思念記録 二十一 その8
もうどれくらい時間が経ったのか分からない。
今が朝なのか、夜なのかさえも。
工場の扉は閂をかけられたので、それをかけた後、ずっと工場の床で短剣を構えている。
幸いにも扉が破られることはなかったが、叩かれる音はなかなか止まない。
静かになったかと思っても、またすぐに鳴り始める。
あと何日こうしていればいいのだろう。
中心街での狩りは、始まらないのだろうか。
街から持ってきた食料が、もう残り少ないとはいえ残っているので、扉が破られなければ数日は耐えられそうだ。
でも、ずっと耐え続けることはできない。
それはわかっていたが、今出ていっても、魔獣にやられるだけだ。
リーナは、息をひそめ続けていた。
どれくらい経ったか分からない頃、急に扉の叩く音が変化した。
ドン!ドン!という鈍い音だったのに、人が扉を叩くような、軽いが連続した音に。
「リーナ!中にいるの?いたら返事をして!」
それと同時に、リーナを呼ぶ声が聞こえた気がする。
しかも、フィアの声で。
そんなことはあり得ない。ここは、シャンベルの街から遠く離れたコンスタンだ。
疲れて、おかしくなってしまったのかもしれない。
眠れそうにないが、眠らないといけないのかも。
そう考えたが、扉を叩く音と、声は止まない。
「リーナ!リーナ!いるんでしょ!」
これは気のせいじゃない。明らかにフィアの声だ。
リーナは、閂を外し、急いで扉を開けた。
暗闇に慣れた目に、突然明るい陽の光が入り、まぶしくて何も見えなくなる。
リーナの手を温かいぬくもりが包み、また声がする。
「良かった!無事だったのね!」
やっと目が慣れてきて、前を向く。
フィアの顔だ。
なんでこんなところに、まさか、リーナを助けに来てくれたのか。
「フィア、どうして?」
「助けに来たに決まってるでしょ!リーナ、雷と風の触媒は持ってる?」
突然の問いに、リーナは頷く。
フィアが助けに来てくれるなんて、考えもしなかった。
「リーナ、リーナはそれを持って、シャンベルの街まで逃げて」
フィアはリーナの手を引いて工場から出すと、出口へ促すように言った。
「え?フィアは?」
「あたしは、まだやることがあるから」
そう言うと、フィアは短剣を取り出す。
奥の方を見ると、工場の前にいたはずの魔獣がいた。
そして、その魔獣と正面から剣で押し合っているフィル君も。
リーナが正面からではとても戦えないと思ったあの魔獣と、まともに正面から押し合っている。
その向こうには、もう一体の魔獣と、魔術を使っている男の人が見えた。
別の騎士の方だろうか。
フィアだけじゃない。三人も、騎士が助けに来てくれたのか。
フィアも加勢するつもりらしい。
それを見て、リーナも短剣に手をやった。
私も、フィアと並び立つために旅に出たんだ。フィアと一緒に、魔獣と戦いたい。
リーナはそう考えて、フィアの横に立つ。
「ダメよ!リーナ!逃げて!」
魔獣に向かおうとしていたフィアが、リーナが隣に立ったのを見て、リーナの方に向き直って言った。
フィア、どうして一緒に戦っちゃダメなの。
その時、遠くの騎士に向かっていた魔獣が、向きを変えてフィル君の方に突進した。
フィル君は、何とかそれに気づいて振り返って受けたが、受けたすきに前にいた魔獣に突進され、吹き飛ばされてしまった。
フィアも、音に反応してそれを見たはずなのに、すぐに出ていかない。
リーナの方をまた向いて言う。
「お願い、リーナ!逃げて!」
フィアは、フィル君を助けに行きたいはずだ。逃げないのは、私が逃げないせい。
リーナは、それに気づいてしまった。
結局、リーナはフィアに、一緒に戦う仲間とは思ってもらえていない。
友達だとは思ってもらえているけど、守るべき対象なんだ。
