第165話 蹂躙される防衛線と、極限の魂の要求
ズガァァァァァァァンッ!!
バルガンたちが心血を注いで組み上げていた強固な石造りの防壁が、絶峰の剛角獣のただの一歩によって、まるで薄いガラスのように粉砕された。
飛び散る巨大な石の破片が砂浜に降り注ぎ、拠点として整備されかけていた野営地が次々と瓦礫の山へと変わっていく。
「グルオオオオオオオオオオッ!!」
天を突く二本の巨大な角を振り乱し、剛角獣が咆哮を上げた。
その声だけで大気が震動し、暴風が巻き起こる。剛角獣の目的は明確だった。この新大陸において異物であり、不快なほどに巨大な魔力を放っている「方舟」を完全に排除すること。生態系の頂点として、己の領域を侵す者を本能のままに踏み潰そうとしているのだ。
「させないッ!!」
ローランが竜のオーラを全身から噴出させ、空高く跳躍した。
彼の流麗な軽鎧が強烈な魔力に耐えきれず軋み声を上げる。ローランは空中で身を捻り、持てるすべての竜の魔力を長剣に一点集中させた。
「シィィィィィィッ!!」
放たれたのは、青白い光の奔流となって空を裂く、極大の斬撃破。ローランの全力の一撃が、剛角獣の比較的装甲が薄いと思われる眼球を正確に狙い打つ。
だが、剛角獣は鬱陶しそうに巨大な首を振ると、分厚い鋼のような瞼をゆっくりと閉じた。
ガギィィィィンッ!
眼球を直撃するはずだった必殺の斬撃は、瞼の表面に覆われた岩盤によって完全に弾き返され、無惨に虚空へと散っていく。
「瞼すら岩盤で覆われているのか……! なんというデタラメな防御力だ!」
着地したローランが、信じられないという顔で歯噛みする。
「なら、動きそのものを止める!」
ヴァンが神速の踏み込みで剛角獣の足元へと肉薄した。
「セリア!」
「万物の律動を止めよ! 同化召喚……絶対零度の氷晶竜!」
瞬時にヴァンの肉体に絶対零度の冷気が宿り、白銀の長剣が巨大な氷の結晶剣へと変異する。
ヴァンは剛角獣の巨大な前足の関節を狙い、絶対零度の冷気を極限まで込めて斬りつけた。
ピキィィィィィィンッ!!
凄まじい冷気が剛角獣の前足を包み込み、周囲の砂浜ごと巨大な氷塊の中に閉じ込める。細胞の活動すら停止させる氷晶竜の冷気であれば、いかなる巨大魔物であろうと動きを封じられるはずだった。
しかし。
メキッ……メキメキメキッ!!
剛角獣がただ前へ歩みを進めようと足に力を込めただけで、絶対零度で凍りついていたはずの強固な氷塊が、内側からの途方もない膂力によってアッサリと砕け散ってしまった。
「チッ……質量が違いすぎる。状態異常すら力任せに引きちぎるか」
ヴァンは咄嗟に後方へ跳躍し、剛角獣が踏み下ろした足による大地の陥没から間一髪で逃れた。
「大将! このままじゃマズイぞ!」
方舟の操舵室から、結界の維持に全力を注ぐバルガンの悲痛な声が響いた。
「結界の出力を最大まで上げてるが、あのデカブツが直接ぶつかってきやがったら、星脈の核ごと押し潰されちまう! 方舟が耐えきれねえ!」
方舟の内部では、ルミナやバクスが震える民衆たちを必死に励ましながら守っている。
かつて勇者パーティーを追放され、誰からも必要とされていなかったヴァン。スラム街で泥水を啜り、孤独の中で死を待つだけだった彼に、生きる意味を与えてくれたのはセリアであり、そして彼を信じてついてきてくれた仲間たちだった。
(俺が護ると決めたんだ。……この理不尽な世界で、誰もが笑える国を創るために)
ヴァンは後退し続ける足に力を込め、砂浜を強く踏みしめて立ち止まった。
ズズンッ……! ズズンッ……!
方舟まで、あと数百メートル。剛角獣の歩みは止まらない。
単体の魂では届かない。絶対零度の氷晶竜による拘束も、両断の巨斧の剛力も、紅蓮の爆炎竜の熱量も、一つの力だけではあの絶望的な鋼の岩盤を突破し、本体に致命傷を与えるには至らない。
ならば、どうするか。答えは一つしかなかった。
ヴァンは手にした氷の結晶剣の同化を解除し、元の無骨な白銀の長剣へと戻した。
そして、彼を心配そうに見つめるセリアの方へと振り返った。
「セリア」
ヴァンの低く、しかし揺るぎない覚悟を秘めた声に、セリアはハッとして息を呑んだ。
彼女は、ヴァンが何を求めているのかを瞬時に理解した。
二つの強大な魂を一つの器に同時に宿す「多重同化」。ヴァンはこれまでの過酷な旅路の中でも、多重同化を駆使して数々の伝説級の魔物を屠ってきた。
しかし、目の前の剛角獣の規格外の質量と硬度は、これまでの戦闘で使用してきた多重同化の出力すらも通用しない可能性が高い。だからこそヴァンは、最も反動が大きく、かつてない負荷を自身の肉体に強いる「極限の物理破壊に特化した二つの魂」の同時展開を要求しようとしていたのだ。
「ヴァン……その組み合わせは、いくらあなたでも肉体への反動が……」
セリアが顔を青ざめさせ、震える声で言葉を紡ぐ。
「構わない。俺には痛覚がない。体が砕けようと、あいつを止めるまでは絶対に倒れない」
ヴァンは白銀の長剣を強く握りしめ、真っ直ぐにセリアの紫色の瞳を見つめ返した。
「俺の器を信じろ、セリア。お前の持つ最高の魂を、俺の体に叩き込め」
その言葉に、セリアの迷いが完全に吹き飛んだ。
彼女の戦士は、いつだって不器用で、しかし誰よりも頼もしかった。彼が護ると決めたのなら、自分はその剣に最高の力を与えるだけだ。
「……ええ。あなたの命、私が預かるわ!」
セリアが覚悟を決め、両手を真っ直ぐにヴァンへと突き出した。
方舟への距離が刻一刻と縮まる中、新大陸の絶望的な生態系の頂点を打ち砕くため、ヴァンとセリアによる極限の多重同化が、今まさに解き放たれようとしていた。




