第129話 枯れゆく森と、浄化の大鎌
西の都市群へと続く街道を外れ、鋼殻の移動要塞は深い針葉樹の森を切り拓いて作られた開拓村へと差し掛かっていた。
この村は木材や特産品の薬草を大都市へ卸す重要な拠点のはずだったが、遠目に見える村の様子は明らかにおかしかった。
「……酷い臭いだ。腐った肉と泥を煮詰めたような、強烈な瘴気が漂ってきやがる」
操縦席のバルガンが顔をしかめ、要塞の吸気フィルターの出力を最大に引き上げた。
バクスも厨房から駆け出してきて、鼻を押さえながら窓の外を睨む。
「ただの臭いじゃねえぞ。森の木々を見てみろ。生きている木が、根元からドロドロに溶けて枯れ果ててやがる」
バクスの指差す先、村を囲む美しいはずの森の東側が、まるで黒いインクをこぼしたように変色し、次々と崩れ落ちていた。
そして、そのどす黒い腐海と化した森の奥から、ズズ……ズズ……と、大地を腐らせながら這い出てくる巨大な影があった。
全長百メートルを超える、肉が腐り落ちて白骨が剥き出しになった巨大な竜。「腐死の巨骸竜」であった。かつてこの地に倒れた古代の竜が、強力な負の魔力によってアンデッドとして蘇り、周囲の生命を無差別に喰らい尽くす災害級の怪物である。
「村に化け物が! 誰か、結界を張れ!」
開拓村の広場では、村人たちがパニックに陥り、駐留していた領主軍の召喚師たちが慌てて防衛陣形を敷いていた。
「土の精霊よ、壁を創れ! 光の魔獣、あれを焼き払え!」
召喚師たちの命令に応じ、光を纏う獣や岩の巨人が巨骸竜へと突撃する。しかし、巨骸竜が吐き出した漆黒の瘴気のブレスに触れた瞬間、岩の巨人はボロボロに崩れ落ち、光の獣は悲鳴を上げてドロドロの汚泥へと変えられてしまった。
「駄目だ、瘴気が濃すぎる! 我々の召喚獣じゃ近づくことすらできない!」
召喚師たちが絶望に顔を歪める中、巨骸竜の巨大な顎が村の防護柵を容易く粉砕し、容赦のない瘴気の波が村人たちへと迫った。
「大将! このままじゃ村が丸ごと溶けちまうぞ!」
バルガンの叫びと同時に、ヴァンはすでに要塞のタラップを蹴り開けていた。
「俺が前衛で瘴気を裂く。バルガン、バクス、ルミナ! 村人たちの避難と解毒を頼む!」
ヴァンが駆け出すのと同時に、非戦闘員の仲間たちが即座に動いた。
「任せな! 嬢ちゃん、俺の作った解毒の香草を村の風上に撒いてくれ!」
「はい、バクスさん! バルガンさん、結界の展開をお願いします!」
ルミナがバクスから受け取った煙玉を広場に投げつけると、爽やかな薬草の香りが爆発的に広がり、村人たちの肺を侵し始めていた瘴気を急速に中和していく。
バルガンはすぐさま金属鞄から巨大な盾状の杭を展開し、村人たちを囲むようにして強力な物理・魔力防壁を構築した。
「セリア!」
瘴気の波の真ん中へ飛び込みながら、ヴァンは背後にいるセリアの名を呼んだ。
「ええ! 不浄を焼き尽くす絶対の光よ。そして、強大なる竜の命を穿つ概念の刃よ。今、この器にて交わりたまえ! 多重同化……陽光の輝精霊、竜殺しの英雄!」
セリアの詠唱と共に、ヴァンの肉体を眩いほどの黄金のオーラと、分厚い鱗を切り裂く赤黒い英雄のオーラが包み込んだ。
痛覚を持たないヴァンだからこそ耐えられる、極限の魂の二重宿し。
シャキィィィィンッ!
ヴァンの腰から引き抜かれた白銀の長剣が、陽光の輝精霊の浄化の魔力と、竜殺しの英雄の特性に共鳴し、凄まじい光を放ちながら変異を始めた。
刀身が巨大に膨張し、柄が長く伸びる。
瞬く間に姿を現したのは、ヴァンの身の丈を遥かに超える、巨大な「白銀の大鎌」であった。
広範囲の瘴気を一息に刈り取り、巨大な竜の骨格を断ち斬るための、死神の如きシルエット。しかしその刃は、一切の影を許さない神々しい陽光の熱を纏っていた。
「オオオオオオオオッ!!」
ヴァンが大鎌を大きく横に振り抜いた。
ズバァァァァァァァンッ!!
