↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/60

第23話:スパダリの独占欲と笑顔の牽制

ギギギ……と、サロンの分厚い扉が、凍りついた蝶番を軋ませながらゆっくりと押し開かれた。


吹き込んできたのは、冬の吹雪をそのまま凝縮したかのような、骨の髄まで凍てつかせる絶対零度の暴風であった。

敷石の隙間を走る青白い霜は瞬く間に絨毯の繊維を白銀へと染め変え、暖炉の火は青ざめたように小さく縮こまり、卓上の銀食器はカチカチと音を立てて凍結していく。

だが――奇妙なことに。

部屋全体が極北の氷河のごとき極寒に叩き落とされているというのに、ソファーに座るエリアーナの周囲半径一メートルだけは、春の陽だまりのように穏やかで温かな空気に守られていた。彼女を凍えさせぬよう、入室してきた男の強靭な魔力が、あらかじめ計算し尽くされた防護壁を展開していたからだ。


冷涼な白銀の短髪を揺らし、吹雪を背負うようにして部屋の中央へと足を踏み入れた青年。

深藍色の執務服に身を包んだアルジェント帝国の大公――クロード・ディス・アルジェント。


その貌(かたち)には、他国の軍勢を一瞬で凍土へと沈める「氷の魔将」としての冷徹無比な気迫が立ち上っていた。

切れ長の氷青色の双眸は、鋭利な氷柱のように細められ、部屋の中にいた三人の男たち――騎士団長バスティアン、宮廷魔導士ニコラ、そして諜報部隊長ロヴェルを、獲物を屠る獣のごとき眼差しで順番に射抜いていく。


「…………っ」


部屋の空気が、張り詰めた弦のように限界まで軋んだ。

直立不動で硬直するバスティアンの額から冷や汗が吹き出し、ニコラは手にした樫の杖を抱きしめて小刻みに震え、窓辺にいたロヴェルすらも、その飄々とした笑みを引き攣らせていた。


クロードの冷涼な視線が、卓上に並べられた品々を冷徹にスキャンしていく。

バスティアンが淹れた深紅の紅雪茶。

ニコラが持ち込んだクリスタルの自動魔導オルゴール鳥。

そして、ロヴェルが南国から空輸させてきたという瑠璃色の星露葡萄。

さらに何より――その三品を前にして、頬を桜色に染め、感動の面持ちで両手を胸の前で合わせているエリアーナの姿。


ピキリ、と。

クロードの足元の床板が、彼の抑えきれない魔力の圧力によって微かにひび割れた。


「……ほう」


低く、深く、静謐な声がサロンに落ちた。

怒声を張り上げるのではない。大公クロードは、むしろこの世の誰よりも優雅に、極上の、しかし底知れない冷気を孕んだ「完璧な笑み」をその唇に浮かべてみせたのだ。


「ずいぶんと賑やかではないか。……我が大公城の最高幹部たちが、平日の昼下がりから揃って客間のサロンに集まり、何やら楽しげなお茶会に興じているとはね」


「か、閣下……!」

バスティアンが唾を飲み込み、震える声で直訴を試みる。

「こ、これは決して職務怠慢などではありませぬ! エリアーナ様が午後の休息をお過ごしであると聞き及び、近衛騎士団長としてその周囲の警戒、並びにお茶の毒味を――」


「毒味、ね」

クロードの氷青色の瞳が、スッとバスティアンの顔面を射抜いた。

「大公城の専属料理人と毒味役を差し置いて、近衛のトップが直々に給仕の真似事かい? ずいぶんと暇を持て余しているようだね、バスティアン」


「ぐっ……!」

バスティアンの喉が詰まる。


「そ、そうだよ、閣下!」

すかさず口を挟んだのは、エリアーナの背後に隠れていたニコラだった。

「筋肉ダルマはお茶をこぼしそうになってたくせに! ぼくは違うよ! ぼくはお姉さまの快適な生活のために、最高精度の環境感知式魔導具を徹夜で開発して、それを献上しに――」