そう気づいてしまって、リーナは触媒を持って中心街の入口へ向かった。
それを見たフィアが、安心したように投げナイフを取り出し、投げながら魔獣に向かって走り出した。
中心街を出て、オルヴァンさんの家の前に来た時、寄って行こうかと一瞬思った。
でも、リーナがこの街にいたら、フィアがまた安心して戦えない。
そう考えて、そのままコンスタンを出た。
なんとか、触媒だけは、街に届けないと。
フィアやフィル君に、助けに来させてしまったんだ。
リーナのせいで、あの二人を危険に晒してしまった。
これを届けなかったら、リーナは、本当にそれだけになってしまう。
少なくともこれさえ届けることができたら、リーナが旅に出た意味はあるはずだ。
そう考えて、道を走る。
そして、途中で思いついた。
触媒を多く持っているから、魔獣が寄ってくるかもしれない。
雷と風の触媒は、一つでも街にとって重要だ。
火の触媒は、重要じゃないとは思わないが、一つしかないわけじゃない。
そう思って、途中で火の触媒を全て投げ捨てた。
雷と風の触媒だけをしまって、走り続けた。
そのおかげもあってか、何とか森から逸れたところにある村に、魔獣に会わずにたどり着いた。
このままずっと走ってシャンベルの街まで行きたかったが、体力が持ちそうにない。
この村で、一晩休もう。
二回泊まった家に行くと、この前とは違い、周りに紐が張ってあったり、物が落ちていたりする。
誰かが通ったら、音が出るような仕掛け。
きっと、フィアたちもここに泊まって、これを仕掛けたんだろう。
この汚い家に、リーナと同じようにフィアたちも泊まった。
フィアは、どんな思いでここに泊まったんだろう。
少しそんな風に思いをはせながら、薬を飲み、横になった。
工場の中ではずっと眠れていなかったので、すぐ眠りに落ちた。
起きると、もう朝になっていた。
急いで家を出て、街に向かった。
川を越え、森を走り抜けると、やっと見慣れた景色に戻ってくる。
農地を越えると、街の壁が見えてきた。
ほっと息をついて、街に入った。
街に帰ると、真っ先にシャンベル様の館に報告へ行った。
今回は、ベルナール様が自ら応対してくださった。
「雷と風の触媒を見つけることができました」
大切に持ってきた二種類の触媒を、ベルナール様に両手で掲げて差し出すようにしてお渡しした。
「危険な旅だっただろう。ご苦労だった」
ベルナール様は、労いのお言葉とともに、触媒を受け取った。
「私は平気です。でも、その、フィア様とフィル様と、もう一方騎士様が私を助けに来てくださって、危険な目に」
ベルナール様もご存じなのだろうか。三人が私のために、コンスタンまで旅をしていたことに。
フィアやフィル君を危険な目に遭わせたという、リーナ個人の思いだけでない。
この街に残っている騎士は少ない。
そんな状況で、リーナのために三人も騎士を危険な目に遭わせてしまったというのは、街の状況を考えても、許されることではないように思った。
「君が気に病むことは何もない。本来は、領民を守るのが、貴族や騎士の責務なんだ。君を危険な旅に送り出さなければいけないことの方が、我々のふがいなさを表している。本当に、すまない」
ベルナール様は、そう言ってリーナに向けて頭を下げてくださった。
領民を守るのが、騎士の責務。
あの時のフィアを思い出す。
目の前でフィル君が吹き飛ばされているのに、リーナを逃がすことを優先していた。
フィアが、どれだけフィル君のことを可愛がっていたか、リーナはそれをよく知っている。
それでも、そのフィル君を助けることよりも、優先してリーナを逃がした。
領民であるリーナを逃がすのが、騎士の責務だから。
そうだ。やはり、フィアとリーナは、並び立つ存在ではない。
守る存在である騎士と、守られる領民なんだ。
