第101話 紫電の連撃と王の終焉
石畳に倒れ伏し、漆黒の血を吐き出すダークエルフの王シュヴァルツ。
その黄金の瞳には、かつての絶対的な冷酷さは見る影もなく、理解不能な存在に対する根源的な恐怖と、王としての矜持がへし折られた屈辱が渦巻いていた。
「私が……この私が、たかが魔力を持たぬ人間の戦士に……ッ!」
シュヴァルツは震える手で石畳を掴み、無理やり上体を起こした。
胸部を深々と切り裂かれた傷口からは、王の命そのものである濃密な影の魔力が、とめどなく漏れ出している。彼は残された自らの命を全て燃やし尽くす覚悟で、周囲の空間に残存していた全ての影を己の右腕へと収束させた。
「認めん! 貴様のような泥人形が、我ら高尚なる種族を凌駕するなど、天地がひっくり返ろうとあり得んのだ! これで終わりだ、人間ァァァッ!」
シュヴァルツの右腕が、巨大で鋭利な漆黒の槍と化す。空間そのものを穿ち、触れた対象を次元の彼方へ消し去る、王の命を代償にした最後にして最強の特攻。
対するヴァンは、全身から血の霧を噴き出しながらも、極めて静かに二振りの刃を構えていた。
右手に握られた長大な斬馬刀と、左手に逆手で構えられた分厚い小太刀。
二つの魂を同時に宿す『多重同化』の異常な負荷は、すでにヴァンの肉体を限界のその先へと追い込んでいた。筋肉の繊維はほとんどが断裂し、それを超高圧の紫電がギプスのように強制的に繋ぎ止めている状態だ。一歩踏み出せば、己の足の骨が砕けるのがわかる。
だが、ヴァンの心は明鏡止水。
宮本武蔵の『空』の境地が、雷獣の荒れ狂う魔力を完全に統制し、極限の集中力を生み出していた。
「……王よ。お前の剣には、何も護るものがない」
ヴァンが静かに息を吐き出した。吐息は極度の熱によって白い蒸気となり、血の匂いと共に大気に溶けていく。
「自分の力に溺れ、他者を見下すだけの孤独な刃。……そんな薄っぺらなもので、俺の背中にある命は斬らせない」
シュヴァルツが絶叫と共に、漆黒の槍を突き出して突進してくる。
ヴァンもまた、砕けかけた両足の筋肉に雷の魔力を叩き込み、爆発的な踏み込みで正面から迎え撃った。
交錯の瞬間。
二天一流の真骨頂である、流れるような絶対の連撃が開始された。
シィィィンッ!
まず、右手の斬馬刀が下段から跳ね上がるように振り抜かれる。
巨大な質量の刃が、シュヴァルツの放った漆黒の槍の先端を正確に打ち据え、その軌道を強引に上空へと逸らした。王の全力の刺突が、空を切る。
「なっ……!?」
体勢を崩したシュヴァルツの懐へ、ヴァンは雷の速度で滑り込んだ。
そこからは、まさに瞬きすら許されない圧倒的な蹂躙であった。
ヴァンの左手から放たれた紫電の小太刀が、シュヴァルツの右腕の腱を的確に切断する。刃こぼれ一つない分厚い鉄の刃が、雷の魔力と武蔵の技理を乗せることで、いかなる名刀をも凌駕する切れ味を発揮していた。
「ガァッ!」
腕を斬り裂かれ、怯んだシュヴァルツに対し、斬馬刀の重い連撃が襲いかかる。
袈裟懸け、逆袈裟、横薙ぎ。
斬馬刀が豪快に敵の防御を叩き割り、体勢を崩した隙を、死角から放たれる小太刀の刺突が確実に抉り取る。長と短、剛と柔。二つの刃が途切れることなく連なり、紫色の雷光がシュヴァルツの全身に無数の斬線を刻み込んでいく。
「ア、アアアァァァッ!!」
王の絶叫が広場に響き渡る。
いかに強大な影の魔力を持とうとも、超音速で繰り出される武蔵の連撃の前では、魔法を発動する一瞬の隙すら与えられない。
ヴァンの肉体もまた、一振りごとに血飛沫を上げ、限界を超えた悲鳴を上げていた。だが、彼は決して止まらない。誰かを護るためならば、己の命すらも平然と燃やし尽くす狂気的なまでの自己犠牲の精神。それこそが、ヴァン・アッシュクロフトという戦士の魂の根幹であった。
「これで、終わりだッ!」
数十発に及ぶ圧倒的な連撃の果て。
ヴァンは渾身の力を込め、右手の斬馬刀と左手の小太刀を頭上で交差させた。
二天一流・奥義。
雷獣の全魔力を刃に収束させた、絶対不可避の十字斬り。
『紫電・二天十文字』。
ドゴォォォォォォォォォォォッ!!!
二振りの刃から放たれた極大の紫電の十字が、シュヴァルツの身体を真っ向から捉えた。
「……ば、かな……この、私が……ただの、人間に……」
シュヴァルツの虚ろな呟きは、落雷の轟音にかき消された。
王の強靭な肉体と、彼を形作っていた濃密な影の魔力が、紫電の十字に斬り裂かれ、内側から完全に崩壊していく。
眩い光と共に、ダークエルフの王シュヴァルツは真っ二つに両断され、光の塵と化して虚空へと消え去った。
王の死。
それは、都市の周囲を取り囲んでいたダークエルフの軍勢にとって、世界が崩壊するに等しい絶望的な光景であった。
「お、王が……シュヴァルツ様が、討たれた……!?」
「馬鹿な、あのような人間の戦士ただ一人に……! 影の絶対領域すら破られたというのか!」
建物の屋上や路地裏で戦況を見守っていたダークエルフの将兵たちは、恐怖に顔を引き攣らせ、ガタガタと震え上がった。
彼らが絶対の神と崇めていた王が、手も足も出ずに圧倒的な剣技で蹂躙され、消滅したのだ。もはや彼らの心に、戦いを継続する意志など微塵も残っていなかった。
「に、逃げろ! あれは人間ではない、化け物だ!」
「全軍撤退! 影に潜って森へ帰れェェッ!」
パニックに陥ったダークエルフたちは、武器を放り出し、我先にと路地裏の影へと飛び込んでいく。
かつて人間の召喚師たちを一方的に虐殺し、恐怖のどん底に陥れた影の軍勢が、今や一人の戦士の気迫に完全に心を折られ、蜘蛛の子を散らすように自国へと逃げ帰っていくのだ。
広場に、再び静寂が訪れた。
分厚い暗雲は完全に晴れ渡り、澄み切った青空から、暖かな太陽の光が城塞都市グリオンを包み込んでいる。
その光の中央で。
ヴァンは交差させた二振りの剣をゆっくりと下ろし、荒い息を吐き出した。
彼を包んでいた紫電のオーラが静かに霧散していく。
「……終わった、な」
ぽつりと呟いた瞬間。
二つの強大な魂を解放した反動が、ヴァンの肉体に一気に押し寄せた。
限界を超えて彼を支えていたアドレナリンと魔力が切れ、全身の筋肉と骨が限界の悲鳴を上げる。痛覚を持たないヴァンであっても、生命維持の限界を示すように、彼の視界は急速に暗転していった。
巨大な斬馬刀と小太刀が、カラン、と乾いた音を立てて石畳に落ちる。
それを追うように、血に染まった英雄の身体が、ゆっくりと前方へと傾いていった。




