第111話 砕けた相棒と、偏屈なる幻の鍛冶師
城塞都市グリオンから北西へ進むこと数日。
鋼殻の移動要塞は、鬱蒼と生い茂る針葉樹林と、切り立った岩肌が続く険しい山岳地帯へと足を踏み入れていた。
「大将、この先は要塞じゃ進めねえ。道なき道を徒歩で登るしかねえぞ」
運転席で複雑な操縦桿を握っていたバルガンが、忌々しげに息を吐いて要塞を急停車させた。彼が手塩にかけて組み上げたこの強固な移動拠点も、さすがにそびえ立つ絶壁や巨岩が乱立する未開の山道を登るようには設計されていない。
「すまねえな。ここからは自分の足で歩くしかない。ルミナ、必要な物資だけ小分けにしてくれ」
バルガンの指示で一行は要塞を安全な岩陰に隠すように停め、徒歩での山越えを開始した。ルミナが手際よく野営用の荷物と食料を仕分けし、バクスがそのほとんどを軽々と背負い上げる。強靭な獣の力を持つ彼にとって、荷物運びは造作もないことだった。
険しい岩場を登りながら、ヴァンは背中に感じる奇妙な喪失感に、何度も微かな戸惑いを覚えていた。
勇者パーティーを理不尽に追放され、どん底から這い上がる過程で、セリアの同化によって手に入れた力で倒した強大な魔物の素材を使い、スラムの鍛冶屋に打たせた巨大な両手剣。それは、魔力を持たない戦士である彼にとって、自分の命そのものを預ける絶対的な相棒であった。
その重みを失った今、腰の鞘に収められた小さな予備の小太刀だけでは、あまりにも心許ない。痛覚を持たない強靭な肉体と同化召喚の力があっても、その規格外の圧力を流し込んで振るうべき刃がなければ、戦士としての本領は発揮できないのだ。
「……ヴァン、無理しないでね」
隣を歩くセリアが、心配そうに見上げてくる。治癒魔法を持たない彼女には、ヴァンの肉体の疲労や、大切な相棒を失った喪失感を直接癒してやることはできない。ただこうして横を歩き、寄り添うことしかできない己の無力さを噛み締めているようだった。
「気にはしていない。ただ、背中が少し軽いだけだ」
ヴァンは短く答え、己の空白を埋めるように、険しい山道を黙々と登り続けた。
やがて、一行は周囲を険しい岩壁に囲まれた、擂鉢状の隠れ谷へと辿り着いた。
そこには、岩肌をくり抜くようにして造られた巨大な工房があった。煙突からは黒々と煙が立ち上り、谷中に重厚でリズミカルな甲高い鍛冶の音が響き渡っている。
「ここだ。相変わらず、気味の悪いほどの熱気と執念を感じるぜ」
バルガンは一つ深呼吸をすると、工房の重厚な扉の前に立ち、隻腕の右拳で力強く扉を叩いた。
「おい! ガルド! 生きてるなら返事をしな! 昔の馴染みが顔を出してやったぜ!」
打ち付ける音がピタリと止んだ。
地響きのような低い足音が近づき、ギギギ……と錆びた音を立てて重い扉が開かれる。
そこから現れたのは、巨大な体躯を持つ魔族の男だった。
肌は赤黒く、頭部にはねじ曲がった太い二本の角が生えている。筋肉の隆起した上半身は無数の火傷や古傷で覆われ、その一つ一つが、彼がどれほどの時間と情熱を炎に捧げてきたかを物語っていた。鋭く光る金色の眼光は、一切の感情を排した冷酷な刃のように一行をねめつけた。
「……バルガン。てめえか。その失った左腕を見るに、まだ小賢しい細工物を作って生き延びてるようだな」
地底から響くような重低音の声。それが幻の刀鍛冶、ガルドであった。
「相変わらず口の減らねえ野郎だ。今日はちょっとばかし頼みがあってな。極上の武器を一つ、打ってもらいたい奴がいる」
バルガンが親指で背後のヴァンを指し示す。
しかし、ガルドの鋭い視線は、ヴァンを見た瞬間に絶対的な拒絶の色へと染まった。
「……人間だと? ふざけるな」
ガルドは吐き捨てるように言い、扉を乱暴に閉めようとした。
「待てガルド! こいつは普通の人間じゃねえ! こいつの持つ器は……」
バルガンが慌てて扉を押さえるが、ガルドの圧倒的な腕力はそれを容易く跳ね除けようとする。
「帰れ。俺は二度と、人間のためには剣を打たねえと決めている」
ガルドの眼光が、怒りに燃え上がった。
