「くっ……!」
ヴァンは機巧毒槍を盾にして衝撃波に耐えるが、鋼の機神の衝撃無効化能力をもってしても完全に殺しきれず、数十メートルも後方へと弾き飛ばされてしまう。
ローランも剣を地面に突き立てて踏みとどまるが、その鎧の表面には無数の切り傷が刻まれていた。
「ヴァン!」
セリアが悲痛な声を上げる。
「問題ない! 止まるなセリア!」
ヴァンは砂浜を滑るようにして着地し、血の滲む口元を拭って不敵に笑った。
「奴の岩盤をぶち抜く方法は証明した。あとは、あの装甲を一枚残らずひっぺがし、本体を叩き斬るだけだ!」
怒り狂い、周囲の地形そのものを破壊し尽くさんとする絶峰の剛角獣。
圧倒的な質量を誇る歩く自然災害に対し、ヴァンとローランは一歩も引くことなく、多重同化の極限の力を駆使した果てしない死闘へとその身を投じていくのであった。