「徹夜で、だと?」

クロードの冷たい視線が、今度はニコラへと滑り落ちた。

「宮廷筆頭魔導士ともあろう者が、公式の認可も得ていない私的な魔導具を城内で起動させ、あまつさえエリアーナの魔力波に干渉させようとしたのかい? ……昨日の結界術式の添削で、自分の未熟さを思い知ったはずの少年が、もう一人前の顔をして玩具遊びとは、ずいぶんと余裕があるようだね」


「ひぃっ……!」

正論で急所を抉られ、ニコラは耳を塞いで小さく悲鳴を上げた。


「おやおや、手厳しいですねぇ、閣下」

二人の惨状を見かねたのか、ロヴェルが肩をすくめ、軽薄な笑みを貼り付け直して歩み出た。

「部下たちの労いの気持ちを、そう無碍になさらなくてもよろしいのでは? 私はただ、王国の極秘任務で疲弊した頭を癒やすため、エリアーナ様と知的な情報交換を――」


「ロヴェル」

クロードの声が、一段と低く、鋭利に沈み込んだ。

「王国の密輸ルートから押収した証拠品を、正規の手続きも経ずに私的に横領し、あまつさえ他国の令嬢に直に口移しで食べさせようとしていたそうだな。……諜報部隊長たる者が、職権濫用と不敬罪の二重の重罪を犯すとは、いつから我が軍はこれほど規律が緩んだのかな?」


「…………」

ロヴェルの額から、つーっと冷や汗が伝い落ちた。

完璧に見抜かれていた。この主君は、サロンの外にいた時から、室内のすべての会話と気配を完全に把握していたのだ。


三人の男たちは、もはや一言の反論も許されず、クロードが放つ絶対零度の覇気の前に完全に沈黙していた。

怒り狂って怒鳴られるよりも、このように冷ややかな笑顔で理詰めで追い詰められる方が、何百倍も恐ろしいことを彼らは熟知していたからだ。


クロードはゆっくりと歩みを進め、サロンの中央、卓上の前に立った。

そして、薄い唇の端を冷徹に吊り上げ、決定的な「宣告」を下したのだ。


「ちょうどいい。貴様らがこれほど体力を余らせているのなら、先ほど軍議で保留になっていた緊急案件を、今すぐ片付けてもらおうか」


「「「え……?」」」

三人の顔色が一斉に青ざめる。


「まず、バスティアン」

クロードが指を鳴らした。

「北方国境の永久凍土連峰において、冬の訪れに伴う魔獣の南下が確認された。……近衛第一、第二大隊を率いて、即座に出撃せよ。現場の防壁の補修と、氷結魔獣の完全殲滅を命じる。全軍の配置図と作戦報告書は、明朝の夜明けまでに私の執務机に提出するように」


「あ、明朝までに……!? 北方国境は、ここから早馬でも半日はかかりますぞ!?」

バスティアンが絶叫した。


「神剣を授かったのだろう? 不眠不休で駆け抜ければ、十分に間に合うはずだ。……それとも、我が妃に捧げた忠誠の誓いは、その程度の口先だけのものだったのかな?」


「ぐ……っ! め、滅相もございません!! 即刻、出撃いたします!!」

挑発された武人の誇りが爆発し、バスティアンは直立不動で敬礼せざるを得なくなった。


「次に、ニコラ」

クロードの冷酷な視線が、震える少年に向けられる。

「エリアーナに術式を添削されたことで、帝都全域の結界ラインの再計算が必要になった。……宮廷魔導図書館の地下書庫に保管されている、神代の古代結界術式三千枚をすべて書写し、現在の魔力循環との整合性を検証しろ。期限は三日後だ。終わるまで、書庫からの外出は一切禁止とする」


