第32話:飢える領民と、立ち上がる反乱の火種
天を仰げば、重苦しく垂れ込めた鉛色の雲がどこまでも広がり、冷涼な風が不吉な唸り声を上げて吹き抜けていた。
ロシュ侯爵領の中央部に広がる、広大な穀倉地帯。
本来であれば、この時期の畑一面には、波打つ大海原のごとく黄金色に輝く豊かな小麦の穂が、頭をしなだれて収穫の時を待っているはずであった。
ロシュ侯爵領の小麦は、王国内でも指折りの品質を誇り、「黄金麦」として近隣諸国や王都の高級ベーカリーへ高値で卸されていた至高の特産品。領民たちにとっては、厳しい冬を越すための命の糧であり、誇りそのものであった。
だが――今、その広大な大地に広がっていたのは、目を見張るような黄金の海などでは断じてなかった。
「……う、嘘だろ……。おい、嘘だと言ってくれよ……!」
畑のあぜ道に崩れ落ちた初老の農夫が、泥にまみれた両手で頭を抱え込み、悲痛な叫びを漏らしていた。
彼の目の前に広がっていたのは、まるで地獄の業火にでも晒されたかのような――無惨極まりない「死の黒野」であった。
数日前まで青々と背丈を伸ばし、実りつつあったはずの小麦の茎が、地面に近い根元からドス黒く変色し、まるで墨汁を吸い上げたかのように干からびていた。
葉はカサカサに縮こまって地面に落ち、指の太さほどに膨らむはずだった麦の穂は、中身が完全にスカスカのまま、灰色の籾殻だけを残して無残に折れ曲がっている。
風が吹き抜けるたび、カサリ、カサリと、骨が擦れ合うような不気味な乾いた音が大地を這い回る。
それだけではない。
農夫が震える手で足元の土をすくい上げた瞬間、ボロボロと乾いた灰のような砂が、指の隙間から零れ落ちた。
「土が……死んじまってる……! あんなに黒々として、瑞々しかった土が……まるで石臼で挽いた灰みたいにパサパサだ……!」
かつて、ロシュ侯爵領の土壌は決して肥沃なものではなかった。
小石が多く、雨が降れば泥濘み、日照りが続けばひび割れる、扱いにくい痩せ地。
それを、過去数年間にわたって「奇跡の穀倉地帯」へと変貌させていたのは、他ならぬエリアーナ・ヴァン・ベルクの存在であった。
彼女は早朝、誰よりも早く屋敷を出ては、自らの足でこの広大な農地を歩き回っていたのだ。
粗末な木綿の作業着を着て、泥に塗れながら土を耕し、冷たい水路の泥を掻き出し、土壌の一握りごとに自らの清廉な魔力を注ぎ込んでいた。
――【万物最適化】。
土壌中の微生物のバランスを極限まで整え、地脈から大地の栄養分を過不足なく吸い上げさせ、天候の不順や病害虫の脅威を完璧に退ける、文字通りの神業。
農民たちは、彼女が微笑みながら畑を歩くだけで土が温かくなり、作物が目に見える速度で元気を取り戻す姿を、畏敬の念を込めて見つめていたものだった。
だが、あの夜会の日。
エリアーナが指を鳴らし、領地全土に施していた【最適化】の恩恵をすべて解除した瞬間から、大地の生命維持装置は完全に停止していたのだ。
これまで彼女の膨大な魔力によって無理やりポテンシャルを極限まで引き出されていた反動が一気に押し寄せ、土壌の地力は一夜にして完全に枯渇した。
根から栄養を吸い上げることができなくなった麦は、病気に対する抵抗力すら失い、冷たい夜風に吹かれただけで一斉に壊死し、立ち枯れてしまったのである。
「収穫直前の麦が……全部、全滅だ……!」