大鎌から放たれた極大の陽光の斬撃が、村へと迫っていた瘴気の津波を真っ二つに切り裂き、浄化の熱で瞬時に蒸発させた。余波で周囲の大地が数十メートルにわたって抉り取られ、黒く変色していた腐海の土が黄金の光に焼き尽くされていく。
「グルルルルルォォォォッ!!」
自らの瘴気を打ち消された巨骸竜が、腐り落ちた眼窩の奥の赤い光を激しく明滅させ、ヴァンへとその巨大な爪を振り下ろした。
城壁すらも容易く粉砕する、骨と腐肉の質量攻撃。
しかし、竜殺しの英雄の圧倒的な膂力を宿したヴァンは、逃げることなく真っ向からその巨爪を大鎌の柄で受け止めた。
ガガガガガガッ!!
足元の地面が爆発し、ヴァンを中心に巨大なクレーターが形成される。地形が変わるほどの激突。
しかし、ヴァンの足は一歩も退いていない。
「その程度か」
ヴァンは受け止めた巨爪を強引に弾き飛ばし、大鎌を頭上で猛烈に回転させた。
「シィッ!」
鋭い踏み込みと共に、ヴァンは巨骸竜の懐へと潜り込む。
陽光を纏った白銀の大鎌が、竜の分厚い肋骨を次々と刈り取っていく。竜殺しの特効が付与された斬撃は、鋼よりも硬い古代竜の骨をまるで枯れ枝のように容易く切断し、浄化の熱がその再生を完全に阻害した。
「ギギャアアアアアアッ!」
たまらず距離を取ろうとする巨骸竜。その口内に、先ほどの比ではない極大の瘴気が圧縮されていく。
周囲の空気が黒く染まり、大気が悲鳴を上げる。
森を丸ごと消し去るための、絶望のブレス。
だが、ヴァンの瞳に揺らぎはない。
(この剣は、俺の意志に完璧に応える。あらゆる不浄を断ち斬る、最大の光を!)
ヴァンは大きく跳躍し、空中で白銀の大鎌を上段に構えた。
セリアから供給される魔力と、二つの魂の力を限界まで刃に込める。大鎌の刃が、まるで小さな太陽のように眩く輝き始めた。
巨骸竜が極大の瘴気ブレスを空中のヴァンに向けて放つ。
「断つ!」
ヴァンが巨大な大鎌を真っ向から振り下ろした。
物理的な質量と、極限の浄化の光が融合した一撃が、迫り来る瘴気の奔流を正面から真っ二つに裂き割った。
光の刃は瘴気を完全に消滅させながら突き進み、そのまま巨骸竜の巨大な頭蓋骨から尻尾までを、一直線に両断した。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!
凄まじい爆発音と共に、浄化の光の柱が天を貫いた。
大地が深く抉れ、村の外れから森の奥深くにかけて、長さ数キロにも及ぶ巨大な光のクレバスが刻み込まれる。地形そのものを完全に書き換える、神業のような一撃だった。
光が収まり、土煙が晴れた後。
巨大なクレバスの底で、腐死の巨骸竜は完全に灰と化して消滅していた。
ヴァンが手にした白銀の大鎌は、ゆっくりと流動して元の長剣の姿へと戻り、カチャリという静かな音と共に鞘に収められた。
「あ、ありえない……。あんな、山のようなアンデッドを……」
バルガンの結界の中で震えていた領主軍の召喚師たちが、信じられないものを見たという顔でへたり込んだ。
高位の召喚師が束になっても傷一つつけられなかった絶望の化け物を、戦士という蔑まれていた存在が、ただの物理的な一撃で(彼らにはそう見えた)地形ごと消し飛ばしてしまったのだ。
「皆さん、もう大丈夫ですよ。瘴気も完全に浄化されました」
ルミナが優しく声をかけ、バクスが安心させるように温かいスープの準備を始める。
村人たちと召喚師たちは、無傷で生還できた事実を噛み締め、ゆっくりと立ち上がった。
そして、クレバスから跳躍して戻ってきたヴァンと、彼を支えた仲間たちを取り囲み、次々とその場に膝をついた。
「ありがとうございます……! あなた方がいなければ、村は完全に滅んでいました」
召喚師の隊長が、兜を脱いで深く頭を下げる。
「戦士など時代遅れだと思っていた我々の驕りでした。あなた方のような本物の力を持つ方々に、何と御礼を申し上げてよいか……」
「礼には及ばない。ただ、目の前の脅威を斬っただけだ」
ヴァンはいつも通り淡々と答え、仲間たちの元へと歩み寄った。
セリアがヴァンの額に浮かんだ僅かな汗を柔らかな布で拭い、誇らしげに微笑みかける。
人間の軍隊すら手も足も出ない災害級の魔物を、次々と単独で打ち倒していく謎の戦士と、彼を完璧にサポートする異種族の仲間たち。
彼らの名声は、商人だけでなく、各国の軍隊や貴族たちの間にも、「凄まじい力を持つ集団」として急速に広まり始めていた。
それは同時に、彼らを自らの権力争いに利用しようとする、新たな政治的思惑の始まりでもあったが、今のヴァンたちには、どんな理不尽が立ち塞がろうともすべてを叩き潰す絶対的な力と絆が備わっていた。




