第135話 幻影の弓兵と、空を穿つ白銀
鋼殻の移動要塞は、険しい山脈の中腹に位置する巨大な学術都市アルケスへと続く、切り立った山道を力強く登り続けていた。
大陸中の知識が集まるとされるこの都市には、召喚術の歴史や魔物の生態を研究する高位の学者や召喚師たちが数多く暮らしている。白亜の建造物が階段状に連なる美しい街並みが、徐々に窓の向こうに近づいてきていた。
「ここ数日の異常な魔物の発生、この都市の学者たちなら何か知っているかもしれませんね」
ルミナが山頂に見えてきた都市を見上げながら言った。
操縦席で計器を睨んでいたバルガンが、深く息を吐き出す。
「ああ、間違いねえ。砂漠の大怪蟲に、海溝の覇殻蟹。本来なら交わるはずのない生息域の化け物どもが、示し合わせたように人里へ這い出してきている。あいつらは人間を襲いに来たんじゃない。もっと恐ろしい何かから、パニックを起こして逃げ出そうとしているんだ。世界中で、生態系を根底から狂わせるようなとんでもねえ異変が起きている」
バクスも厨房で包丁を研ぎながら、険しい顔で頷いた。
「ただ事じゃねえな。だが、どんな理由があろうと、大将の行く手を阻むなら料理してやるだけだ」
その時だった。
遥か上空、雲の切れ間から、凄まじい閃光が都市アルケスに向かって降り注いだ。
ズドォォォォォォォンッ!!
都市の強固な外壁の一部が、一瞬にして音もなく消滅した。
「な、なんだ!? 上空から爆撃だと!?」
バルガンが窓から空を見上げる。
高度数千メートルの空に、巨大な気球のような丸い巨体が浮かんでいた。その表面には無数の巨大な眼球が蠢いており、そこから無差別に破壊の光線が放たれている。
空の災害級魔物、滅光の千眼獣。近づくことすら困難な超高高度から、千の目を用いて一方的な蹂躙を行う最悪の化け物である。
「迎撃部隊、飛翔の魔獣を出せ! 上空の化け物を叩き落とせ!」
アルケスの防衛を担うエリート召喚師たちが、グリフォンや翼竜を次々と喚び出し、空へと向かわせる。
しかし、千眼獣の無数の眼球がそれらを捉えると、雨あられのような光線が放たれ、召喚獣たちは対象に近づくことすらできずに次々と撃ち落とされてしまった。
「駄目だ、高度が高すぎる! 我々の魔法の射程外だ!」
召喚師たちが絶望に顔を歪める中、千眼獣の最大の眼球に、都市全体を消し飛ばすほどの極大の光線が収束し始めた。
「大将! あれが落ちてきたら、都市の結界ごと消し飛ぶぞ!」
「ルミナ、バクス! 避難誘導だ!」
ヴァンの鋭い声と共に、要塞は都市の広場へと急停車した。
バルガンは即座に金属鞄から巨大な鏡のような装甲板を展開し、空に向けて斜めに固定した。特製プリズム反射結界。光線の軌道を逸らすための決死の防壁だ。
「嬢ちゃん、学者のひ弱な連中を早く地下シェルターへ押し込め!」
「はい! 皆さん、空を見ないで走ってください!」
ルミナが的確に避難経路を確保し、パニックに陥る人々を地下へと誘導する。
「上空からの狙撃には、俺の特製チャフ・スモークだ!」
バクスが樽を打ち上げると、空中で大量の金属粉と魔物の鱗の粉末が混ざった煙幕が広がり、光線の威力を乱反射させて威力を削ぐ。
「セリア、今回は射程が要る。一番遠くを射抜く魂を」
ヴァンは要塞の屋上に飛び乗り、上空の化け物を見据えた。
「ええ! 行くわよヴァン!」
タラップからセリアが両手を突き出し、極限の詠唱を紡ぐ。
「あらゆる感覚を欺き惑わす九尾の幻影。そして、風を読み数里の彼方を穿つ絶対の神眼。今、この器にて交わりたまえ。多重同化……幻影の妖狐、天眼の狙撃手!」
詠唱が完了した瞬間、ヴァンの肉体を揺らめく桃色の幻影オーラと、大気の流れをすべて可視化する冷徹な青いオーラが同時に包み込んだ。
シャキィィィィンッ!