「お終いだ……! 今年の収穫は、一粒たりとも残っちゃいねえ!」
「冬を越せねえぞ! 子供たちに食わせるパンすら、どこにもねえんだ!!」
畑のあちこちから、農民たちの絶望的な慟哭と悲鳴が湧き起こった。
男たちは大地を拳で叩いて血を流し、女たちは幼子を抱きしめて泣き叫び、老人たちは天を仰いで神の慈悲を乞うた。
しかし、天から奇跡の雨が降ることはなかった。
降り注いできたのは、さらなる破滅を告げる過酷な現実だけであった。
◇
農地の壊滅は、領都の市場へと瞬く間に波及した。
本来であれば、農村部で収穫されたばかりの新麦が粉挽き場へと運ばれ、街のベーカリーから香ばしいパンの匂いが漂ってくるはずの時期であった。
だが、今や領都の中央広場にある市場は、死んだように静まり返っていた。
商店街のシャッターは固く閉ざされ、わずかに開いている食糧店の前には、硬貨を握りしめた数百人の領民たちが、すがるような形相で長蛇の列を作っていた。
しかし、店主が店頭に掲げた看板の数字を目にした瞬間、人々から悲鳴が上がった。
「小麦粉一袋が……銀貨三十枚だとぉっ!? 先週までの十倍以上の値段じゃねえか!!」
「文句を言ってもどうにもならん!」
店主が青ざめた顔で怒鳴り返す。
「街道が魔獣で完全に封鎖されて、外からの交易馬車が一台も入ってこねえんだ! 近隣の領地からの穀物の輸入もストップ、領内の麦畑は立ち枯れて全滅だ! 店にあるのは、倉庫の奥に残ってた去年の古麦の残りだけなんだよ! 買えねえなら帰んな!」
「そんな無茶苦茶な! 子供が三日前から水しか飲んでねえんだ! 頼む、少しでいいから安く売ってくれ!」
「私たちを見殺しにする気かぁっ!!」
押し合いへし合いの怒号。
手持ちの僅かな小銭では、カビの生えた黒パンの切れ端すら買えない。
街道の封鎖による物流の途絶と、領内農作物の全滅――二重の致命傷が、ロシュ侯爵領の全域を急速な「飢餓」へと叩き落としていた。
街の路地裏には、空腹に耐えかねてうずくまる人々が溢れ、治安は音を立てて崩壊し始めていた。
給与を支払われず武器も支給されない領主私兵団は、警備任務を放棄して逃亡するか、あるいは自ら商店から食糧を強奪する始末。
かつて「王国で最も豊かで平和な領地」と謳われた面影は、わずか十数日の間に、完全に消え失せていた。
そして――飢えと恐怖が極限に達した領民たちの心の中で、ひとつの感情が、猛烈な劫火となって燃え上がり始めた。
――怒り。
なぜ、こんなことになったのか。
なぜ、自分たちが飢え死にしなければならないのか。
街道の防護結界が砕け散ったのも、麦畑が全滅したのも、すべては領主が何の手も打たず、無能を晒し続けているからではないのか。
それどころか、噂によれば、新しい婚約者のティファーヌは王都から商人たちを呼びつけ、何千枚もの金貨を使って宝石やドレスを買い漁り、連日のように豪遊を繰り返しているというではないか。
「俺たちが汗水垂らして納めた税金で、あの女は宝石を着飾ってるってのか!?」
「結界が壊れたのも、領主様が魔導士を雇わずに放ったらかしにしてたからだ!」
「侯爵邸の備蓄庫には、何年分もの穀物が眠っているはずだ!」
「そうだ! 侯爵邸へ行こう! 領主様に直訴するんだ!」
「減税を! 食糧の放出を求めよう!!」
