第114話 霊峰の頂、白銀の絶望と交刃
吹き荒れていた猛烈な吹雪が、嘘のようにピタリと止んだ。
ヴァンたち一行が霊峰の頂上、巨大なすり鉢状の火口跡へと足を踏み入れた瞬間、世界から一切の音が消失したかのような錯覚に陥った。
分厚い雪雲を突き抜けた頂には、澄み切った青空が広がっている。しかし、眼前に広がる光景は、美しいという言葉よりも「異質」という表現が相応しかった。
火口の内部は雪に覆われておらず、代わりに無数の岩石が結晶化し、ガラスのように滑らかな光沢を放っていた。大地そのものが、桁外れの魔力と熱量によって幾度も融解し、再凝固を繰り返した痕跡である。
そして、その結晶化した火口の中央。
まるで一つの巨大な銀の丘のように鎮座しているものがあった。
「……信じられねえ。あれが、全部『ミスリル』だってのか……」
バルガンが、絶望と感嘆の入り混じった声で呟く。
それは、身の丈二十メートルを優に超える巨大な竜だった。
全身を覆う鱗の一枚一枚が、純度百パーセントの超高硬度ミスリル鉱石で構成されている。太陽の光を反射して白銀に輝くその巨躯は、生き物というよりも、神が創り出した完璧な彫刻や、巨大な金属の要塞を思わせた。
伝説の刀鍛冶ガルドが最高の武器を打つために求めた、究極の素材。伝説級の怪物、ミスリルドラゴンがそこにいた。
竜は静かに眠っているように見えたが、その巨体から絶え間なく溢れ出す魔力の波は、周囲の空間そのものを歪ませ、ビリビリと肌を刺すような重圧を放っていた。
「みんな、息を整えてください……! 私の探知魔道具が、限界値を振り切って警告音を鳴らし続けています。これまでの魔物とは、桁が違いすぎます……!」
ルミナが震える手で通信と探知を兼ねた魔道具を握りしめ、顔面を蒼白にしている。
「落ち着け嬢ちゃん。バクス、例のやつを配ってくれ」
バルガンの指示に、バクスが背中の荷物から小さな水筒を素早く取り出し、全員に手渡した。
「俺の特製、竜胆草と黄金蜂の蜂蜜を煮詰めた霊薬スープだ。これを飲めば、少しの間だけ魔力への抵抗力と身体能力が跳ね上がる。ただし、効果が切れた後の反動はでかい。短期決戦で決めるぞ」
バクスの言葉に、全員が無言で頷き、濃厚なスープを一気に喉の奥へと流し込んだ。胃袋から燃え上がるような熱が全身を駆け巡り、竜の放つ重圧による恐怖を強制的に塗り潰していく。
「バルガン、バクス、ルミナ。俺とセリアが前衛で竜の気を引く。お前たちは後方から支援と罠の構築を頼む」
ヴァンは背中に縛り付けていたガルドの失敗作の刀を引き抜き、静かに両手で構えた。
「任せな大将! お前さんが暴れやすいように、極上の舞台を作ってやる!」
仲間たちが素早く散開し、それぞれの役割につく。
その気配の変化に、巨大な銀の丘が動いた。
ズズズ……という地鳴りと共に、ミスリルドラゴンがゆっくりとその長い首をもたげたのだ。
溶けた黄金のような双眸がゆっくりと見開かれ、火口に侵入したちっぽけな虫たちを捉える。
「グルルルルルォォォォォォォォッ!!」
咆哮。
それはもはや声ではなく、大気を震わせる物理的な破壊の波だった。
周囲の結晶化した岩が粉々に砕け散り、暴風となってヴァンたちに襲いかかる。
「セリア!」
「ええ、行くわよヴァン! 敵の絶対的な防御を正面から叩き割る、不屈の力!」
強烈な暴風が吹き荒れる中、セリアが両手を胸の前で組み、高く澄んだ声で詠唱を開始する。
彼女の足元から眩い黄金色の魔法陣が幾重にも展開され、霊峰の頂を黄金の光で染め上げた。
「分厚き鱗を砕き、不落の城を穿つ者。その大いなる膂力と不屈の闘志を、今この器に宿したまえ。同化召喚、竜殺しの英雄!」
天空から降り注ぐ黄金の光と共に、巨大な竜の首を踏みつける屈強な戦士の幻影が現れ、ヴァンの肉体へと完全に溶け込んでいく。
全身の筋肉が膨張し、血管が限界まで浮き上がる。竜という種族に対して概念的な特効を持つ英雄の力が、ヴァンの細胞の隅々にまで満ち溢れた。
「ふっ……!」
ヴァンは息を短く吐き出し、爆発的な脚力で大地を蹴った。
狙うは、ミスリルドラゴンが咆哮を上げるために持ち上げた、比較的装甲が薄いと思われる首元の逆鱗。
「シッ!」
超人的な跳躍力で十メートル以上の高空へと舞い上がったヴァンは、空中で失敗作の刀を上段に構えた。
竜殺しの英雄の全魔力と、純度の高い魔鋼石を打ち鍛えすぎた結果生まれた、常軌を逸した大太刀の重量。そのすべてを乗せた渾身の一撃が、銀に輝く竜の首元へと振り下ろされる。
ガァァァァァァンッ!!
