第115話 霊峰の死闘と、結束の連撃
澄み切った霊峰の頂、結晶化した巨大な火口跡に、絶望的な咆哮が響き渡っていた。
身の丈二十メートルを超える伝説級の怪物、ミスリルドラゴン。魔法も物理も受け付けないという超高硬度の白銀の鱗に覆われたその巨体は、ただそこに存在するだけで周囲の空間を歪め、空気を凍りつかせるような絶対的な重圧を放っている。
「グルルルルルォォォォォォォォッ!!」
竜が大きく顎を外すように開くと、その喉の奥で尋常ではない質量の魔力が収束し始めた。銀色の光が渦を巻き、周囲の大気から酸素を根こそぎ奪い取っていく。
「来ます! 竜のブレスです! 探知魔道具の数値が計測不能を吐いてます、まともに受けたら灰すら残りません!」
後方に陣取ったルミナが、悲鳴に近い声で警告を叫ぶ。彼女は即座に背負っていた革袋から、手のひらサイズの水晶玉を複数取り出し、前方の地面へと力いっぱい投げつけた。
「ファルガーの闇市で仕入れておいた特注品です! 『魔力乱反射の煙幕晶』、起動!」
パァァァンッ! と水晶が弾け、特殊な魔力を帯びた濃密な灰色の煙が、ヴァンたちと竜の間を分厚く遮った。
直後、竜の口から放たれた極太の銀色の閃光が煙幕に突っ込む。煙に乱反射された光の奔流は威力を分散させながらも、余波だけで周囲の結晶化した岩盤をドロドロのマグマへと変え、火口の地形を瞬時に作り変えてしまった。
「ひぃぃっ! 分散させてこれですか!」
「怯むな嬢ちゃん! 次は俺の番だ!」
ルミナの煙幕でブレスの直撃を免れた隙を突き、バルガンが隻腕で地面の起爆装置を力強く押し込んだ。
ガコンッ! ギュイィィィィンッ!!
地響きと共に、火口の岩盤に密かに打ち込まれていた無数の鋼鉄の杭から、太いワイヤーケーブルが射出された。ワイヤーはドラゴンの四肢と巨大な尻尾に複雑に絡みつき、その巨体を大地に縫い留めようとギリギリと悲鳴を上げる。
「俺をただの馬車造りの大工だと思うなよ! 王都の防衛システムを設計した天才罠師の『大地の枷』だ! どんな化け物だろうが、三秒は足止めしてやる!」
「三秒もありゃあ十分だ! そら、特製のデザートを喰らいな!」
バルガンの罠で動きを封じられた竜の顔面に向かって、バクスが全力で遠投したのは、油紙に包まれた不格好な球体だった。
それは竜の鼻先で弾け、強烈な刺激臭を放つ赤い粉末を周囲に撒き散らした。
「炎棲鳥の肝と、唐辛子を千倍に濃縮した激辛スパイス爆弾だ! どんなに硬い鱗を持っていようが、目玉と粘膜までは覆えねえだろ!」
「グギャアアアアッ!?」
目と鼻孔を強烈なスパイスに焼かれたミスリルドラゴンが、初めて苦痛に満ちた声を上げ、巨大な頭を乱暴に振り回す。
非戦闘員である仲間たちが、それぞれの役割を完璧に全うし、無敵に思えた伝説の竜にほんのわずかな「隙」を作り出した。
「行くぞ、セリア!」
「ええ! あなたの命、私が預かるわ!」
仲間たちが切り開いた一瞬の勝機。ヴァンはその背中に背負った幻の刀鍛冶の失敗作を強く握りしめ、セリアへと呼びかけた。
竜殺しの英雄の力だけでは、あのミスリルの鱗を貫くことはできなかった。ならば、さらに重く、さらに強大な破壊力を上乗せするしかない。
セリアは両手を胸の前で強く組み合わせ、目を閉じた。
ヴァンの肉体に限界を超える負荷をかける禁忌の術「多重同化」。一歩間違えれば、その凄まじい圧力は彼の肉体を内側から破壊してしまう。だからこそ、セリアは己の魂を削るような完璧な魔力制御で、二つの異なる巨大な力をヴァンの肉体という一つの器に完全に調和させなければならない。
「分厚き鱗を砕き、不落の城を穿つ者。その大いなる膂力と不屈の闘志(竜殺しの英雄)。……それに加え、大地を創り、山脈を穿つ古の力よ!」
セリアの詠唱が響き渡る。
すでにヴァンに宿っている黄金の英雄のオーラの上に、さらなる魔法陣が重なるように展開された。火口のマグマと岩石が空中に巻き上がり、それらが寄り集まって天を突くような巨大な岩の巨人の幻影を形作る。
「その圧倒的な質量と剛腕を、今この器に宿したまえ。多重同化……『大地を砕く剛腕の巨人』!!」
黄金と赤黒い、二つの相反する巨大な魂が、ヴァンの肉体へと同時に流れ込む。
バキバキバキッ!!
ヴァンの全身から、骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる凄まじい音が鳴り響いた。太い血管が皮膚を突き破らんばかりに隆起し、全身の毛穴から血の霧が噴き出す。
しかし、痛覚を持たない特異体質であるヴァンは、顔色一つ変えずにその規格外の魔力と圧力を完全に受け入れていた。
「おおおおおおおッ!!」
ヴァンが咆哮と共に、限界まで踏み込んだ足元の岩盤が、まるで豆腐のように数十メートルにわたって陥没する。
巨人の剛腕と、竜殺しの英雄の特効。二つの力を乗せたヴァンの両腕が、ガルドから借り受けた失敗作の大太刀を上段へと振りかぶった。
ズウゥゥゥゥンッ……!!
刀身が、持ち主の放つ絶望的な圧力と魔力に呼応するように赤熱し、けたたましい金属の悲鳴を上げ始める。
名剣を遥かに凌駕する強度を持つ魔鋼石の塊であっても、このデタラメな多重同化の出力には耐えきれず、自壊の限界ギリギリに達しているのだ。
「砕けろォォォッ!!」
ヴァンは、罠とスパイス爆弾でもがき苦しむミスリルドラゴンの首元、先ほど微かな傷をつけた全く同じ箇所を狙い、真っ赤に燃え上がる失敗作の刀を全力で振り下ろした。
空間そのものを叩き割るような、強烈な一撃。
赤熱した大太刀が、白銀に輝くミスリルの鱗に激突する。
キィィィィィィンッ!! という、世界の終わりを告げるような甲高い金属音が霊峰の頂に響き渡る。
火花というレベルではない、太陽の表面のような目も眩む閃光が爆発し、圧倒的な衝撃波が火口の地形を再びねじ曲げた。
「ガ、アアアアアアアアッ!?」
絶対の防御を誇っていた伝説の竜の目が見開き、驚愕と苦痛に満ちた絶叫を上げる。
ヴァンの振り下ろした刃が、仲間たちの完璧なサポートによって生まれた淀みない全力の一撃が、ついに一枚のミスリルの鱗を叩き割り、その下の竜の血肉へと深く食い込んだのだ。
しかし、同時に。
ピキッ……。
ヴァンの手元で、限界を超えた力を放ち続けている失敗作の刀にも、ついに致命的な亀裂が走り始めていた。