誰かが上げたその叫びは、瞬く間に火薬庫に落ちた火の粉のように、数千人の領民たちの心を呑み込んだ。
鍬を手にした農夫たち。
錆びた鎌や棍棒を握りしめた若者たち。
飢えに泣く我が子を抱いた母親たち。
一人、また一人と隊列に加わり、その群れはやがて巨大な怒りの奔流となって、丘の上にそびえ立つロシュ侯爵邸へと向かって地鳴りを立てて行進を始めた。
◇
ロシュ侯爵邸の正面大門。
豪奢な鉄格子の門扉の外側は、いまや黒山の人だかりによって完全に埋め尽くされていた。
「減税しろぉぉぉッ!!」
「食糧を寄越せ! 備蓄庫を開けろぉぉぉッ!!」
「飢え死にしてしまう! 領民を見殺しにするなぁぁぁッ!!」
数百人、いや、千人を超える領民たちが、鉄格子の門を激しく揺さぶりながら怒号を張り上げていた。
ガシャン、ガシャンと軋む鉄の門扉。
掲げられた無数の松明の火が、夕暮れの空を不気味な朱色に染め上げ、群衆の放つ殺気配が、冷え切った屋敷の敷地内へと雪崩れ込んでくる。
本邸二階の執務室の窓辺。
カーテンの隙間からその光景を覗き見下ろしていたユリウス・ド・ラ・ロシュは、ガタガタと歯の根を鳴らし、全身から脂汗を噴き出させていた。
「ひ……ひぃっ……! な、何なんだ、あいつらは……!? 暴動か!? 反乱軍なのか!?」
ユリウスの顔は、死人のように青白く引き攣っていた。
手にした酒瓶を取り落とし、絨毯の上に赤ワインの染みが広がる。
窓の外から地鳴りのように響いてくる「減税」「食糧放出」のシュプレヒコール。
それが、今のユリウスにとって、どれほど恐ろしい死刑宣告であったか。
減税など、できるはずがなかった。
すでに金庫は空っぽであり、商業ギルドや高利貸しからの借金の返済期日は目前に迫っているのだ。今すぐにでも領民から重税を取り立てて金を工面しなければならない立場なのに、減税などすれば、その瞬間にロシュ侯爵家は破産する。
ましてや――「食糧の備蓄放出」など、天地が裂けても不可能な相談であった。
かつてエリアーナが管理していた頃は、地下の穀物庫に数年分の小麦と干し肉が完璧な品質管理で保存されていた。
しかし、先代侯爵の時代から始まった放漫財政の補填のために、ユリウス自身が数ヶ月前、その備蓄穀物の大半を王都の商人に安値で売り払い、自らの遊興費に変えてしまっていたのだ。
いま、侯爵邸の備蓄庫にあるのは、ネズミの齧った僅かな麦かすと、ティファーヌが飲むための高級ワインの樽くらいしかなかった。
「ないんだよ……! 金も、小麦も、この屋敷のどこにもありはしないんだよ……! あいつらにくれてやるものなど、何一つないんだぁぁぁッ!!」
ユリウスは狂ったように自らの髪をかきむしり、叫んだ。
その時、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
「ユリウス様ぁぁぁッ!!」
飛び込んできたのは、ティファーヌであった。
耳を塞ぎ、顔を真っ赤にしてヒステリックに叫び散らす。
「何ですの、あの外の汚らわしい虫けらどもはぁッ!? わたくし、お昼寝をしていたのに、あいつらの怒鳴り声のせいで目が覚めてしまいましたわ! 頭が割れそうに痛いですこと! 早くあの下賎な連中を全員首を刎ねて、追い払ってくださいまし!!」