「俺はかつて魔界で、魔王の専属鍛冶師として至高の武器を打ち続けてきた男だ。だが今の時代はどうだ? 前線で命を懸けて武器を振るう本物の戦士なんざ絶滅した。どいつもこいつも、安全な後方から召喚獣に戦わせるか、魔法を撃つだけの軟弱者ばかりだ。俺が心血を注いで打ち上げた至高の刃も、結局は成金や貴族どもが権力を誇示するための、ただのきらびやかな飾り物として扱われちまった」
ガルドは自らの太い腕をギリッと握りしめた。
時代の変化とともに真っ向から武器を振るう者は減り、彼の打つ武器の真価を理解できる者は誰もいなくなった。その絶望と底知れぬ空虚さこそが、彼を魔界から追放されるにまで至らせ、人間をも嫌悪し、この深い山奥へ引きこもらせた最大の理由だった。
「真の重みを知り、命のやり取りの中で刃と対話できる戦士がいねえ時代に、極上の武器など無用の長物だ。そんなひ弱な人間のガキに、俺の剣を背負う資格などねえ!」
「ひ弱かどうか、その目で確かめてからでも遅くはないはずだ」
閉まりかけた扉の隙間に、スッと分厚い手が差し込まれた。ヴァンだった。
ガルドの凄まじい膂力で押し込まれる分厚い扉を、ヴァンは顔色一つ変えずに片手で完全に受け止めている。
「な……!?」
魔族である自分と互角、いやそれ以上の物理的な筋力で扉を押し返す人間の少年に、ガルドの目が驚愕に見開かれた。
ヴァンは無言のまま、腰の袋から布に包まれたものを取り出し、ガルドの足元へと放り投げた。
鈍い音を立てて転がったのは、シュヴァルツとの死闘や過酷な多重同化の負荷によって粉々に砕け散った、スラムの斬馬刀の柄の部分と、無残にひしゃげた魔物素材の破片だった。
「俺の戦いに、相棒が耐えきれなかった。仲間を護るために、俺にはもっと頑丈な刃が必要だ」
静かに、しかし絶対的な決意を込めたヴァンの言葉。
ガルドは足元に転がった刃の骸を拾い上げ、その断面を太い指で撫でた。職人である彼には、一目で理解できた。これが単に手入れを怠って折れた剣ではないことを。
信じられないほど常軌を逸した圧力と魔力が刀身を内側から食い破り、素材の分子構造そのものが完全に崩壊しているのだ。
(この魔力を持たないただの人間が、どれほどの力と絶望的な死線を越えれば、魔物の素材で打たれた大剣をここまでボロボロにできるというんだ……?)
ガルドの胸の奥底で、とうの昔に冷え切っていたはずの職人としての闘志の炎が、わずかに揺らぐのを感じた。
だが、長年積み重なった人間への失望は、そう簡単に拭えるものではない。
「……面白い壊れ方だ。だが、これだけでは俺の心は動かねえ。力任せに武器を壊すだけの馬鹿なら、魔界には腐るほどいるからな」
ガルドはあくまで偏屈な態度を崩さず、腕を組んでヴァンを睨みつけた。交渉は完全に決裂かと思われた、その時である。
「おーい! 腹減っただろおっさん! 挨拶代わりの極上スープが煮えたぜ!」
重苦しい空気をぶち破るように、バクスがポータブルの魔石コンロに載せた巨大な鍋を両手で抱えながら、満面の笑みでズカズカとガルドの前に歩み出てきた。
鍋からは、道中で仕留めた魔物の骨をじっくりと煮込んだ濃厚な白湯スープに、山で採れた新鮮な香草をふんだんに加えた、強烈に食欲をそそる匂いが立ち上っている。
「なっ……なんだ貴様は! 俺は飯など……!」
ガルドが怒鳴ろうとしたが、その鼻腔を突き抜けた暴力的なまでの極上の香りに、思わず言葉を詰まらせ、喉がゴクリと大きく鳴った。
「職人ってのはな、頑丈な胃袋と美味い飯がねえと、いい仕事ができねえんだよ。お前さんの顔色、随分と長いことまともなもん食ってねえって言ってるぜ。四の五の言わず、まずは俺の飯を食え。話はそれからだ!」
バクスはガルドの戸惑いなどお構いなしに、持参した巨大な木椀に熱々のスープと肉をたっぷりとよそい、無理やり魔族の巨漢の手に押し付けたのだった。
絶対的な拒絶の壁を前に、言葉ではなく食という根源的な力で切り込んできた獣人の料理人。張り詰めていた空気が、濃厚なスープの湯気と共に少しずつ解れ始めていた。




