第三話 成果
「これは……途中で途切れている?」
俺は、アリシアから手渡された紙に書かれたトマの思念記録を読み、そうつぶやいた。
「はい。そこでトマの思念は途絶えた、ということでしょう」
「えっと、つまり……」
「目の前にいた魔獣にやられてしまったのだと思います」
アリシアが少し沈痛そうに言う。
改めて読み直すと、この巨大な魔獣にやられて助かるとは思えない。
始める前は、失敗したときのリスク、という言葉で自分をごまかしていた。
だが、ここでいう失敗とは、つまりそういうことだ。
自分の選択で、人の運命を左右してしまった。
その重みで、何も言葉が出ない。
何も言えずにいると、アリシアが口を開いた。
「ラクト様は、この成果についてはどのように考えますか?」
「成果?」
「はい。正直、私はラクト様のことを疑っておりました。こんなことをしても、何も得られないのではないか。無理に領民を討伐に行かせ、命を無駄にするだけではないか、と」
アリシアの言葉が突き刺さる。
実際、そうなってしまった。
「しかし、実際には、彼はこの任務に納得して臨んでおりました。それに、魔獣の討伐にも成功しました。あの魔獣は、確かに小型の魔獣です。ですが、今まで立ち向かって倒した農民の話など聞いたことがありません。むしろ、被害に遭ったという話なら何度も聞いております。……ラクト様の仰る通り、夢があると、人は通常では考えられない力を発揮するようです」
アリシアは、今回の件が無駄だったとは考えていないようだ。
悲しみに包まれながらも、冷静に考えようと努めているのが伝わってきた。
異世界から来た俺が感傷的になっていてどうする。
自分自身に喝を入れる。
どうしても最後に途切れた文章に目が行ってしまうが、無理やり目をそらし、情報として読み直す。
最初の街の周りに、初心者が倒せない敵がいる。
おかしいのはそこだった。
ふと、そこで気になった。
こんなに強い敵が周りにいて、どうしてこの街は無事でいられる?
「このトマがやられた魔獣だけど、街の近くにいるのは珍しいの?」
「いいえ、珍しくはありません」
「街が魔獣に襲われることもあるって聞いたけど、そのときはどうしている?」
「訓練を積んだ騎士であれば対処できますから、彼らが駆けつけて対応しています」
危機だということしか聞いておらず、この街が持っている戦力を聞いていなかったのは迂闊だった。
よく考えてみれば当然だ。
誰もあの魔獣に勝てないなら、この街はとっくに滅んでいるだろう。
「その人たちで魔獣退治はできないのか?」
「街を守るので精一杯なのです。魔獣が異常に多くいて、この一帯の魔獣の発生源と思われる場所はトマに渡した地図に書いた通り、何とかつかんでいます。ですが、そこに向かうほどの余裕がありません」
「なるほど……」
持っているカードで何とかなるのであれば、異世界の俺にすがったりするわけがないか。
いずれにしても、この街と世界の情報はもっと必要だ。
少し考え込み、沈黙が流れる。
バンッ!
「アリシア!」
大声でアリシアを呼ぶ声とともに沈黙を破り、突然扉が開いた。
動きやすそうな腰丈の上衣に、革の手甲と膝当て。腰のベルトには短剣と小さな革袋が下がっている。
短く切った紅葉色の髪と、その色を少し写したような瞳。顔立ちは幼いが、こちらをにらむ目だけは鋭かった。
彼女は遠慮の欠片もなくアリシアの前に詰め寄った。
「どういうことなの! 農民に魔獣退治って!」
そのままアリシアの前まで来ると、ドン、と机を叩いた。
「フィア、落ち着いて。私たちだけじゃないのよ」
アリシアが何とかなだめようとしている。
アリシアの言葉に、フィアと呼ばれた少女は俺の方を向いた。
「あんたが異世界から呼ばれたって男?」
なぜか、いきなりキッとにらまれた。
「あ、ああ」
俺は勢いに押されて、曖昧に返事をする。
「えっと、紹介しますね。こちらはフィア。私の従騎士です。そしてこちらはラクト様。この街を救っていただくべく、異世界よりお呼びしました」
フィアの登場で荒れた場を、アリシアがとりなすように言う。
従騎士?
さっきの話では、騎士ならあの巨大な魔獣にも対処できるということだった。
だから、もっと頑丈な鎧に身を包んだ屈強な人間を想像していた。
だが、目の前の少女は明らかに違う。
俺やアリシアよりも小柄で、あんな巨大な魔獣と戦えそうには見えない。
「今は街の警備でなかなか一緒にいられませんけど、フィアとは同い年で、私の護衛という名目でずっと一緒に育ったのです」
そう言ってアリシアがフィアに微笑みかけると、さっきまで噛みつきそうな顔をしていたフィアの表情が、ふっと緩んだ。
「へへっ」
照れくさそうに笑い返すその顔は、さっきまでの剣幕が嘘のように年相応だった。
「えっと、よろしく」
雰囲気が柔らかくなった隙に俺が言うと、フィアは微笑んだまま「よろしく」と返してくれた。
そこで、ふと気づいたらしく、フィアはアリシアの方へ向き直る。
「って、誤魔化されないわよ! 魔獣退治はあたしたち騎士の役目でしょ! また討伐隊を組めばいいって、いつも言ってるじゃない」
「だから、それは最後の手段で、それまでにできる限りのことをやりたいの」
「その結果が、農民一人に魔獣退治をさせることなの? 誰か一人が行くなら、あたしに行かせてよ」
「一人で行くなんて無茶よ」
「その無茶を農民にやらせたんでしょ! 農民なら死んでもかまわないってわけ!?」
「そういうわけじゃ……」
アリシアは言い返そうとして、言葉を失った。
唇を噛みしめる。
けれど、フィアから目をそらすことはしなかった。
「いいえ……そうね」
小さく息を吸って、アリシアは続けた。
「フィアや他の騎士がもし欠けたら、もう街の警護もままならない。最後の手段の討伐隊も、組めるかどうか分からなくなる。でも、トマがいなくなっても、街の状況は何も変わらない」
その言葉を聞いた瞬間、俺は胸の奥を掴まれたような気がした。
アリシアは、分かっていたのだ。
分かったうえで、トマを送り出した。
「私は、トマを捨て石にしたも同然だわ」
声が震えていた。
フィアも、それ以上すぐには言い返せなかった。
「私は術式を通して、トマの心に触れたわ。トマから、今のこの街で暮らす絶望がはっきりと伝わってきた。目の前のことを続けていても、良くなる見込みがない絶望。何もできない絶望」
アリシアの手が、膝の上でぎゅっと握られる。
「それが、依頼を受けてからは、夢、希望、情熱に変わったの。あんな目に遭ったのに、最後までそれは途切れなかった」
「だからって……」
フィアの声は、さっきより少し弱くなっていた。
「分かってる。トマのためになったなんて言うつもりはない。言えるはずがない」
アリシアは首を振る。
「でも、今までのまま、戦いは騎士と貴族に任せて、領民はただ守られていればいいと言うのが、正しいとも思えないの」
ぽつり、と涙が落ちた。
「だって、私たちが勝手に最後の賭けに出たとして、失敗したら、彼らも助からないのに」
部屋の中が静まり返る。
フィアは何か言おうとして、けれど何も言えずに拳を握った。
「……ごめんなさい」
そう言って、アリシアは席を立った。
アリシアはそのまま部屋を出て行った。
残された俺とフィアは、しばらく何も言えなかった。
「……様子、見てくる」
やがてフィアがそう言って、アリシアの後を追うように部屋を出て行った。