「ティファーヌ……! そ、そんなことを言ったって、あいつらは飢えて暴徒化しているんだぞ! 下手に刺激すれば、門を突き破って屋敷になだれ込んでくるかもしれないんだ!」
「知ったことじゃありませんわ!」
ティファーヌは足を踏み鳴らし、ユリウスの胸元を両手で力任せに突き飛ばした。
「貴方はこの領地の主でしょう!? 次期侯爵でしょう!? 平民の分際で貴族の屋敷に押し寄せるなんて、大罪ですわ! 反逆罪ですわ! 私兵を使って、全員皆殺しにすればよろしいではありませんか! あんな汚い連中の声を聞いているだけで、わたくし、吐き気がして死んでしまいそうですわよ!!」
耳元で炸裂するティファーヌのヒステリー。
窓の外から響く領民たちの怒号。
四方八方から責め立てられ、追い詰められたユリウスの脆弱な精神の糸が、プツンと音を立てて切れ落ちた。
「……あ……ああ……! そうだ……そうだ、ティファーヌの言う通りだ……!」
ユリウスの瞳から、理性の光が完全に消え失せた。
代わりに宿ったのは、狂気と、自らの特権階級の立場にすがる歪んだ傲慢さ。
「あいつらは平民だ……! 私に従うべき、虫けらどもだ! この私が……ロシュ侯爵家の血を引く高貴な私が、なぜあんな土百姓どもに頭を下げねばならんのだ! 減税だと? 食糧だと? 調子に乗るのも大概にしろ!!」
ユリウスは壁に掛けてあった儀礼用の細剣を乱暴に引っ掴むと、執務室を飛び出し、大階段を駆け下りた。
エントランスホールには、青ざめた顔で待機していた私兵部隊の生き残りたち――わずか五十名ほどの兵士たちが、槍を構えて怯えていた。
「おい、私兵どもッ!!」
ユリウスは階段の上から、唾を撒き散らして号令を下した。
「門を開けろ! そして、あの門前に群がる反逆者どもを、一人残らず力ずくで叩き出せ!!」
「な……旦那様!?」
私兵隊長が目を剥いて叫んだ。
「お、お待ちください! 外にいるのは領民たちです! 飢えに苦しむ農民たちなのですぞ! 武器を向けるなど、正気の沙汰ではございません!」
「黙れ、給料泥棒がッ!!」
ユリウスは隊長の顔面を、手にした細剣の鞘で力任せに殴りつけた。
バキッ、と鈍い音が響き、隊長が鼻血を流して床に倒れ込む。
「私の命令に逆らう者は、即刻反逆罪で処刑するぞ! 武器を使え! 刃を向けろ! 抵抗する者は容赦なく切り捨てろ! 貴族の領地に土足で踏み入ろうとした罪を、その身に刻み込んで追い払えぇぇぇッ!!」
主人の狂乱の怒声。
私兵たちは互いに顔を見合わせ、絶望的な面持ちで唾を飲み込んだ。
給与も支払われていない主君のために、己の同胞たる領民を傷つけることへの激しい抵抗感。
しかし、目の前で抜刀して目を血走らせているユリウスの狂気に圧され、彼らは重い足取りで門扉へと向かわざるを得なかった。
ギギギ……と、巨大な鉄格子の門が、内側から開け放たれた。
「開いたぞ!」「領主様が出てこられたぞ!」
領民たちの間に、一瞬だけ期待のどよめきが走った。
話し合いができるのか、少しでも穀物を分けてもらえるのか――そう信じて身を乗り出した農夫たち。
――しかし。
門の向こうから飛び出してきたのは、慈悲の施しなどでは断じてなかった。
「退けぇぇぇッ!! 屋敷の敷地から離れろッ!!」
怒号とともに、私兵たちが槍の柄と鉄の盾を構えて一斉に突撃してきたのだ。
ドガッ! バキッ!!