ヴァンが鞘から引き抜いたヴァンの剣が、二つの魂に共鳴し、眩い光を放って流動する。
刀身が極限まで長く伸び、しなりを持つ強靭なフレームへと変異していく。現れたのは、ヴァンの身の丈を遥かに超える巨大な白銀の剛弓であった。
「大将! 矢の代わりにこれを使え!」
バルガンが要塞の予備部品である、長さ二メートルはある分厚い鋼鉄のパイルをヴァンに向けて放り投げた。
ヴァンはそれを左手で受け取り、白銀の剛弓に番える。
「オオオオオオオオッ!!」
ヴァンが広場の石畳を踏みしめ、天眼の狙撃手の集中力で上空の千眼獣を見据えた。
千眼獣もまた、自身の最大の脅威となるヴァンに気づき、千の眼球すべてをヴァン一人へと向けた。
逃げ場のない、千の死の光線。
「惑え」
ヴァンの呟きと共に、幻影の妖狐の力が解放される。
広場から山脈の斜面にかけて、剛弓を構えるヴァンの精巧な幻影が、数千、数万という規模で一斉に分身して現れた。
熱源、呼吸、質量。すべてにおいて本物と区別がつかない完璧な幻影の群れ。
千眼獣の眼球は完全に混乱し、無数の幻影に向けて光線を乱れ撃ち始めた。山肌が爆発し、空が光で覆い尽くされる。
その混乱の隙に、本物のヴァンは極限まで白銀の剛弓を引き絞っていた。
凄まじい張力がヴァンの腕の筋肉をきしませ、皮膚の下で血管が大きく隆起する。
天眼の狙撃手の力が、風の強さ、大気の密度、星の自転、そして数千メートル上空の千眼獣の核の位置を完璧に演算する。
「……シィッ!」
ヴァンは息を吐き切り、弦から指を離した。
ズバァァァァァァァァァァンッ!!!
放たれた瞬間、弦が空気を叩く衝撃だけで広場の石畳が円状に粉々に砕け散り、凄まじい衝撃波が都市の建物のガラスを一斉に吹き飛ばした。
鋼鉄のパイルは音の壁を容易く置き去りにし、一条の白銀の閃光となって天を駆け上がる。
千眼獣が放っていた極大の光線を、絶対的な物理の質量が真正面から引き裂いて突き進む。
そして、鋼鉄のパイルは寸分の狂いもなく、数千メートル上空に浮かぶ千眼獣の巨大な中枢眼球を貫通した。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
空中で巨大な爆発が起こり、千眼獣の巨体が内側から完全に粉砕された。
放たれた矢の物理的な衝撃波はそのまま空の分厚い雲を吹き飛ばし、アルケスの都市に眩い太陽の光を降り注がせた。天候すらも変えてしまう絶大なる一撃。
空からパラパラと、化け物の残骸が灰となって降り注ぐ中。
ヴァンは白銀の剛弓を静かに流動させ、元の長剣の姿へと戻して鞘に収めた。
「あ、ありえない……。数千メートルの上空にいる化け物を、ただの物理的な狙撃で撃ち落としただと……」
地下シェルターから這い出してきた学者や高位の召喚師たちが、雲一つなくなった空と、広場に立つ戦士の姿を呆然と見上げていた。
魔法が届かない絶対的な安全圏から都市を蹂躙していた災害を、見下していたはずの戦士が、常識外れの力と技術で空ごと射抜いてしまったのだ。
「皆さん、もう安全ですよ! 怪我人はバクスさんの所へ!」
ルミナが優しく声をかけ、仲間たちが手際よく救護を始める。
我に返った学者たちと召喚師たちは、次々とヴァンの元へと駆け寄り、その場に深く膝をついた。
「我々の都市を、知識の宝庫を護っていただき、本当にありがとうございます……! あなた方がいなければ、我々は手も足も出ずに滅ぼされていました」
都市の代表である老学者が、畏敬の念を込めて深く頭を下げる。
その光景を見て、バクスは誇らしげに鼻をこすり、バルガンは満足そうに笑い声を上げた。
「お疲れ様、ヴァン。凄まじい張力だったわね。腕の筋肉は傷んでいない?」
セリアが駆け寄り、ヴァンの太い腕にそっと触れながら気遣う。
「大したことはない。お前の魔力が完璧に身体を支えてくれていた。この剣も、俺の引き絞る力に少しの狂いもなく耐え抜いてくれた」
ヴァンは淡々と答えながら、セリアの頭を優しく撫でた。
大地の百足、雷の鳥、氷の大河、腐死の森、灼熱の巨獣、熱砂の怪蟲、真空の螳螂、絶晶の蜘蛛、深海の覇殻蟹、そして天を穿つ狙撃。
この数週間の間に、大陸各地で異常発生した災害級の魔物たちを、彼らは次々と圧倒的な力で討ち倒してきた。
凄まじい力を持つ戦士と、異種族の集団。
その噂はもはや単なる都市伝説ではなく、世界中の人間や異種族たちの心に希望の灯火として確実に根付いていた。
旧来の常識が通用しない未曾有の危機の中、誰よりも頼りになる本物の英雄たち。彼らの名声はついに各国の王侯貴族や、そして新たな国を夢見る者たちの耳にも届き、一行の運命は次なる大きなうねりへと巻き込まれていくことになる。




