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第3話:夜会の中心で響く、愚かな破棄宣告

王都の中心にそびえる白亜の王宮大広間は、年に一度の建国記念日を祝う熱気と、眩いばかりの光彩に満ちあふれていた。


頭上に掲げられた十数基の巨大なクリスタル・シャンデリアは、魔法具の光を幾重にも乱反射させ、磨き上げられた大理石の床を黄金色に染め上げている。

豪奢な管弦楽団が奏でる華やかなワルツの旋律、貴婦人たちが纏う絹やベルベットが擦れ合う微かな衣擦れの音、クリスタルグラスが触れ合う澄んだ響き、そして心地よい談笑。

王侯貴族たちが一堂に会するこの場は、富と権力、そして美の粋を集めた、まさに現世の極楽と呼ぶにふさわしい華麗な宴であった。


だが、その目も眩むような光の輪から遠く離れた、大広間の最果て――。

給仕たちが慌ただしく出入りする配膳口の脇、巨大な大理石の円柱が落とす暗い影の中に、エリアーナ・ヴァン・ベルクはたった一人で立ち尽くしていた。


彼女の姿は、この場に集う誰とも異質だった。

身に纏っているのは、何年も前に仕立てられ、幾度も手入れを重ねたことで色褪せてしまったモスグリーンの夜会服。装飾らしい装飾は一つもなく、レースはくたびれ、裾には目立たぬよう丁寧に縫い合わされた補修の跡がある。

手入れの行き届いた令嬢たちの艶やかな髪とは対照的に、ただ後ろで小さく束ねられただけの栗色の髪。首元や手首には、宝石の類など一つとして輝いていない。

ユリウスに言い渡された「手持ちの適当な古着を羽織っておけ」という命令を忠実に守った結果が、このみすぼらしい佇まいだった。


「……ふう。これで、この区画の魔力循環は整いましたね」


息を潜めながら、エリアーナは円柱の根元に埋め込まれた小さな装飾レリーフから、そっと指先を離した。

華やかな宴の裏で、彼女は決してただ縮こまっていたわけではない。

王宮の大広間は、数百人もの貴族が一斉に魔力を放ち、熱気を生み出す閉鎖空間だ。空気が淀みやすく、壁面に巡らされた防護と換気の術式が、長時間の宴によって過負荷を起こしかけていた。

エリアーナは配膳の進捗を確認する裏方の合間を縫って、会場の四隅にある魔力結節点へ静かに触れ、【万物最適化】を施していたのだ。


彼女がそっと撫でるだけで、詰まりかけていた換気の術式は極限まで効率化され、広間には常に春風のような清涼な空気が循環する。

それだけではない。彼女はここから遥か数十キロメートル離れた、ロシュ侯爵領の境界を守る大結界石へと、自らの魔力の糸を細く長く繋ぎ止め、遠隔での補強を休むことなく続けていた。

胸の奥がチクチクと痛み、魔力の枯渇による微熱が全身を苛んでいる。

それでも、「これが私の役目だから」と、彼女は自分に言い聞かせていた。


その時、広間の入り口から、ひときわ高い歓声と感嘆の吐息が波のように広がった。


「まあ……! ご覧になって、あのお二人を!」

「なんと麗しい……。まるで神話から抜け出してきたかのようだわ」


人波が自然と左右に割れ、大階段の頂上に立った二人の男女に、会場中の視線が吸い寄せられる。


そこにいたのは、艶やかな金髪を誇らしげに揺らし、豪奢な白銀の正装に身を包んだユリウス・ド・ラ・ロシュであった。胸元には侯爵家の威厳を示す勲章が燦然と輝き、その端正な顔立ちには、世界を意のままにしているかのような傲慢な笑みが浮かんでいる。


そしてその腕に愛らしく身を寄せていたのが、エリアーナの妹、ティファーヌだった。

先日、領地の予算を強引に削って誂えさせた、あの淡い紅色の特注シルクドレス。歩くたびに散りばめられた大粒のダイヤモンドが星々のように瞬き、朝露を宿した大輪の薔薇のごとき美貌を完璧に際立たせている。蜜色の豊かな巻き毛を揺らし、恥じらうように頬を染めるその姿は、居並ぶ貴族たちの目を釘付けにしていた。


