表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「お前の針仕事など誰でもできる」と追放された令嬢仕立て師——王都が私を探し当てた時、もう半年遅かった  作者: 歩人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/20

第12話: 共同で仕立てる

 翌朝、私の店の扉が、ノックされた。


 「カミラさん」


 扉の前に立っていたのは、昨日と同じく、エプロンをきっちりと身につけたカミラ・ロッソだった。

 ただ、昨日の彼女と少しだけ違うのは——

 肩の力が、ほんのわずかに、抜けていたこと。


 「入って、いいかい」


 私は、頷いた。


 彼女は、店の中に入って、作業机の前に立った。私が今朝から取りかかっていた、麻のシャツの袖の補修を、しばらく見ていた。

 彼女は、何も、言わなかった。

 私も、何も、言わなかった。


 昨夜から、私は、ずっと考えていた。

 彼女の「弟子にしてくれ」に、どう答えるべきか。


 弟子、という言葉が、私の中で、しっくりと、来ていなかった。

 私は、誰かに「教えられる」ほど、自分の縫い方を、整理できていない。屋敷の十年で、私は、誰にも教わらず、誰にも教えず、ただ、布と二人だけで、縫い続けてきた。

 その縫い方を、言葉にして、伝える。それが、私には、できる気がしなかった。


 でも——

 彼女に「答えられない」と返すのも、違う気がした。

 昨日の彼女が、深く頭を下げてくれた、その重みを、私は、預かっている。


 私が口を開きかけた、その時。




 扉が、もう一度、ノックされた。


 今度は、慌てた響き。

 カミラと、私が、同時に振り返った。


 「失礼。ファブリツィア仕立て店、と聞いて」


 扉の向こうに立っていたのは、見覚えのない男だった。

 四十代後半、中肉中背、上等な布で仕立てられた紺色の旅装。胸ポケットに、ピアラ市の紋章が、銀の小さな飾りで留められていた。


 「私は、ピアラ市の使者、ガスパールと申します。市長夫人より、急ぎの仕立て依頼を、お持ちしました」


 ピアラ。

 南方港町ピアラ——絹と染料の輸入港。エミルが、特別な布を仕入れに、何度か行く街だった。

 その街の、市長夫人。


 「あの——ファブリツィア仕立て店の評判を、市長夫人が、街道筋の旅商人ヤニ氏から、お聞きしたとのことです」


 ヤニ。

 半月前、彼が「市場で噂を、しておいてやる」と言った、その言葉が、こんな形で、戻ってきていた。


 「祭礼用のローブ、十二日後の冬至祭で、夫人がお召しになるものです。一着、お願いできませんか」


 十二日。


 私は、しばらく、何も言わなかった。

 祭礼用のローブを、一着、新規で仕立てる。十二日。

 屋敷の十年なら、一人で、ぎりぎり、間に合わせていた仕事量だった。

 けれど、今の私の店では——


 私の視線が、無意識に、隣のカミラに、向いた。

 彼女は、私の視線を、しばらく、受け止めていた。

 それから、彼女の方が、わずかに、頷いた。




 「お引き受けします」


 私は、ガスパール氏に答えた。

 「ただし、私一人では、十二日では、難しいかもしれません」


 ガスパール氏が、わずかに、眉をひそめた。


 「ですから——」


 私は、息を、整えた。


 「カミラ・ロッソさんと、共同で、お仕立てします」


 カミラの目が、わずかに、見開かれた。

 ガスパール氏は、私の隣のカミラを、ちらりと見た。「カミラ・ロッソ」の名前を、彼は、知っていたようだった。


 「カミラ氏。ファーデンの古参職人ですね。共同で、というのは——」


 「弟子としてではなく」と、私は、はっきりと、言った。

 「対等の職人として。私の十年と、カミラさんの三十年が、対等に、一着のローブを、仕立てます」


 ガスパール氏は、しばらく、私とカミラを、交互に、見ていた。

 それから、頷いた。


 「畏まりました。料金は、銀貨十枚で、ご相談したいのですが」


 「ありがとうございます」


 契約は、その場で、まとまった。

 ガスパール氏は、夫人の体型と好みの色味を伝え、金糸の刺繍の見本を置いて、店を出ていった。




 扉が閉まった後、店の中には、私とカミラだけが、残っていた。


 しばらく、二人とも、何も言わなかった。


 「あんた」


 最初に口を開いたのは、カミラだった。