両親や大人たちが言っていたことの方が正しかった。
リーナが身の程を知らずに並び立とうとして、フィル君を危険な目に遭わせた。
ベルナール様のお言葉で、それを改めて認識した。
リーナは、深々と頭を下げて、シャンベル家の館を後にした。
家に帰ると、両親が出迎えてくれた。
「リーナ!無事だったか!」
お父様がほっとしたように声をかけてくれる。
今回の旅は長かった。それだけ両親にも心配をかけたことだろう。
「はい。目的の触媒も、見つけることができました」
「そうか、それは良かった。今日はまずは休みなさい」
「はい」
そう言って部屋に行こうとしたが、お父様がまだリーナのことを見ている。
上手くいって帰ってきたはずなのに、リーナが浮かない顔をしていたからかもしれない。
「何かあったのか?」
「その、フィア様とフィル様が私を助けにきてくださいました。それで、お二人を危険な目に……」
リーナがそう言うと、両親も驚いた顔をした。
「それで、お二人は?」
「わかりません。でも、あのお二人ならきっと無事なはずです」
「そうだ。ラガルド家の騎士様なんだ。魔獣なんかに後れを取るはずがないだろう?」
お父様は、リーナを安心させようとしているのか、笑顔を作ってそう言った。
「そうですね」
リーナも、笑顔を作って答えた。
その後は両親の勧めに従い、体を拭き、部屋で休んだ。
夕食の時、リーナは、お父様に向かって言った。
「お父様、もしかしたらフィア様が戻られた後、また私を労いに訪ねてこられるかもしれません。その時は、以前のように何もできないと失礼ですから、お出迎えの準備をしておきたいのです」
「それなら、こちらからご挨拶に伺ったらどうだい?」
「いえ、フィア様は旅でお疲れと思いますので、お望みでないのにこちらから伺っては失礼です。もし来られた時だけ、お出迎えしたいのです」
お父様は、リーナの答えを聞いて、少し悩んだようだったが、その後頷いて、
「そうだな。その方がいいだろう。明日は、お食事の準備をさせておこう」
と答えた。
フィアはきっと、前のように訪ねてくるつもりだろう。
でも、これでいいんだ。
リーナは、フィアと並び立てるような存在じゃない。
フィル君のように、あの魔獣と正面から斬り合うなんて、とてもできない。
力だけじゃない、守る立場と、守られる立場だ。
リーナが隣にいたら、あの時みたいに、却ってフィアとフィル君を危険な目に遭わせてしまう。
だから、これでいい。
これからは、フィアと並び立つことを考えるのはやめよう。
フィアは、内街に住む同い年の子でも、私とは違うんだ。
フィアとリーナは、騎士と領民だ。
この街で立場を分けるのは、内街と外街じゃない。
これからは、どれだけ汚らしくても、外街の子と過ごすようにしよう。
私もその子たちも、同じ領民なのだから。
翌日、リーナの予想通り、フィア様はリーナの家を訪ねてこられた。
リーナは、両親とともに、一家総出でお出迎えをした。
会食の席では、両親がフィア様に感謝の言葉を並べていた。
それに対し、フィア様が当然のことで、感謝されるようなことではないと繰り返し恐縮されていた。
その通りだ。フィア様からしたら当然のこと。領民を守るのは、騎士の責務なのだから。
会食が終わった後、リーナは両親と共にフィア様をお見送りしていた。
「本日は、どうもありがとうございました」
両親が、フィア様に向かって深々と頭を下げる。
フィア様は、それに答えず、リーナの方を真っ直ぐに見てきた。
紅葉色が混ざった綺麗な瞳。その眼差しは、鋭い眼差しではなく、悲しげな眼差しだった。
「リーナ」
フィア様が、口を開いた。
それに対し、リーナは遮るように、
「ありがとうございました」
と言い、深々と頭を下げた。




