第159話 未開の森と、新大陸の洗礼
純白の砂浜に巨大な方舟が乗り上げてから数時間後。
新大陸の強烈な太陽が真上に昇る頃には、方舟の周辺はすでに活気に満ちた拠点へと姿を変えつつあった。
「よし、資材の搬出は急がなくていい! まずは居住区画の清掃と、周辺の地形の把握だ!」
ルミナが甲板から的確な指示を飛ばし、ガロたち魔族の戦士たちが重い荷物を次々と安全な場所へと移していく。
バルガンは砂浜に降り立ち、周囲の土を握りしめたり、岩を叩いたりしながら地盤の調査に没頭していた。
「ひはははっ、素晴らしい! 旧大陸のスカスカな土とは大違いだ。これだけ地盤が強固なら、どんな巨大な防壁を建ててもびくともしねえぞ!」
誰もが希望に満ちた顔で動き回る中、ヴァンは方舟から少し離れた場所で、背後に広がる広大な森――いや、巨大な樹海を鋭い視線で睨みつけていた。
「どうした、ヴァン。そんなに怖い顔をして」
セリアが歩み寄り、ヴァンの視線の先を不思議そうに見つめる。
「……魔力の濃度が異常だ」
ヴァンは腰の白銀の長剣の柄に手を置き、低く唸った。
「旧大陸の森とは比べ物にならない。空気中に漂う魔力が濃すぎて、靄のように視認できるほどだ。こんな環境で育った魔物は、間違いなく規格外の化け物になる」
「その通りだ」
二人の背後から、ローランが静かに歩み寄ってきた。彼はすでに流麗な軽鎧の各部を締め直し、完全な戦闘態勢を整えている。
「この新大陸は、まだ人間の手が一切入っていない真の未開領域。当然、生態系も我々の常識が通用しない原生モンスターたちで溢れているだろう。民衆を方舟から降ろして本格的な開拓を始める前に、まずはこの周辺の安全を確保する必要がある」
「ああ。日没までに、拠点周辺の脅威を排除し、結界を張るための安全圏を広げる。行くぞ、ローラン」
「承知した。私の背中は君に預けよう」
ヴァンとローラン、そしてセリアの三人に加え、索敵に長けた数名の獣人の戦士たちが、鬱蒼と茂る巨大な樹海へと足を踏み入れた。
一歩森の中に入ると、そこはまるで別世界だった。
見上げるほど巨大なシダ植物が群生し、木々の幹は数十人がかりで手を繋いでも余るほどの太さがある。森の奥からは、旧大陸では聞いたこともないような奇怪な鳴き声が絶え間なく響いてきた。
「大将、気をつけてくだせえ。風下から、ひどく生臭い匂いがしやす」
獣人の戦士の一人が、鼻をヒクヒクと動かしながら小声で警告した。
ヴァンの観察眼もまた、周囲の微かな異変を捉えていた。足元の巨大なシダの葉が不自然に折れ曲がっている。そして、木々の表面には、鋭い刃物でえぐり取ったような巨大な爪痕が無数に残されていた。
「来るぞ。上だ」
ヴァンが短く警告を発した瞬間、頭上の巨大な枝葉がバサバサと激しく揺れ、複数の巨大な影が音もなく降って来た。
「シャァァァァァァッ!」
それは、全長五メートルを超える巨大な爬虫類型の原生モンスターだった。全身を緑色の硬質な鱗で覆い、前脚にはカマキリのような鋭い大鎌を備えている。旧大陸で恐れられている飛竜すらも凌駕するような殺気が、三体同時に襲いかかってきた。
「新大陸の歓迎というわけか……シィッ!」
ローランが先陣を切り、青白い竜のオーラを全身から立ち上らせて地を蹴った。
流麗な長剣が一閃され、竜の魔力を乗せた斬撃が、先頭のモンスターの大鎌を真っ向から斬り飛ばす。
「ギャアアアッ!?」
バランスを崩した一体目の首を、ローランは流れるような身のこなしで正確に刎ね飛ばした。
しかし、残る二体が左右に分かれ、驚異的な速度でローランの死角へと回り込む。その連携は、ただの野獣のそれではなく、高度な知能を持つ狩猟者の動きだった。
「させない」
ヴァンの声が森に響く。
同化召喚を使うまでもない。長年の過酷な鍛錬で培われた戦士としての極限の身体能力のみで、ヴァンは瞬時にモンスターの懐へと潜り込んだ。
背負っていた白銀の長剣を抜く動作そのものを打撃へと変換し、鞘走りの勢いで二体目の顎をカチ上げる。
ドゴォォォッ!