「さ、三千枚の書写ぁぁぁッ!? 三日で終わるわけないよぉぉぉッ!!」

ニコラが頭を抱えて叫ぶ。


「天才魔導士なのだろう? エリアーナの『弟』を自称するならば、それくらいの課題は容易くこなしてみせるべきだね」


「うわぁぁぁんッ! 閣下の鬼ぃぃぃッ!!」

号泣するショタ魔導士。


「そして、ロヴェル」

クロードの氷青色の瞳が、最後に美青年の諜報屋を射抜いた。

「貴様が持ち帰った暗号文の通り、王国の密輸ルートはすでに稼働している。……即刻、帝都を発ち、国境地帯の闇市場へ潜入せよ。密輸に関与している王国の貴族どものリストを、一人残らず洗い出して私の元へ届けるのだ。……もちろん、星露葡萄のような余計な手土産を買い食いする暇など、一秒たりともないと思え」


「……はは、即日出発ですか。鬼上司もここに極まれり、ですねぇ」

ロヴェルは降参するように両手を掲げ、苦笑いを浮かべた。

「了解いたしましたよ、閣下。……ですが、手柄を立てて戻ってきた暁には、エリアーナ様からもう一度あの笑顔をいただく権利を行使させていただきますからね」


「その減らず口を叩く余裕があるなら、一秒でも早く馬を走らせるんだな」


クロードが冷ややかに手を振ると、部屋の扉がバタンと風圧で大きく開かれた。

もはや一刻の猶予もない。

バスティアンは神剣を握りしめて駆け出し、ニコラは涙を拭いながら重い足取りで書庫へ向かい、ロヴェルは優雅に一礼して窓から音もなく飛び降りていった。


嵐のような退場劇。

先ほどまで男たちで溢れかえっていたサロンには、瞬く間に静寂が戻っていた。


「…………」


ソファーに座っていたエリアーナは、ただ呆然と目をパチクリとさせていた。

あまりの怒涛の展開に、頭の処理が追いつかない。


「あ、あの……閣下……?」

エリアーナはおずおずと、心配そうに声をかけた。

「皆様……なんだか、とても大変そうな任務を言い渡されてしまいましたが……。私のせいで、皆様がお叱りを受けてしまったのでしょうか……? 皆様、私にお茶や果物をくださっただけで、何も悪いことはなさっていませんでしたのに……」