金属と金属が激突したとは到底思えない、まるで隕石が衝突したかのような轟音が火口に響き渡った。
衝撃波が円状に広がり、周囲の雪雲を完全に吹き飛ばす。
(剣が、砕けない……!)
ヴァンは空中で目を見開いた。
シュヴァルツとの死闘や、これまでの過酷な戦いで常に彼の全開の力に耐えきれず悲鳴を上げていたスラムの斬馬刀。しかし、今彼が握っているガルドの失敗作の刀は、竜殺しの英雄のフルパワーと、ミスリルの鱗という絶望的な硬度の板挟みになりながらも、刃こぼれ一つ起こさず、その反発力を見事に受け止めていたのだ。
魔族の刀鍛冶ガルドの技術は、間違いなく本物であった。
しかし、驚愕すべきはそれだけではない。
「……無傷だと?」
空中で体勢を立て直しながら着地したヴァンの視線の先。
竜殺しの英雄の概念特効を乗せ、失敗作の刀の非常識な質量で叩き斬ったはずのミスリルドラゴンの首元には、微かな白い筋がついただけで、鱗一枚たりとも砕けてはいなかったのだ。
魔法も物理も受け付けない、絶望的な防御力。
それは単なる噂や誇張ではなく、物理法則を無視した絶対的な現実としてそこに存在していた。
「グォォォォォォッ!」
首元に虫が当たった程度の不快感を感じたのか、ミスリルドラゴンが鬱陶しそうに巨大な尻尾を薙ぎ払った。
大木よりも太く、無数のミスリルの棘が生えた尻尾が、音速を超えてヴァンへと迫る。
「くっ……!」
ヴァンは咄嗟に失敗作の刀を盾にして防御姿勢をとった。
直後、トラックに正面衝突されたような凄まじい衝撃がヴァンの身体を襲い、彼を遥か後方へと吹き飛ばした。
ズサアアアアッ! と火口の岩肌を削りながら数十メートルを滑り、岩壁に激突してようやく停止する。
「ヴァン!」
セリアが悲痛な叫び声を上げる。
並の人間であれば、全身の骨が粉砕され即死していてもおかしくない一撃。
しかし、土煙の中から、ヴァンは顔色一つ変えずにゆっくりと立ち上がった。
彼の特異体質。肉体が引き裂かれるような衝撃を受けても、一切の痛覚を感じない異常なる器。
ダメージの蓄積は確実にある。だが、痛みが思考を鈍らせることは絶対にない。
「……素晴らしい硬さだ。これなら、最高の相棒を打てる」
ヴァンは口の端から流れる血を手の甲で拭いながら、全く絶望に染まっていない、静かに燃え上がるような戦士の瞳で巨大な竜を見据えた。
単一の同化召喚では、あの鱗を貫くことはできない。
最強の武器を手に入れるための素材を奪い取るには、仲間たちの力と、己の命を削る禁忌の術を使うほかない。
「セリア! バルガン! バクス! ルミナ! 総力戦だ!」
ヴァンの叫びに、仲間たちが一斉に応える。
伝説の刀鍛冶との約束を果たすため、そして未来を切り拓く新たな力を手に入れるため。戦士ヴァンと仲間たちの、ミスリルドラゴンに対する決死の討伐戦の幕が、今ここに切って落とされた。