脳を揺らされ硬直したモンスターの胴体を、ヴァンは一切の容赦なく両手剣で両断した。
「グルルルルッ!」
最後の三体目が、仲間をやられた怒りに任せてヴァンへと跳躍する。
しかし、その軌道はすでにヴァンとローランによって完全に読まれていた。
「ヴァン!」
「ああ!」
ローランが竜の脚力で木を蹴って空中に舞い上がり、モンスターの背後から斬撃を放ち、その動きを一瞬だけ制限する。
そこに、ヴァンが重い踏み込みとともに白銀の長剣を突き出した。
鋭い切先がモンスターの硬質な鱗の隙間、心臓の位置を正確に貫き、絶命させる。
ズズンッ、と重い音を立てて三体の巨体が地面に横たわった。
わずか数十秒の戦闘。魔力を持たない戦士と、竜人の青年の息の合った共闘は、新大陸の凶悪な原生モンスターを一切の傷を負うことなく退けた。
「ふう……見事な連携だった。それにしても、森の入り口でこれほどの化け物が群れで現れるとは」
ローランが剣についた血を振り払いながら、警戒を解かずに周囲を見渡す。
「旧大陸の騎士団なら、この三体を倒すだけで数十人の犠牲が出ただろうな」
ヴァンは剣を収め、倒れたモンスターの巨体を見下ろした。
「だが、これでいい。この過酷な自然と凶悪な生態系そのものが、旧世界の人間たちを寄せ付けないための最高の防壁になる」
「なるほど、逆転の発想か。我々がこの地を制圧し、安全な都市を築き上げることさえできれば、もはや誰も我々を脅かすことはできないというわけだな」
ローランが納得したように頷く。
その時、後方からバクスが巨大な包丁と解体用の袋を持って駆けつけてきた。
「おっ! 大将、ローランの旦那! 早速いい獲物を仕留めてるじゃねえか!」
バクスは倒れた爬虫類型のモンスターを見るなり、目を輝かせて涎を拭った。
「こいつの肉は弾力があって美味そうだ! 鱗もバルガンの旦那が建材として使えそうだしな。一瞬で解体して方舟に運ぶぜ!」
過酷な環境を前にしても、仲間たちの逞しさは微塵も揺るがない。
ヴァンは呆れたように小さく息を吐いたが、すぐに表情を引き締め、森のさらに奥へと視線を向けた。
「……バクス、解体は急げ。長居は無用だ」
ヴァンのただならぬ声の低さに、バクスとローランがピタリと動きを止める。
「どうした、ヴァン?」
セリアが緊張した面持ちで尋ねた。
ヴァンは無言のまま、数歩先の地面を指差した。
巨大なシダの葉に隠れて見えにくかったが、そこには、地面を深くえぐり取った「巨大な足跡」が残されていた。
先ほどのモンスターの足跡ではない。たった一つの足跡の大きさが、優に数メートルを超えている。それが、森の奥深くから海岸の方向へ向かって、一定の間隔で続いているのだ。
「……なんだ、この大きさは。竜の足跡とも違う」
ローランが冷や汗を流し、足跡の形状を確認する。
「足跡の深さからして、体重は数千トン規模。それが、この森を音もなく歩いている」
ヴァンの鋭い観察眼が、周囲の木々の不自然な折れ方に気づく。
「いや、歩いているんじゃない。この化け物は、森の木々を邪魔にすら感じず、ただ真っ直ぐに突き進んでいるんだ。まるで歩く山のように」
その足跡が放つ圧倒的なプレッシャーは、先ほどのモンスターとは次元が違った。
新大陸の生態系の頂点に君臨するであろう、超巨大原生モンスターの痕跡。
「……この大地を開拓し、国を創るには、いずれこいつと立ち向かわなければならない日が来るということね」
セリアがごくりと喉を鳴らす。
「ああ。だが、今はまだその時じゃない。まずは民を護るための防壁が先だ」
ヴァンは周囲の警戒を解くことなく、踵を返した。
「拠点に戻るぞ。夜が来る前に、結界の杭を打つ。新大陸での本当の戦いは、ここからだ」
自由と平等を掲げる多民族国家への道のりは、決して平坦ではない。
新世界の過酷な洗礼と、未知の巨大な脅威の影を感じながら、ヴァンたちは確かな足取りで、仲間たちの待つ希望の方舟へと帰還するのであった。




