第164話 歩く自然災害と、絶望の鋼岩盤
ズズンッ……! ズズンッ……!
大地を揺るがす足音が響くたび、新大陸の強固な岩盤が悲鳴を上げてひび割れていく。
鬱蒼とした樹海の奥から、数十メートルの高さがある巨大な古代樹が次々とへし折られ、土煙と共に押し出されてきた。それは森を切り拓いているのではない。ただ、その前進する軌道上にあった障害物が、圧倒的な質量によって粉砕されているだけだった。
やがて、土煙の向こう側から現れたその姿に、拠点にいた全員が絶望に息を呑んだ。
全長二百メートルに迫る、途方もない巨体。
四足歩行のその体は、まるで一つの山が意思を持って動いているかのようだった。全身はミスリル以上の硬度を誇る鋼の岩盤で覆い尽くされ、頭部には天を穿つような二本の巨大な角がそびえ立っている。
息を吐くたびに鼻面から高熱の蒸気が噴き出し、周囲の空気が歪む。旧大陸の災害級モンスターなど児戯に思えるほどの、純粋な暴力と質量の塊。新大陸の生態系の頂点に君臨する超巨大原生モンスター、「絶峰の剛角獣」であった。
「バカな……。あれが、一つの生き物だとでも言うのか……!」
バルガンが義手を震わせながら、信じられないものを見る目で呟いた。
魔力を持たない職人や難民の中には、剛角獣が放つ圧倒的な死のプレッシャーに耐えきれず、その場にへたり込んでしまう者も少なくない。
「全員、ただちに方舟の内部へ避難しろ! バルガン、方舟の防御結界を最大出力まで引き上げろ!」
ローランの張り裂けるような号令で、凍りついていた拠点の時間が一気に動き出した。
「わ、わかった! ルミナ、バクス! 民衆を誘導しろ! 俺は機関室に向かう!」
「はい! 皆さん、慌てずにタラップへ向かってください!」
ルミナとバクスが必死に声を張り上げ、パニックになりかける数千の民衆を方舟の中枢へと避難させていく。
「ヴァン。あの巨体がこのまま真っ直ぐ進めば、建設途中の防壁など紙切れのように踏み潰され、方舟ごと海に叩き落とされるぞ」
ローランが青白い竜のオーラを最大まで爆発させ、最前線に立ち塞がった。彼の流麗な軽鎧が、強烈な魔力の波動によって激しく鳴動している。
「ああ。ここで進行を止める。セリア、まずは一撃で足を止める! 俺に最大の物理破壊力をくれ!」
ヴァンが背負っていた白銀の長剣を引き抜きながら叫ぶ。
「ええ! 空を穿ち大地を両断する無双の剛力。今、この器にて交わりたまえ。同化召喚……両断の巨斧!」
セリアの詠唱が完了した瞬間、ヴァンの肉体を圧倒的な剛力を象徴する赤黒いオーラが包み込んだ。
チャキィィィィンッ!
白銀の長剣が激しく流動し、身の丈を遥かに超える巨大な戦斧へとその姿を変異させる。両断の巨斧の魂がもたらす絶大な膂力と、痛覚を遮断したヴァンの特異体質が完全にリンクする。
「私が行く! 奴の注意を引く!」
ローランが地を蹴り、剛角獣の鼻先に向かって跳躍した。
「シィィィィィッ!」
竜の魔力を極限まで刃に込め、ローランが渾身の斬撃を放つ。旧大陸の巨大魔物であれば、確実に首を切り落とせるほどの流麗にして破壊的な一撃。
青白い斬撃の弧が、剛角獣の頭部を覆う鋼の岩盤に直撃した。
ガギィィィィィィィンッ!!!
甲高い金属音が響き渡り、火花が激しく散る。
「なっ……!?」
ローランが驚愕に目を見開いた。
彼の渾身の斬撃は、剛角獣の岩盤外殻に微かな傷をつけただけで、完全に弾き返されてしまったのだ。それどころか、斬撃の反動でローラン自身の手首が痺れ、空中でバランスを崩しかける。
「グルオオオオオオオオオオッ!!」
剛角獣が鬱陶しい羽虫でも払うかのように、天を突く巨大な角を振るった。それだけで暴風が巻き起こり、ローランは空中で強引に体を捻って躱すのが精一杯だった。
「その岩盤ごと叩き割る!」
ローランが作った僅かな隙を突き、ヴァンが神速の踏み込みで剛角獣の前足へと肉薄していた。
両手で握りしめた極炎の戦斧ならぬ両断の巨大な戦斧を、ヴァンの全筋力を解放して振りかぶる。
「砕け散れッ!!」
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
巨大な戦斧が、剛角獣の鋼の岩盤に覆われた前足に激突した。
その凄まじい衝撃波によって、ヴァンの足元の地面がクレーターのように陥没し、周囲の古代樹が根こそぎ吹き飛ばされる。
単体の同化召喚の中でも、純粋な物理破壊力においては最強クラスを誇る一撃。
しかし。
「……馬鹿な」
ヴァンは戦斧の柄から伝わる絶望的な感触に、思わず声を漏らした。
刃が、通らない。
大地の底まで両断するはずの戦斧の一撃は、剛角獣の岩盤外殻に深い亀裂を走らせることはできたものの、その下にある肉に届く前に完全に勢いを殺されてしまっていた。
硬すぎる。ミスリルドラゴンすら凌駕するかもしれないほどの、圧倒的な密度と質量。
「ガァァァァァァァァァッ!!」
剛角獣は、足元で蠢く小さな戦士の攻撃に一切の痛みを感じていないかのように、前足を無造作に振り上げた。
「ヴァン! 下がって!」
セリアの悲鳴に近い声。
ヴァンは咄嗟に戦斧を盾にして防御姿勢をとるが、家屋ほどの大きさがある前足の蹴りは、自然災害そのものだった。
ズバァァァァァァァンッ!!
ヴァンは弾き飛ばされ、地面を何度もバウンドしながら吹き飛んだ。黒曜の鱗鎧が激しく軋み、地面に深々と轍を刻んでようやく停止する。
痛覚の遮断があるため激痛こそ感じないが、肉体へのダメージは確実に蓄積していた。
「ヴァン!」
着地したローランがヴァンの元へ駆け寄る。
「無事か!?」
「ああ……問題ない。だが、奴の硬さは異常だ。単なる単体の同化召喚や、通常の剣撃では傷一つ付けられない」
ヴァンは立ち上がり、巨大な戦斧を構え直して剛角獣を睨みつけた。
ズズンッ……! ズズンッ……!
絶峰の剛角獣は、立ち塞がる二人の戦士を完全に無視し、方舟のある海岸線に向かって悠然と歩みを進めていた。
その進行方向には、バルガンたちが心血を注いで建設していた防壁の基礎があった。
ドシャァァァァァァンッ!!
剛角獣がただ歩を進めただけで、高さ五メートルの強固な石造りの防壁が、まるで砂上の楼閣のように粉々に砕け散る。
防衛ラインが、圧倒的な質量の前に何の意味も成さずに崩壊していく。
「このままでは、方舟が海に沈められる……!」
ローランが額から冷や汗を流し、長剣を強く握りしめた。
旧大陸の常識など通用しない、未開の大地の頂点。
単体の魂の力だけでは決して届かない圧倒的な絶望を前に、ヴァンとローランは拠点防衛の最前線で後退を余儀なくされていた。