「ユリウス様、皆様が私たちを見ていらっしゃいますわ……」

「当然だよ、ティファーヌ。今夜の主役は、誰がどう見ても君と私だ。君のその美しさに敵う者など、この会場のどこを探してもいやしない」


ユリウスは満足げに胸を張り、ティファーヌの手を取って大階段を優雅に降りてきた。

すれ違う諸侯や高位貴族たちが、次々と彼らに賛辞を投げかける。


「ロシュ侯爵令息、今宵のパートナーは実に素晴らしい花のようだ」

「さすがは王国有数の富を誇るロシュ家だ。これほど見事なドレスを着こなせる令嬢は、王都中を探してもそうはおるまい」


「はは、もったいないお言葉です。我が領地の繁栄に見合うだけの伴侶を選ぶのも、次期侯爵たる私の務めですから」


ユリウスは得意満面に笑い、恭しく頭を下げて回る。

領地の財政がすでに火の車であり、そのドレスの代金すら支払いが滞っていることなど、彼の脳裏からは完全に抜け落ちていた。すべては己の類まれなる才覚と、ロシュ家の威光によるものだと本気で信じ込んでいるのだ。


柱の影からその光景を見つめながら、エリアーナは胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えていた。

本来、次期侯爵夫人としての正式な婚約者である自分が立つはずだった場所。

だが、今の自分には、あの眩い光の輪に入る資格すらないのだと、冷え切った両手をぎゅっと握りしめる。


――その時だった。


貴族たちとワイングラスを交わしていたユリウスの視線が、ふと広間の最果て、薄暗い柱の影へと向けられた。

そして、みすぼらしいモスグリーンのドレスを着て佇むエリアーナの姿を捉えた瞬間、彼の端正な眉が露骨に跳ね上がった。


(……チッ、あの忌々しい女め)


ユリウスの胸の内に、黒々とした苛立ちと不快感が急速に湧き上がった。

自分がどれほど華やかに脚光を浴びていても、あの陰気で地味な女が「正式な婚約者」として戸籍に存在しているという事実そのものが、彼の肥大化したプライドを激しく傷つけていたのだ。

周囲の貴族たちは、まだティファーヌのことを「婚約者の妹を一時的にエスコートしているだけ」と思っている者もいる。このままでは、いずれあの薄汚い女を正式な妻として迎えねばならないのではないか――そんな下らない懸念を抱かれることすら我慢ならなかった。


(そうだ……。どうせいつか切るつもりだったのだ。諸侯が一堂に会するこの建国記念の夜会こそ、私の正当性と決断力を示す最高の舞台ではないか)


ユリウスの唇に、嗜虐的で醜い歪んだ笑みが浮かんだ。

彼は隣のティファーヌに何事かを耳打ちすると、ティファーヌは驚いたように目を丸くし、次の瞬間には勝ち誇ったような、残酷な笑みを口元に咲かせた。


カラン、カラン、カラン。


ユリウスが手にした銀のナイフで、クリスタルグラスの縁を鋭く打ち鳴らした。

澄んだ硬質な音が広間に響き渡り、ワルツを演奏していた楽団の手が止まる。談笑していた貴族たちが一斉にざわめきを止め、広間の中央に立つユリウスへと視線を向けた。


「皆様、宴の最中に申し訳ありません。次期ロシュ侯爵たる私から、今宵、この栄えある場をお借りして、皆様に重大なご報告がございます!」


堂々たる声が広間に通る。

国王の側近や大公、有力貴族たちが興味深そうに眉を上げる中、ユリウスは芝居がかった仕草で腕を広げ、そして冷酷な視線を真っ直ぐに大広間の隅へと突き刺した。


「――そこへ出てくるがいい、エリアーナ・ヴァン・ベルク!」


静まり返った広間に、その名が鋭く木霊した。

貴族たちの視線が、一斉にユリウスの指差す先――配膳口の脇の薄暗い柱の影へと集中する。


「え……?」


エリアーナは息を呑んだ。

突然、何百人もの冷たい視線に射抜かれ、全身の血が凍りつくような感覚に襲われる。

足が竦み、動けないでいる彼女に対し、ユリウスは苛立ちを隠そうともせずに声を荒らげた。


「聞こえなかったのか! 我がロシュ侯爵家の正式な場において、下女のように影に潜むなど見苦しい真似はやめろ! 中央へ進み出よ!」


ざわざわと広間に嘲笑と好奇の囁きが広がる。

エリアーナは震える足に力を込め、俯いたまま、ゆっくりと大理石の床を踏みしめて中央へと歩み出た。

一歩進むごとに、周囲の貴族たちの冷淡な声が突き刺さる。


「まあ……あの方がヴァン・ベルク伯爵家の長女?」

「なんてみすぼらしい格好なの。いつの時代のドレスを着ているのかしら」

「髪も肌もカサカサで……本当に貴族の令嬢ですの? まるで裏方の下働きのようだわ」

「あれがユリウス様の婚約者だなんて、冗談でしょう?」


容赦のない陰口の刃が、エリアーナの胸を容赦なく切り裂いていく。

針の筵とは、まさにこのことだった。

ようやくユリウスの数歩手前まで辿り着いたエリアーナは、ドレスの裾を小さく握り締め、かすれた声で問いかけた。


「……ユリウス様。私をお呼び立てになり、一体何のご用でしょうか……?」


その問いを待っていたかのように、ユリウスは冷酷に口角を釣り上げた。

彼は大広間の全員に聞こえるよう、朗々とした、しかし侮蔑に満ちきった大声を張り上げた。


「エリアーナ! 私は今、この神聖なる建国記念の夜会において、貴様との婚約を完全に破棄することを宣言する!」


――ッ!

