第132話 吹き荒れる真空と、風を裂く剛剣
鋼殻の移動要塞は、険しい山道を抜け、巨大な渓谷の斜面にへばりつくように作られた風力都市ゼファルへと差し掛かっていた。
一年中絶えることのない強風を利用し、無数の巨大な風車が立ち並ぶこの都市は、大陸西部の重要な工業拠点である。
「うわあ、すごい絶景ですね! 渓谷の底が見えないくらい深くて、風車が力強く回っています」
ルミナが窓から身を乗り出し、壮大な景色に目を輝かせていた。
「風が強い分、要塞の足回りには負担がかかるがな。星脈の核の出力と車輪のグリップ力を調整しねえと、谷底へ真っ逆さまに吹き飛ばされちまう」
操縦桿を握るバルガンが、慎重な手つきで計器板を操作しながら答える。
その時、都市の奥から吹き抜けてくる風の音が、不自然に高く鋭い悲鳴のような音へと変わった。
ヒュォォォォォォォンッ!!
「……なんだ!? 風の匂いが急に血生臭くなりやがったぞ!」
厨房から顔を出したバクスが、鋭い嗅覚で異変を察知する。
直後、都市の中心部を巨大な竜巻が襲った。
ただの竜巻ではない。竜巻の正体は、無数の「真空の刃」の集合体だった。巨大な石造りの風車が次々と豆腐のように切り刻まれ、都市の建造物が悲鳴を上げて崩落していく。
そして、その破壊の渦の中心から姿を現したのは、全長百メートルを超える巨大な魔物。全身を緑黒い鋼鉄のような外殻で覆い、両腕に五十メートル近い巨大な鎌を備えた災害級の化け物、「裂空の巨鎌螳螂」であった。
「ギィチチチチチィィッ!」
巨鎌螳螂がその不気味な鳴き声を上げながら鎌を振るうたび、目に見えない真空の刃が放たれ、都市の防護壁を容易く両断していく。
「街が切り刻まれる! 迎撃だ、岩の魔獣を喚び出せ!」
駐留していた人間の召喚師たちが、都市を護るために必死の抵抗を試みていた。無数の岩の巨人が召喚され、巨鎌螳螂の進行を阻もうと立ち塞がる。
しかし、巨鎌螳螂が両腕の鎌を交差させて振り抜くと、凄まじい暴風の斬撃が岩の巨人たちを文字通り粉微塵に切り刻んでしまった。召喚獣たちは手も足も出ず、魔力の粒子となって消散していく。
「駄目だ、近づくことすらできない! 防壁を展開しろ、少しでも時間を稼ぐんだ!」
召喚師たちが絶望に顔を歪めながら後退を余儀なくされる中、逃げ遅れた住民たちの上に容赦のない真空の刃が降り注ごうとしていた。
「バルガン、要塞を広場へ! ルミナ、バクス、住民の避難誘導だ!」
「分かってるぜ大将!」
ヴァンの鋭い声に、要塞が猛烈な速度で都市の広場へと突入する。
バルガンは要塞を急ブレーキで停車させると同時に、金属鞄から巨大な盾状の防風アンカーを周囲の岩盤に打ち込んだ。
「嬢ちゃん、早く結界の内側へ連中を放り込め!」
「はい! 皆さん、頭を下げてこちらへ走ってください! 荷物は置いて!」
ルミナが的確な指示を出し、混乱する住民たちを要塞とアンカーが作り出す安全地帯へと素早く誘導していく。
「空を飛ぶ虫けらには、俺の特製粘着樹液弾だ!」
バクスが腕を振りかぶって投げた複数の巨大な瓶が、巨鎌螳螂の頭上と羽の関節部分で爆発した。魔物の樹液を極限まで煮詰めたそれは、空気に触れた瞬間に強力な粘着性を発揮し、螳螂の羽ばたきを阻害して空中の姿勢制御を大きく狂わせた。
「セリア!」
ヴァンはすでに要塞の屋上デッキから都市の広場へと跳躍していた。
「ええ! 行くわよヴァン!」
要塞のタラップからセリアが両手を突き出し、極限の集中力で詠唱を紡ぎ出す。
「分厚き岩盤を砕く剛腕の巨人。そして、暴風を巻き起こす翡翠の翼。今、この器にて交わりたまえ。多重同化……剛腕の巨人、嵐の神鳥!」
詠唱が完了した瞬間、ヴァンの肉体を赤黒い巨人のオーラと、翡翠色の暴風のオーラが同時に包み込んだ。
シャキィィィィンッ!
ヴァンが腰から引き抜いたヴァンの剣が、二つの魂の特性に共鳴し、眩い白銀の光を放って流動する。
刀身が極限まで分厚く、そして幅広く変異していく。現れたのは、ヴァンの身の丈を遥かに超える巨大な「白銀の剛大剣」であった。
嵐の神鳥の風を読み切る特性を活かすための流線型の溝が彫られ、巨人の膂力で真空の刃ごと叩き潰すための圧倒的な質量を備えた、嵐を裂くための最適解。
「オオオオオオオオッ!!」
ヴァンが広場の石畳を蹴り砕き、弾丸のような速度で巨鎌螳螂の懐へと突撃する。
「ギィチチチッ!」
接近するヴァンに気づいた巨鎌螳螂が、両腕の巨大な鎌を乱舞させ、数十発の真空の刃を放射状に放った。
都市の建造物を容易く切り刻む不可視の刃。
しかし、嵐の神鳥の特性を宿すヴァンの瞳には、大気の揺らぎとしてすべての刃の軌道がはっきりと見えていた。
ヴァンは白銀の剛大剣を構え、真正面から真空の刃の群れへと突っ込む。
ガガガガガガッ!!
