第110話 砕け散る相棒と、偏屈なる幻の鍛冶師
城塞都市グリオンを後にして未知の荒野へと足を踏み入れたヴァンたちの前に、地平線を覆うほどの巨大な砂埃が迫っていた。
「大将、来るぜ! あれは『鋼殻突進牛』の群れだ! 一頭だけでも城壁を容易く粉砕する質量と硬度を持ってる凶悪な魔物だ。気をつけろ!」
鋼殻の移動要塞の運転席から、バクスが鋭い警告の声を上げる。
地鳴りのような足音を立てて接近してくるのは、全身を分厚い金属質の外殻で覆われた巨大な牛の魔物たちだった。血走った目をギラつかせ、鋭く尖った鋼の角を真っ直ぐに突き出しながら、要塞へと一直線に突撃してくる。
「要塞の防御結界を最大にしろ! 俺が前で受け止める!」
ヴァンは要塞の屋根から力強く跳躍し、荒野の硬い大地へと降り立った。これまで幾多の死線を共に潜り抜けてきた、刃渡り二メートル近い愛用の斬馬刀を背中から引き抜く。
「セリア!」
「ええ、分かっているわ! 敵の分厚い装甲を正面から叩き割る、絶対的な破壊の力ね!」
ヴァンの背後で、要塞の窓から身を乗り出したセリアが両手を胸の前で組み、深く澄んだ声で詠唱を始めた。戦士ヴァンを支える絶対の術、同化召喚。彼女の足元から眩い黄金色の魔法陣が幾重にも展開され、荒野の空気をビリビリと震わせる。
「分厚き鱗を砕き、不落の城を穿つ者。その大いなる膂力と不屈の闘志を、今この器に宿したまえ。同化召喚、竜殺しの英雄!」
天空の雲を裂いて一条の黄金の光が降り注ぎ、巨大な竜の首を踏みつける屈強な戦士の幻影が現れた。幻影は雄叫びを上げながら、ヴァンの肉体へと完全に溶け込んでいく。
ドクン、という心臓の爆発的な鼓動と共に、ヴァンの全身の筋肉が極大の魔力によって一回り大きく膨張し、熱を帯びる。竜の硬き鱗すらも貫通する、概念的な特効と圧倒的な膂力がヴァンの細胞一つ一つに行き渡った。
「ふっ……!」
ヴァンは息を短く吐き出し、斬馬刀を両手で構え、突進してくる鋼殻突進牛の群れへと単騎で駆け出した。
激突。
先頭の一頭が振り下ろした巨大な鋼の角を、ヴァンは回避することなく正面から迎え撃った。竜殺しの英雄の膂力に任せ、斬馬刀をフルスイングで叩きつける。
硬質な金属同士が激突する鼓膜を劈くような轟音が荒野に響き渡る。魔物の強固な装甲はひしゃげ、数トンはある巨体が紙屑のように宙を舞った。
しかし、その瞬間、ヴァンは自らの手元に微かな、しかし決定的な違和感を覚えた。
ギィィッ、という不快な音が手元から響いたのだ。
それは魔物の悲鳴ではない。ヴァンが両手で握りしめている斬馬刀そのものが発した、金属の断末魔だった。
(剣が、鳴いている……?)