広間が小さくどよめいた。

だが、そのどよめきに同情の色は一切なかった。貴族たちの顔に浮かんでいたのは、「やはりそうか」「当然の結末だ」という冷たい納得の色だった。


「ユリウス、様……? 婚約、破棄……?」


「そうだ! よく耳の穴をかっぽじって聞くがいい!」

ユリウスは一歩踏み出し、床に立つエリアーナを汚らわしい害虫でも見るかのような目で見下ろした。


「貴様のような地味で愛嬌もなく、華やかさの欠片もない女は、我がロシュ侯爵家の次期夫人として到底ふさわしくない! 私はこれまで、家同士の付き合いゆえに寛大にも貴様を傍に置いてやってきたが、もう限界だ!」


「な……何を仰るのですか……」


「とぼけるな! 貴様がこの数年間、我が家で何をしてきたというのだ!? 朝から晩まで部屋に引きこもり、小難しい顔をして無意味な紙切れを弄ぶばかり! 社交界の付き合い一つろくにこなせず、殿方を立てる愛嬌もなく、領地の繁栄に対して何一つとして貢献しなかったではないか!」


その言葉に、エリアーナは息が止まりそうになった。

――何一つ貢献しなかった?

毎夜、血を吐くような思いで帳簿の辻褄を合わせ、破綻しかけた領地の財政を一人で立て直してきたのは誰だったのか。

命を削って、領地全土の結界に魔力を注ぎ込み続け、魔物の脅威から民を守ってきたのは誰だったのか。

そのすべてを、この男は「何一つ貢献しなかった」と切り捨てたのだ。


「私の隣に立つべき真の伴侶とは、見る者すべてを魅了し、領民に希望と光を与える存在でなければならない!」

ユリウスは芝居がかった動作で、隣に控えていたティファーヌの腰を抱き寄せ、高らかに宣言した。


「見よ! この美しく、聡明で、天上の薔薇のように愛らしいティファーヌを! 彼女こそが、我がロシュ侯爵家を真の栄華へと導く、至高の女神だ! 私はエリアーナとの婚約を破棄し、新たにティファーヌ・ヴァン・ベルクを我が正妻として迎える!」


ティファーヌはわざとらしく目元を手巾で押さえ、か弱げに肩を震わせてみせた。


「まあ、ユリウス様……! 私のような者をそこまで評価してくださるなんて……。お姉様、ごめんなさい。私、お姉様からユリウス様を奪うつもりなんてなかったのですけれど……ユリウス様の高潔なお心に応えないわけにはいきませんの……!」


口元に手巾を当てながら、ティファーヌは手巾の隙間から、エリアーナに向けて冷酷極まりない嘲笑の視線を投げかけていた。

『ざまあみなさい、負け犬のお姉様』――その瞳が、はっきりとそう語っていた。


「素晴らしい決断だ、ユリウス様!」

「ええ、当然ですわ! あのような陰気な女より、ティファーヌ様の方が百倍ふさわしい!」

「自業自得というものよ。何の役にも立たない地味な女など、捨てられて当然ですわ!」


周囲を取り囲む貴族たちから、惜しみない拍手と賛同の声が沸き起こる。

事情を知らぬ無知な群衆は、華やかな見目と傲慢な権力者の言葉に踊らされ、一人の無力な令嬢を嘲笑の標的としていた。


誰一人として、エリアーナを庇う者はいなかった。

誰一人として、彼女がこれまで陰で流してきた汗と涙に思いを馳せる者はいなかった。


光り輝く大広間の中心で、何百人もの冷酷な嘲笑に晒されながら、エリアーナはただ一人、孤立無援の嵐の中に立たされていた。


ユリウスは勝ち誇った笑みを浮かべ、引導を渡すように冷酷に言い放つ。


「さあ、分かったらさっさとその見苦しい顔を消すがいい、エリアーナ! 貴様の居場所など、この世界のどこにもないのだからな!」


嘲笑の波が、天井を揺るがすほどに膨れ上がる。

誰もが、この惨めな令嬢が床に崩れ落ち、涙を流して許しを乞うだろうと確信していた。


だが――。


伏せられていたエリアーナの長い睫毛が、ゆっくりと持ち上がった。

その双眸に宿っていたのは、絶望でも、屈辱でも、悲しみでもなかった。


それは、嵐が過ぎ去った後の冬の夜空のように、どこまでも澄み渡り、静まり返った光であった――。

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