剛大剣が真空の刃と激突するたびに、凄まじい衝撃波と火花が散る。
ヴァンは刃を躱すのではなく、巨人の膂力で強引に真空の刃を弾き返し、叩き斬りながら前進していく。弾かれた真空の刃が周囲の岩壁に直撃し、渓谷の斜面が次々と大きく抉り取られていく。
「なんだあの男は……! 真空の刃を、剣で弾き飛ばしているだと!?」
結界の中で身を寄せ合っていた召喚師たちが、信じられないものを見る目で絶叫した。
ヴァンはそのまま巨鎌螳螂の足元へ肉薄し、下段から白銀の剛大剣を振り上げた。
ズバァァァァンッ!
巨鎌螳螂の緑黒い強靭な外殻が、巨人の質量を乗せた斬撃によって大きく叩き割られ、どす黒い体液が噴き出す。
「ギギャアアアアッ!」
痛みに狂った巨鎌螳螂が、自らの足元に向けて最大出力の暴風を放ちながら空高く跳躍した。
そして、渓谷の遥か上空で両腕の鎌を交差させ、周囲のすべての風を限界まで圧縮し始めた。
都市全体を渓谷の底へと吹き飛ばす、極大の真空竜巻。
大気が悲鳴を上げ、空が黒く染まっていく。
「都市を丸ごと削り取る気か……。だが、遅い」
ヴァンは広場に両足で深く立ち、白銀の剛大剣を上段に構えた。
セリアから供給される魔力と、二つの魂の力を限界まで刃に込める。翡翠色の暴風がヴァンの周囲を渦巻き、剛大剣が白銀の輝きを増していく。
巨鎌螳螂が、圧縮し切った極大の真空竜巻を都市に向けて放ち、自身もその竜巻の中心に乗って急降下してきた。
逃げ場のない、死の暴風。
「シィッ!」
ヴァンは跳躍し、真っ向から極大の真空竜巻へと突入した。
神鳥の特性を持つ剛大剣が、複雑に絡み合う暴風の目を見極める。ヴァンは巨人の全開の膂力で、竜巻の中心核に向けて剛大剣を全力で振り下ろした。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!
白銀の刃が極大の竜巻と正面衝突した瞬間、空気が爆発するようなすさまじい轟音が渓谷中に響き渡った。
質量と質量の激突。魔法すらも断ち斬る、絶対的な物理の暴力。
剛大剣の一撃は真空竜巻を真正面から真っ二つに引き裂き、そのまま竜巻の奥にいた巨鎌螳螂の巨大な鎌ごと、その巨体を縦に両断した。
竜巻が真っ二つに割れた余波は、巨大な風の斬撃となって渓谷の斜面を直撃した。
轟音と共に岩盤が崩落し、元々あった渓谷の横に、さらに巨大な「もう一つの大渓谷」が刻み込まれる。地形そのものを完全に書き換える、神業のような一撃だった。
風が止み、土煙が晴れた後。
新たに生まれた巨大な渓谷の底へと、両断された巨鎌螳螂の死骸が静かに落下していった。
空中で姿勢を制御したヴァンは、都市の広場へと無事に着地した。
彼が手にした白銀の剛大剣は、ゆっくりと流動して元の長剣の姿へと戻り、カチャリという静かな音と共に鞘に収められた。
「あ、ありえない……。都市を滅ぼすほどの化け物を、剣一本で……」
バルガンの結界の中で震えていた召喚師たちや住民たちが、ふらつく足取りで広場へと歩み出てきた。
高位の召喚師が束になっても傷一つつけられなかった絶望の化け物を、彼らが見下していた戦士という存在が、地形ごと変えながら単独で粉砕してしまったのだ。
「皆さん、怪我はありませんか? 結界を解除しますね」
ルミナが優しく声をかけ、バクスが安心させるように温かい薬草茶の準備を始める。
その手際の良さと、彼らが身を呈して自分たちを護ってくれた事実に、人間たちは言葉を失っていた。
やがて、召喚師の隊長が兜を脱ぎ、ヴァンの前へと進み出て、深く、深く膝をついた。
「我々の命と、この都市を救っていただき、何と御礼を申し上げてよいか……。戦士を無能だと侮っていた我々の愚かさを、どうかお許しください」
住民たちも次々とその場に膝をつき、ヴァンと異種族の仲間たちに向かって深い感謝の祈りを捧げる。
「気にするな。お前たちを守るためにこの剣を振るっただけだ」
ヴァンは淡々と答え、仲間たちの元へと歩み寄った。
セリアがヴァンの額に浮かんだ僅かな汗を柔らかな布で拭い、その無事な姿に安堵の笑みを浮かべる。
都市を丸ごと救い、大渓谷の地形すらも変えてしまった圧倒的な力。
凄まじい力を持つ戦士と、彼を完璧にサポートする異種族の集団の噂は、この風力都市からさらに風に乗って、世界中の人々の耳へと急速に届けられていくことになる。
彼らの名声は、もはや一つの伝説として、確かな輪郭を持ち始めていた。




