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思念記録 二十一 その7

 思ったよりも長く寝てしまった。

 完全に安全とは言えないはずのコンスタンではあったけれど、寝台の寝心地が良かっただけでなく、まだ人が暮らしている街で、同じ家に誰かがいる、ということが大きかったのかもしれない。

 リーナが起きて寝室を出ると、オルヴァンはとっくに起きていたようだった。


「旅で随分と疲れていたようだな。ゆっくり休めて良かった」


 オルヴァンがゆっくりとした調子で声をかけてきた。

 単に優しく声をかけてくれているだけなのだろうが、リーナはなんとなく気恥ずかしくなる。

 初対面の人の家で、こんなに眠りこけてしまうなんて。

 この人は本当に気のいい人だったみたいだけれど、よくよく考えると無警戒すぎた。

 そんなふうに考えて何も答えられないリーナの内心を知ってか知らずか、オルヴァンがさらに声をかけてくる。


「ほら、食べてから行くと良い。ちょっと肉は多いがな」


「ありがとう」


 リーナは素直に従って席に着く。

 こうやって食事をもらうのも、警戒すべきなのかもしれない。

 一瞬そう頭をよぎったが、お腹が空いていたし、オルヴァンさんは悪い人には思えないし、何より、目の前の肉がおいしそうだ。

 焼かれた肉が切って並べてあるだけではあるのだが、表面をよく焼いた肉の断面には、中の方にうっすらと赤い色が残っていて、リーナの家ではあまり見たことのない焼き方だ。


 オルヴァンが先に食べ始めたので、リーナも肉を口にする。

 一口食べると、肉らしい噛み応えはあるのに、次の瞬間には簡単に噛み切れるほど柔らかく、肉汁のうま味が口いっぱいに広がった。

 何これ。こんな肉、食べたことない。

 リーナが驚いて固まってしまうと、オルヴァンが少し得意げに声をかけてきた。


「旨いだろう。獲れた魔獣の中でも、一番旨いやつを、老人でも食べられるように研究したものだ。時間だけはあり余っているから、錬金の技術を応用してな。魔術都市を離れられなくなる理由も、分かるだろう?」