 「弟子に、しないのかい」


 「弟子では、私は、何も教えられません」


 私は、正直に、答えた。

 「私は、屋敷の十年で、誰にも教わらず、誰にも教えず、布と二人だけで、縫ってきました。教える言葉を、私は、まだ、持っていません」


 「でも、共同で、と」


 「対等で、なら、できます」


 私は、続けた。

 「カミラさんのエプロンの継ぎ当てを、私は、屋敷では、誰からも見せてもらえなかった」


 それは、私の説明できる、ぎりぎりの言葉だった。

 年数の差を、深さに置き換える話ではない。継ぎ当てを縫った人と、縫ったもののない人の、種類の違い。

 カミラには、それが、たぶん、伝わった。


 カミラは、自分のエプロンの裾を、無意識に、撫でた。


 「私には、それは、ない。だから、対等じゃ、ないかもしれません」


 私は、首を、振った。

 「対等です。私の十年と、カミラさんの三十年は、別の種類の重みを、持っているだけです。重さの種類が違うものは、比べられません。だから——共同で、いいんです」


 カミラは、しばらく、私を、見つめていた。


 彼女の目に、わずかに、何かが、揺らいでいた。

 悔しさでも、喜びでもない、別の何か。

 たぶん——「ようやく、針を握る理由を、もう一度、見つけた」、という顔だった。


 「分かった」


 彼女は、頷いた。

 「対等で、やろう。共同で。十二日後の冬至祭まで」




 次の十二日間は、私の店の作業机に、二人分の道具が、並んだ。


 カミラは、毎朝、自分の店の朝の客を片付けてから、私の店に来た。

 午後から、私たちは、一緒に作業した。

 彼女は、自分の道具——使い込まれた銀の指ぬき、何十年も研ぎ続けた裁ち鋏、太めの絹糸の見本——を、私の机の片側に、丁寧に並べた。

 私の机の上に、彼女の三十年が、置かれている。

 それを見ているだけで、私の指先が、いつもより、わずかに、緊張した。


 最初の数日は、ぎこちなかった。

 彼女が刃物を入れる位置と、私が刃物を入れる位置が、わずかに違う。糸の太さの選び方も、布の伸ばし方も、少しずつ、違う。

 お互いの手の動きを、私たちは、毎日、見ていた。

 時々、私が「カミラさんの、その縫い目の方が、強そうですね」と言うと、彼女は「そうか」と短く返した。

 時々、彼女が「あんたの、その布の伸ばし方は、私には、できないね」と呟くと、私は「お互いさまです」と返した。


 四日目。

 私たちの手の動きが、わずかに、揃い始めた。

 布を、二人で抑える時の、力の入れ方が、なじんできた。

 糸を、二人で引き締める時の、呼吸が、合ってきた。


 六日目。

 カミラが、ふと、笑った。

 「あんた、布に話しかけるね」

 私は、頷いた。

 「カミラさんも、思い出してきましたか」

 彼女は、わずかに、頷いた。

 「……三十年、忘れていた癖が、戻ってきた気がする」




 八日目の夜、私たちは、店の奥で、肩を並べてローブの胴部を縫っていた。

 暖炉の火が、わずかに、揺れていた。

 カミラが、ふと、ぽつりと言った。

 「あんたの十年は、ずっと、一人でやってきたんだろう」

 私は、頷いた。

 彼女は、それ以上は、何も聞かなかった。

 ただ、隣で、糸を引き締める指先の動きが、いつもより、少しだけ、優しかった。


 九日目。

 ローブの大半は、完成していた。

 残りは、襟元の金糸の刺繍と、裾の最後の整え。


 「裏地に、署名は、入れるかい」


 カミラが、ふと、聞いた。


 私は、針を、止めた。

 屋敷の十年で、私は、四百三十二着のドレスの裏地に「T.F.」を縫い続けてきた。

 でも、ファーデンに来てから、私は、まだ、裏地に署名を、入れていなかった。

 誰かに見つからないように、息を潜めて残す必要が、もう、ないからだ。


 「入れます」


 私は、答えた。

 「でも、今度は、二つです」


 「二つ?」


 「私の『T.F.』と、カミラさんの『C.R.』」


 カミラの目が、わずかに、揺らいだ。


 「対等で、仕立てたんですから。署名も、対等で」


 彼女は、しばらく、何も言わなかった。

 それから、ゆっくりと、頷いた。


 「……あんた、本当に、変な娘だ」


 声が、わずかに、震えていた。


 その夜、私たちは、ローブの裏地の、誰にも見えない場所に、二つの署名を、二重縫いで、隣り合わせに、縫い込んだ。

 T.F. と、C.R.