不安そうに眉を下げ、自分を責めるように縮こまるエリアーナ。

その愛らしく、健気で、あまりにも無垢な姿を目にした瞬間――。


スッ、と。

クロードの身体から立ち上っていた絶対零度の冷気が、まるで春の陽光を浴びた残雪のように、跡形もなく完全に霧散した。

部屋を支配していた氷点下の空気は、瞬く間に心地よい適温へと戻り、卓上の霜がスルスルと蒸発していく。


「お叱りなどではないよ、エリアーナ」


クロードの声は、先ほどまでの冷酷なトーンとは完全に別人のように、砂糖菓子を煮詰めたかのように蕩けきっていた。

彼は大股でソファーの前へと歩み寄ると、柔らかな革張りの座面へと身を屈めた。


「彼らは我が帝国の誇る、極めて優秀な首脳陣だ。日頃の研鑽を積むための、ごく普通の職務を割り振ったに過ぎない。……君が心を痛める必要など、何一つないんだよ」


「そ、そうなのですか……? でも、三千枚の書写とか、明朝までの出撃とか……」


「問題ない。彼らなら十分にこなせる。……それよりも」


クロードの大きな手が、ソファーの背もたれと、エリアーナの華奢な腰の脇へと置かれた。

逃げ場を塞ぐように、長身が覆い被さってくる。

至近距離に迫る、白銀の髪と、彫刻のように整った美貌。

その氷青色の瞳の奥底で、暗く、熱く、狂おしいほどの独占欲の炎が、ゆらりと揺らめいていた。


「エリアーナ。……君は、あいつらにあんな笑顔を見せていたのかい?」


「え……?」


「『私のような者に、どうしてこれほど親切にしてくださるのですか』……と、満面の笑みで涙ぐんでいたね。外の廊下まで、君の甘く愛らしい声が筒抜けだったよ」


クロードの声音に、甘く拗ねたような、大型犬の唸り声に似た嫉妬の響きが混ざる。


「か、閣下……? 皆様が、とても温かいお心遣いをくださったので、お礼を申し上げただけで……」


「お礼なら、言葉だけで十分だ」

クロードは低く囁くと、躊躇うことなく、その逞しい両腕をエリアーナの身体の下へと滑り込ませた。


「ひゃっ……!?」


ふわりと、身体が宙に浮き上がった。

大人の男とは思えない身軽さで、クロードはエリアーナの華奢な身体を軽々と抱き上げたのだ。

そして、自らがソファーの中央へとどっかりと腰を下ろすと――抱き上げたエリアーナを、そのまま自らの逞しい太腿の上へと、すっぽりと降ろした。


「なっ……!? か、閣下!? 何を……!?」


エリアーナの顔が、一瞬にして林檎のように真っ赤に沸騰した。

抱っこされている。

それも、一国の最高権力者たる大公の膝の上に、正面から向き合うようにして座らされているのだ。

背中と腰には、クロードの太く逞しい腕がしっかりと回され、逃げ場のない檻のように彼女を拘束している。

彼の胸板の力強い鼓動が、薄いドレス越しに直接伝わってきて、心臓が爆発しそうに跳ね上がった。


「お、降りま……降ります! こんな姿勢、はしたなすぎます! 早く下ろしてくださいませ!」


身を捩って逃げようとするエリアーナ。

だが、クロードの腕の力は、骨の一つも痛めぬ絶妙な優しさでありながら、絶対に抜け出せない完璧なホールドだった。

彼は逃げ惑う彼女の後頭部を大きな掌でそっと包み込むと、自らの胸元へと引き寄せ、耳元へと唇を寄せた。


ふう、と温かな吐息が、エリアーナの敏感な耳たぶを甘く撫でる。


「駄目だ。下ろさない」


耳朶を打つバリトンの声は、低く、甘く、そして抗いようのない熱情を帯びていた。


「君が悪いんだよ、エリアーナ。……あんな無防備で、無垢で、誰をも狂わせるような至高の笑顔を、他の男たちに見せつけるなんて」


「む、無防備だなんて……私はただ、感謝を……!」


「それが無防備だと言っているんだ」

クロードの唇が、エリアーナの耳たぶから首筋へと、滑るように触れかけた。

至近距離で囁かれる、蕩けるような独占欲の言葉。

「あいつらは皆、百戦錬磨の狼だ。君のその清らかな優しさと、桁外れの有能さに触れれば、誰だって魂ごと君に奪われてしまうに決まっている。……私以外の男に、そんな無防備な笑顔を見せてはいけないよ。嫉妬で狂ってしまいそうだ」


「ひゃぅっ……!」


首筋に触れた熱い呼気に、エリアーナの背筋を心地よい戦慄が駆け抜けた。

頭がくらくらする。

大陸最強の男が。

他国の軍勢を平伏させる絶対強者が。

たった一人の少女の笑顔に狂わされ、部下に過酷な任務を押し付けてまで独占しようと、膝の上で甘えてきているのだ。


「私だけを見てくれ、エリアーナ」

クロードの腕が、さらに一段と強く、彼女の細い腰を抱きしめた。

「君の笑顔も、君の淹れるお茶も、君の紡ぐ奇跡のすべてが……私のものだ。誰にも渡さないし、誰にも触れさせはしない。……分かってくれるね?」


氷の魔将の、甘く危険な求愛の檻。

その熱い腕の中に閉じ込められたエリアーナは、もはや赤くなってコクコクと頷くことしかできなかった。


しかし――そんな至福の甘やかしの裏で、彼女の胸の奥底には、まだ拭いきれない「過去の亡霊」が小さく影を落としていた。

こんなにも愛され、こんなにも求められる自分。

それを受け入れることに対する、長年の虐待が生み出した深い恐怖が、ふわりと顔を覗かせようとしていたのだった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。