「ぐわぁっ!?」
「きゃあああああっ!!」
先頭に立っていた農夫たちが、容赦なく盾で弾き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
私兵たちの持つ槍の柄が、棍棒のように領民たちの肩や背中へと振り下ろされる。
骨が折れる鈍い音。
引き裂かれる皮膚。
飛び散る鮮血。
「な……何をすんだぁっ!?」「俺たちは腹が減ってるだけだぞ!」「やめろ、子供がいるんだ!!」
叫び声と悲鳴が入り乱れ、門前は一瞬にして阿鼻叫喚の流血の惨場へと変貌した。
非武装の領民たちに、棍棒や槍で武装した兵士たちが襲いかかる。
抗議の声を上げていた若者が頭部を殴打されて昏倒し、泣き叫ぶ母親が突き飛ばされて泥水の中に倒れ込む。
そして――門の内側、安全な敷地の中から、ユリウスは細剣を振り回しながら、狂気じみた嘲笑を浴びせかけていたのだ。
「ハハハハッ! 見ろ、無様な虫けらどもめが! この私に歯向かうからそうなるのだ! 減税だと? 施しだと? 身の程を弁えろ、下賎な土百姓どもが! 飢え死にしたいなら、道端で勝手に野垂れ死ね! 二度と私の屋敷に近づくなぁぁぁッ!!」
その言葉は、冷徹に、そして残酷に、領民たちの耳へと突き刺さった。
数十分に及ぶ一方的な暴力の末、怪我人を抱え、血を流しながら、領民たちは這うようにして門前から後退していった。
鉄格子の門が、再び重々しい音を立てて固く閉ざされる。
敷地の前には、割れた松明と、散乱した棍棒、そして地面を赤黒く染める生々しい血痕だけが残されていた。
◇
門前から少し離れた、街へと続く坂道。
泥と血にまみれ、肩を貸し合いながら歩く領民たちの群れ。
額を割られ、白い布を血で赤く染めた初老の農夫が、足をもつれさせながら立ち止まった。
彼はゆっくりと振り返り、丘の上にそびえ立つロシュ侯爵邸を見上げた。
窓からは、豪奢なシャンデリアの眩い光が漏れ、温かな暖炉の煙が立ち上っている。
その光を見上げる農夫の瞳には――もはや、涙の一滴すら残っていなかった。
「…………」
農夫の瞳に宿っていたのは。
周囲に立ち尽くす、数百人の領民たちの瞳に宿っていたのは――。
底知れない、氷のように冷徹な「怨嗟」。
そして、主君に対する一片の敬意も消え去った、絶対的な「殺意」の炎であった。
「……領主様だと……?」
農夫の唇から、血の混ざった唾とともに、掠れた声が零れ落ちた。
「あんな奴が……あんな男が、俺たちの主君なわけがあるか……。俺たちを飢えさせ、畑を枯らし、あまつさえ血を流させて踏み躙りやがった……!」
「そうだ……! 許せねえ……絶対に許せねえぞ……!」
「あんな男のために、税金なんて一文たりとも払うものか!」
「もう従わねえ! あいつらは、俺たちの敵だ!!」
低く、地を這うような怒りの声が、暗闇の中に木霊していく。
領民たちの心は、この瞬間――完全に、決定的に、ロシュ侯爵家から離反した。
そして、誰かの口から、祈るような、懺悔のような呟きが漏れ聞こえた。
「……エリアーナ様……」
その名が発せられた瞬間、周囲の領民たちの肩が、一斉に小さく震えた。
「エリアーナ様がいらっしゃった頃は……こんなことにはならなかった……」
「あのお方は、泥に塗れて俺たちの畑を手伝ってくださった……」
「怪我をした俺の子供に、優しく手を当てて治してくださった……」
「あのお方こそが、本当の領主様だったんだ……! あんな無能な男と、派手なだけの妹なんかに追い出されてしまわなければ……!」
後悔と、思慕。
失って初めて気づいた、かつて自分たちを慈しみ、守り抜いてくれていた「聖女」の尊さ。
だが、その聖女はもういない。
自分たちを虫けらのように殴りつける、傲慢で無能な領主と、税金を貪る毒婦だけが残された。
「……燃やしてやる」
若者の一人が、血走った目で呟いた。
「次の満月の夜だ。……領民全員で武器を取るぞ。あんな屋敷、焼き払ってやるんだ」
静かに、しかし確実に。
反乱の火種は、ロシュ侯爵領の暗がりの中で、パチパチと音を立てて燃え広がり始めていた。
閉ざされた屋敷の執務室で、力による鎮圧に成功したと信じ込み、安堵のワインを煽るユリウスは――自らの首元に、すでに処刑台の縄が完全に掛けられていることに、まだ気づいていなかったのである。