 私の十年と、カミラさんの三十年が、糸の中で、初めて、肩を並べた。




 十二日目の朝、ガスパール氏が、ローブを取りに来た。


 彼は、ローブを広げて、しばらく、見ていた。

 襟元の金糸の刺繍。裾の朝霧の絹のレース。仕立ての精度。

 全部、完璧だった。

 二人分の手で仕立てた、けれど、一人で仕立てたかのように、整っていた。


 「素晴らしい」


 ガスパール氏は、それだけ、言った。

 「冬至祭で、夫人がお召しになります。きっと、ピアラの夜会で、話題になるでしょう」


 彼は、銀貨十枚を机に置き、ローブを、丁寧に布で包んで、店を出ていった。


 扉が閉まった後、私たちは、しばらく、無言だった。


 「あんた」


 カミラが、ぽつりと言った。


 「私の三十年は、たぶん、まだ、終わっていない」


 「はい」


 「あんたの十年と、肩を並べる十二日が、できた」


 「はい」


 短い返事しか、私には、できなかった。

 でも、その「はい」を、カミラは、ちゃんと、聞き取ってくれた、と思う。

 これから、もう少し、針を握れる気がする——その先のことは、彼女の中で、たぶん、声に出さないままで、十分だった。




 十二日後の冬至祭が終わった頃から、ファーデンの市場で、私の名と、カミラの名が、対で語られ始めた。

 ピアラの夜会で、市長夫人のローブが、評判になったらしい。

 「ファーデンには、二人の本物の仕立て師がいる」と。


 エミルの店にも、変化があった。

 南方の絹と染料の問い合わせが、急に、増えた。

 ピアラ経由で、ファーデンの新しい仕立て師の評判を聞いた、別の街道筋の商人たちが、エミルに「あの、上等の絹、もう少し融通できないか」と訪ねてくるのだった。


 ある夜、エミルが店に顔を出した。

 「お前のおかげで、うちの店も、忙しくなってきた」

 彼の口調は、いつも通りのぶっきらぼう。けれど、目だけが、わずかに、笑っていた。

 「迷惑、ですか」

 「逆だ」

 彼は、それだけ言って、扉を閉めた。


 窓の外で、樫の看板が、夜風に、軽く揺れていた。

 革紐の軋みが、いつもより、少しだけ、誇らしげに聞こえた。


 ファーデンの私の店に、少しずつ、何かが、根を下ろし始めていた。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


第12話、ティナとカミラが、初めて「共同で」一着を仕立てました。「弟子ではなく、対等で」というティナの選択は、彼女が屋敷の十年で「比べられる側」だった経験から、生まれた優しさです。年数の違いを「深さの違い」と混同しない。重さの種類が違うものは、比べられない。


「裏地に二つの署名」——T.F.とC.R.を二重縫いで隣り合わせに縫い込む場面、書きながら、自分自身が、少し嬉しくなりました。屋敷の十年、ティナは「T.F.」を一人で縫い続けてきた。今、彼女の隣に、もう一つの署名が、並んでいる。誰にも見えない場所に。

裏地の二重縫いは、本来、孤独な技法です。けれど、ティナは、その孤独な技法を、もう一人と、共有する方法を、見つけました。


カミラの「あんた、本当に、変な娘だ」——あの台詞、書きながら、彼女が、ティナを「弟子の師匠」ではなく「対等の同志」として認めた瞬間だと、感じました。三十年職人が、二十二歳の娘を「変な娘」と呼ぶ。その「変」の中には、敬意と、戸惑いと、温かさが、全部、含まれていたと思います。


エミルの店にも、波が、来始めました。ティナがファーデンに来てから、町の経済が、少しずつ、動き始めています。けれど、その動きは、まだ、辺境の中だけのもの。

王都から、もう一つの大きな波が、ティナに向かって、近づいてきていることに——

ティナは、まだ、気づいていません。


第13話、隣町の市長夫人のローブの評判が、思わぬ場所まで届きます。ピアラの夜会に出席していた、ある貴族の女性が、その評判をきっかけに、辺境ファーデンへ、別の用事で立ち寄ることになります。


辺境の小さな仕立て屋の物語、ゆっくりお付き合いいただければ嬉しいです。

☆評価・ブクマ・感想をいただけると、続きを書く励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
静かに…そして、しっかりと心に響く物語をいつもありがとうございます。 これからも応援しております。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