ヴァンは目を見開いた。
ダークエルフの王シュヴァルツとの死闘。神速の雷獣と天下無双の剣豪を同時に宿した、禁忌の多重同化。あの絶望的な状況を打破するために強引に引き出した常軌を逸した魔力と圧力は、ヴァンの肉体だけでなく、彼が振るう物理的な武器の分子構造をも内側からボロボロに破壊していたのだ。
そして今、竜殺しの英雄という強大な力を上乗せして分厚い鋼殻を叩き割った衝撃が、蓄積していたダメージを一気に表面化させた。
それに気づきながらも、ヴァンは歩みを止めない。
背後には、大切な仲間たちが乗る移動要塞がある。ここで群れを突破させれば、要塞ごと彼らが危険に晒される。
痛覚のない肉体を限界まで駆動させ、ヴァンは次々と襲いかかる鋼殻突進牛の群れへと斬り込んでいった。
一撃、また一撃と巨大な刃を振り下ろすたびに、刀身には蜘蛛の巣のような亀裂が走り、細かい金属片がポロポロと剥がれ落ちていく。刃こぼれなどという次元ではない。金属そのものが、ヴァンの放つ力に耐えきれずに悲鳴を上げ、自壊し始めているのだ。
「オオオオオオオッ!」
ヴァンは咆哮と共に、群れの中で一際巨大な黒鋼の体躯を持つボスの突進牛へと跳躍した。
ボスは怒り狂い、その太い首を振りかぶってヴァンを串刺しにしようと角を突き出す。
ヴァンは空中で斬馬刀を上段に構え、竜殺しの英雄の全魔力を込めて、渾身の一撃を振り下ろした。
「砕け散れッ!」
刃がボスの極厚の頭部装甲に激突する。
バァンッという爆発音が響き、ボスの巨大な頭蓋は真っ二つに割れ、絶命して地面に崩れ落ちた。
群れの長を失った残りの鋼殻突進牛たちは、ヴァンの放つ圧倒的なプレッシャーに恐れをなし、土煙を上げながら蜘蛛の子を散らすように荒野の奥へと逃げ去っていった。
しかし、それと同時に。
パァァァンッ、という乾いた破裂音が荒野に響き渡った。
勇者パーティー追放後のヴァンの過酷な戦いを幾度も支え続けてきた愛用の斬馬刀。その重厚な黒鋼の刃が、限界を迎え、文字通り粉々に砕け散ったのだ。
宙を舞う無数の鉄の破片が、朝陽を反射してキラキラと輝きながら、荒野の砂に吸い込まれるように落ちていく。
静寂が訪れた荒野。
同化を解除したヴァンは、柄の部分しか残っていない武器を両手で握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。魔力を持たない彼にとって、それは自分の手足をもがれたに等しい、決定的な喪失だった。
「ヴァン!」
移動要塞からセリアが慌てて駆け寄ってくる。彼女はヴァンの無事を確認して安堵の息を吐いたが、すぐに手元の惨状を見て息を呑んだ。粉々になった刀身を前に、ただ悲痛な表情でヴァンの分厚い背中を見つめることしかできなかった。
「やっぱり、保たなかったか」
遅れてやってきたバルガンが、足元に落ちた細かい鉄の破片を拾い上げ、フッと息を吹きかけた。金属片はもろくも砂のように崩れていく。
「あの剣は間違いなく上等な業物だった。だが、お前さんの器の異常さは、もはや普通の武器じゃあ耐えきれねえ次元に突入しちまってる。多重同化なんてデタラメな魔力と圧力を直接刃に流し込めば、内側から分子構造が崩壊するのは当然だ」
バルガンの言葉に、ヴァンは静かに残された柄を腰の鞘に収めた。
「……俺の力に耐えうる武器を打てる鍛冶屋はいないか。このままでは、次に強敵が現れた時、仲間を護りきれない」
ヴァンの静かな、しかし切実な問いかけに、バルガンは隻腕で自らの髭を撫でながら、酷く渋い顔を作った。
「お前さんの異常な力に耐えうる本物の『器』を打てる奴となると、心当たりは……世界にたった一人しかいねえ。俺の古馴染みでもある職人だ」
「ならば、その者の所へ案内してくれ」
「……そう簡単にはいかねえんだよ」
バルガンは厄介なものを飲み込んだような顔で、重いため息をついた。
「そいつは魔族なんだが、魔界でひと悶着あって同族から追放されちまった。おまけに人間も極端に嫌っていてな。今は人目を避けて、誰も近づかない深い山奥の里に引きこもってやがる」
「人間を嫌っている理由はなんだ?」
セリアが尋ねると、バルガンは皮肉げに鼻を鳴らした。
「今の時代、魔物を倒すのは遠くから安全に魔法を撃てる召喚師ばかりになっちまっただろ? 真っ向から命を懸けて武器を振るう本物の『戦士』なんざ、絶滅危惧種だ。その結果、世の中の武器はただの成金や貴族どもの『飾り物』として重宝されるようになっちまったんだよ」
バルガンの言葉には、同じ職人としての苦い響きが混じっていた。
「そいつは、武器の本当の価値もわからねえ人間に、自分の剣を打つ気はねえって完全にへそを曲げちまってる。誰が頼みに行こうが、門前払いされるのがオチだ。最悪の場合は殺されかねねえ」
「だが、他に選択肢はないのだろう?」
ヴァンの声に一切の迷いはなかった。己のプライドや危険など、仲間を護るための力を得ることに比べれば些末な問題だ。
ヴァンの真っ直ぐで強い瞳に見つめられ、バルガンは観念したように両手を広げた。
「……やれやれ、お前さんならそう言うと思ったぜ。わかったよ、案内してやる。その偏屈親父の名前はガルド。とびきり面倒な旅になるぜ」
こうして一行は、気難しき幻の刀鍛冶が隠れ住むという深山幽谷へ向けて、新たな進路を取ることとなった。




