思念記録 七十二 その3
とにかく近くの木にしがみつくと、必死に上へ上へと登っていく。
小さい魔獣が、ガレンを追って木の根元に群がってきたが、こいつらは木を登ることはできないらしい。
魔獣たちが木の幹をガンガンと叩くが、さすがにこの太い木はびくともしない。
なんとか、逃げ切ったのか。
ガレンは、木の上まで登ると、一息ついた。
このまま来た時と同じように木を伝っていけば、戻れるはず。
なんとか平静を取り戻したと思った瞬間、バキバキバキ!と木が裂ける音がした。
振り返ると、巨大な魔獣が水辺を渡り、こちら側の木をへし折りながら、ガレンの方に近づいてくる。
嘘だろ……!
太い幹を持つ、巨大な魔獣よりもさらに背の高い木が、まるで植えたばかりの苗木のように簡単にへし折られ、魔獣が真っすぐにこちらへ向かってきた。
だからといって、下に降りるわけにはいかない。
下には、小さい魔獣がうようよいる。
ガレンは、全力で木を伝って逃げ始めた。
隣の木の枝を無理やりつかみ、不安定でも気にせず、どんどん渡っていく。
しかし、木を折りながら進んでくる魔獣の方が、明らかに速い。
何本か木を伝ったところで、ついに魔獣に追いつかれ、魔獣がガレンのしがみつく木の前に来た。
ガレンは、それでも必死に隣の木へ移ろうと、枝先の方へ移動する。
目の前の枝葉をつかもうとしたとき、突然、バァン!と大きな音がした。
直後、足元の木が激しく揺れ、目の前にあった枝葉が消えた。
何が起こったのかわからないまま、ガレンの視界が急加速する。
ガレンの視界が回り、加速しながら暗い森から一瞬抜け、陽の光と森を下に見た後、ぐるぐると回りながら、また森の中に入った。
目の前に、太い木の幹が迫る。
ガレンは、しがみついている枝を体の前に抱え込み、衝撃に備えた。
バキバキ!と細い枝が幹に当たって折れる音とともに、ガレンは強い衝撃を感じ、そのまま下に落ちた。
痛くて、ふらふらしていて、もうどちらが前かもよくわからない。
だが、なんとかガレンは立ち上がった。
ここで倒れたら、俺はただのバツ印だ!
そんなものになってたまるかよ!!
気力を振り絞り、痛みを無視して、全力で走った。
もう、周りに何があるのか意識する余裕はまったくない。
走り続けていると、いつの間にか辺りが明るくなっていた。
陽の光が当たる。森を抜けたようだ。
だが、まだだ。街に戻らないと。
もう一度気力を振り絞り、悲鳴を上げる体を、なんとか動かした。
森を抜けてからの記憶は、ほとんど残っていない。
気づくと、ガレンは自宅の床に横になっていた。
どうやって帰ってきたのか、まったく覚えていない。
一晩寝たのか、それほど時間が経っていないのか、どちらなのかはわからないが、今は昼間のようだ。
体中が痛み、ふと体を見ると、足からは血が流れていたが、死ぬほどではなかったようだ。
それを確認した後は、すぐに石のことを思い出す。
腰に下げた袋を確認すると、中には、あの青い石が入っていた。
やった!俺は持ち帰ったぞ!!
これで俺は、貴族だ!
そう考えたら、痛みまで引いていくようだった。
これをシャンベル家の館に届けて、貴族になることを約束させなければならない。
足を引きずりながらも立ち上がり、館に向かった。
館に着くと、ガレンに気づいた使用人が、大声で叫びながらこちらへ向かってきた。
「おい!大丈夫か!」
「当然だ。俺は、石を持ち帰ったぞ」
そう言うと、魔獣退治の帰りだと気づいたのか、ガレンの肩を支えながら、他の使用人を呼んだ。
使用人が、薬と手当の道具を持って走ってくる。
ガレンは、そんなものはいいから報告させろと言ったが、無理やり薬を飲まされ、傷に包帯を巻かれた。
その後、領主であるベルナールの元に案内された。
ガレンは、机を挟んでベルナールの前に立つと、青い石をその机の上に置いた。
「目的の石っていうのは、こいつのことだろ?」
「ああ。ご苦労だった」
そう偉そうに言うと、ベルナールは石を受け取った。
「これで俺は、この街周辺以外の領地の半分を治める領主、貴族になれるんだろ?今更あれは嘘っていうのは、なしだぜ」
「当然だ。ただし、条件がある」
何だと!やっぱり、俺をだましてやがったのか!?
「どういうことだよ!これを手に入れれば、もう魔獣退治はしなくてもいいって聞いたぞ!」
「言い方が悪かった。君にこれ以上、何かをさせるつもりはない。それに、その怪我では、いずれにしても魔獣退治は無理だろう」
それなら、条件という意味がわからない。
「だったら、どういうことなんだ」
「これから、私たちは討伐隊を組み、君が手に入れてくれた触媒を使って、魔獣退治をする。それが成功することが条件だ」
「なんで俺がそんな条件を飲まなくちゃいけない」
「いや、これは条件というのは変だったな。実際には、今すぐでもかまわないんだ。ただ、手に入れた領地が魔獣だらけでは、何の意味もないだろう?」
くそ!そういうことか。
結局、シャンベル領は、この街以外の場所には魔獣が現れてから人が住めなくなっている。
だからこそ、領地を半分渡すなんて言ってきたわけだ。
結局そこを取り戻せなければ、全部失われる。
それなら、取り戻すことを条件に半分渡せば、シャンベル家からしても半分は戻ってきて、得になる。
うまいことを考えたものだ。
だが、それのおかげで俺が領主になれるなら、何も問題ない。
それに、魔獣退治も俺がやる必要がないなら、待てばいいだけだ。
ガレンはそう考えたが、そこでふと、魔獣退治という言葉に引っかかった。
元々、魔獣退治は領民を募る時にも使われていた言葉だ。
その目的は、南の森の魔獣退治だと。
南の森の魔獣って、あの巨大な化け物のことか?
そんな、あんなの、無理に決まってる。
人にどうにかできるような代物じゃない。
「おい、あの化け物を退治したらっていうんじゃないだろうな」
「君も、あの巨大な魔獣を見たのか?」
君も?あたかも、自分も見たことがあるかのようじゃないか。
「あれを、見たことがあるっていうのか?」
「ああ。一度、討伐隊を組んだことがある。その時は、ふがいなく敗れてしまった。だが、今回は君の持ってきてくれた触媒がある。次は必ず退治する」
そう言うベルナールの目は、真剣そのものだった。
あの騎士と同じ、いや、それ以上に鋭い、人を射殺してしまうんじゃないかと思うくらいの鋭い目。
こいつは、本気であの魔獣を退治しようと思ってやがる。
しかも、一度あの魔獣と戦ったことがあって、それでも本気で勝てると思ってやがる。
「あれが、怖くないのか?」
「怖くないというわけではないさ」
「じゃあ、どうして戦いに行けるんだ?」
「奴と戦うために、ずっと準備してきたからだ。いろいろ、積み重ねてきた。その過程で、君を危険にも晒してしまった」
「準備したからって、戦えるものじゃないだろ!あんなの!」
「そうだな。最大の理由は、そうじゃない」
何か特別な能力でもあるっていうのか。あれと戦えるような、そんな能力が。
「命を張って領民を守るために戦うのが、貴族と、騎士の責務だからだ」
そう言い切ったベルナールの目は、さらに鋭さを増していた。
本当に、完全に、いかれてやがる。
俺は、本当に、こいつらと同じ、貴族になれるのか。