「そうね」


 最後の言葉が冗談なのは口調で分かったので、リーナも同意した。

 でも、それが一部は冗談ではなくなるくらい、確かにおいしい。

 こんなのリーナは食べたことない、同じ街に生まれ育ったんだ、フィアだって食べたことないはず。

 帰ったら、自慢しなくちゃ。そうしたらフィアはきっと。


「ねえ、オルヴァンさん」


「何だね」


「今度は、友達も連れてきていい? これを食べさせてあげたいの」


「いいとも」


 オルヴァンさんは、しわのある顔に優しい笑みを作って、そう答えてくれた。

 そう、フィアだったらきっと、私も食べたいと言うに決まってる。

 南の森の魔獣退治をやり遂げて、フィアと一緒に来られるようになったら、また来よう。


「そのためには、今日は無事に帰らないといけないな?」


 オルヴァンさんは、優しい顔のまま言った。

 そうだ、今は触媒を持ち帰らないと。


 食事を終えると、オルヴァンさんが触媒工場までの地図を詳しく書いてくれた。

 じっくりとそれを見て頭に入れたあと、地図を持って支度を整え、オルヴァンさんに別れを告げた。


 外に出ると、今日は静かだった。

 塔の方を見ると、昨日とは違って魔獣が空を飛んでいない。

 もしかして、戦いが終わったのかもしれない。今なら。

 そう思った矢先に、塔の向こうから何かが飛んでくるのが見えた。

 昨日の魔獣とは違うが、それでもここから見えるんだ。相当大きい。それに一匹じゃなさそうだ。


 魔獣がそのまま、塔へ向かって突っ込んだ。すると、塔の手前で何かにぶつかったように、突然空中で弾き飛ばされた。

 しばらくすると、バァン、という激しい衝突音が届いた。リーナの知らない、特別な魔術が使われたのだろう。

 その後はまた、魔獣が塔の周りを飛び、戦いの音がするようになった。

 やっぱり、これがこの街では日常なんだ。


 戦いが終わるのを期待してはいけない。リーナは、そのまま中心へ向けて歩みを進めた。

 昨日はきれいだと思っていた街並みは、オルヴァンさんの話を聞いたあとに改めて見ると、所々、家の壁に何かを引きずったような跡がある。

 魔獣が通った跡だろう。


 いつ魔獣がここを通るか分からない。リーナは、急いで中心街へ向かった。


 どこからが中心街なのか分かるだろうかと不安だったが、近くに行ったらすぐに分かった。

 シャンベルの街の内街と外街のように、単に区画が分かれている、というわけではない。


 街の中に、また壁が築かれていた。

 高さはリーナの背丈よりも少し高い程度だが、石が積まれた普通の壁ではない。

 表面は滑らかで、複雑な模様が壁のそこかしこに彫られている。

 リーナにはどういう意味があるのかはまったく分からなかったが、魔術的な意味があるのだろう。

 街の周囲を囲っている壁とは違って、街を守るための壁ではなく、中で魔術をするための装置のようだ。


 意味は分からなかったが、その模様は美しく、ずっと見ていたい気持ちになったが、今はそんな暇はない。

 低い壁だからか、門はなく、道の部分だけ、そのまま壁が途切れていた。そこから中心街へ入った。


 中心街に入ると、建物の様子も外の家とは全然違う。

 やけに尖った屋根を持つ建物があったり、壁に何か刻まれている建物があったり、きれいに整った街とはとても言えない。

 石畳の地面には魔獣と戦った跡なのか、傷がそこかしこに刻まれていたが、建物が崩れているようなことはなかった。


 このすぐ近くに工場があるはず。

 中心街に入って、左に進んで五軒目。

 地図を書きながら詳細に教えてくれたオルヴァンさんの言葉を思い出す。

 左に走り、五軒目の建物の前に来る。

 この建物は、周囲に比べると普通の建物に見える。四角くて、丈夫な石造り。


 リーナは、建物の扉を慎重に開けた。中は静かで、真っ暗だ。

 この建物は、窓がないらしい。

 明かりを入れるために扉を開けたまま、中を覗き込む。

 静かで、誰もいないようだった。

 中はカウンターのような机と、後ろに箱が積まれた棚があるだけの小さな部屋で、奥にもう一部屋あるようだ。

 工場だけでなく、それを売る店だったのかもしれない。


 リーナは中に入り、棚に積まれた箱を順番に確認していった。

 この中に、触媒があるかもしれない。

 雷の触媒の見た目は黄色い石、風の触媒の見た目は緑の石と聞いていたので、箱を開け、それがないと分かると、次の箱を開ける。


 中身はすでに持ち出されているものも多いのか、開けても何も入っていない箱が多い。

 もしかして、触媒も持ち出されてしまっているかも。不安が湧いてくるが、それでも箱を開け続ける。


「あったわ」


 残りの箱も少なくなってきたころ、箱の中に緑と黄色の石を見つけた。

 リーナの持つ炎の触媒と、同じくらいの大きさの滑らかな石。


 箱の中にはそれぞれいくつか入っていたが、オルヴァンさんに言われたとおり、リーナは一つずつ手に取り、腰に下げた袋に入れた。

 だいぶ時間がかかってしまった。


 開いている扉から、急いで外に出る。

 戻ろうと、中心街の入り口へ目を向けると、魔獣の姿があった。


 村で井戸に入っているところを倒した、あの魔獣だった。正面から戦ったら、まず勝てない。

 身を隠そうとしたが、魔獣がちょうどこちらに目を向けたところで、もう遅い。

 逆方向に逃げるしかない。そう思って左に目を向けると、少し離れたところにもう一体、同じ魔獣がいた。

 それも、こちらを見ている。


 もうどこにも、逃げ場がない。

 とっさに、工場の建物の中に入り、扉を閉めた。


 リーナが中に入ったあと、ドンッ、と音がして建物が揺れる。

 魔獣が建物にぶつかった音だ。

 幸いにも、建物がすぐに崩れそうな感じはしない。

 目の前に魔獣がいたら、ここからは出られないけど、少なくともやられはしない。


 ドン、ドン、と音がして揺れる建物の中、リーナは考える。

 何とか隙を見て、逃げ出せないか。目の前に魔獣がいるのに、そんなのは無理だ。

 このままこの中にいて、魔獣が諦めてくれるとは思えない。

 魔獣は触媒に寄ってくる。リーナは今、三種類の触媒を持っているし、この建物の中には残っている触媒もある。


 どうすれば。考えても考えても、何も思い浮かばない。

 そこでふと、思い出す。

 この街では、わざと魔獣を招き入れて、中心街で狩りをする。

 誰かがこの魔獣を見つけて、倒してくれるかもしれない。

 リーナには、それを期待して暗い建物の中で息をひそめるしかなかった。


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