第十六話 ノイの日常
クレール公に戦を思いとどまらせ、交易の拡大を約束させた。
この作戦は、これ以上ない成功だ。
しかし、俺たちは重大な作戦の欠陥に直面していた。
俺の転移を見せかけるためには、帰りも荷台に潜伏しなければならない。
「最悪の作戦が、毎日更新されてるわ……!」
絶望的な顔をしたフィアに宣言された。
また、天国と地獄の境界線に入り込み、俺たちは何とかクレールの街を出た。
「ぷはぁ!」
街から離れると、女の子とは思えない声を出してフィアが荷台から飛び出し、大きく深呼吸をした。
いや、わかるけど。
でも、ちょっと傷つく。
俺も荷台から何とか這い出すと、俺たちの様子を見てノイがふふっと笑った。
「ちょっと! 何笑ってるのよ!」
フィアが突っ込むと、
「申し訳ありません! フィア様!」
ノイは背筋を正して、深々と頭を下げた。
「いや……そんなに謝らなくても……。本気で怒ってるわけじゃなくて」
謝られたフィアの方が、たじたじになっている。
「申し訳ありません」
ノイが、また謝る。
「はぁ。いつまでもノイは硬いわね」
フィアがため息をつくと、ノイは少し黙った。
それから、意を決したように口を開く。
「すみません。フィア様に対して態度を崩してしまうと、何だか日常が離れてしまうんじゃないかって思ってしまって。いつも声をかけてくださるのは嬉しいのですが」
ノイにとって、フィアはいつも遠くから眺めていた、憧れの象徴だ。
そのフィアと対等に話すようになってしまったら、ノイの日常ではなくなってしまう。
ノイの思念を読んだ俺には、ノイの言いたいことがよく分かった。
フィアにも、それは伝わったらしい。
軽く流さず、真剣な顔をしている。
「だったら、あたしもノイの日常に入れてよ」
「え? どういうことですか?」
「昔のノイの日常には、あたしと話すことなんてなかった。今でも、街の中ではそういうわけにはいかない。立場っていうのも、日常の一部だからね」
ノイは静かにうなずく。
「でも、こうして交易の旅に出て、その途中であたしと話す。それも今は、ノイの生活の一部でしょ」
フィアはそこで、少しだけ言葉を探すように間を置いた。
「……別にさ。昔と同じじゃなきゃ日常じゃない、ってこともないんじゃない?」
「え?」
「新しい道を通るようになったり、荷物が増えたり、顔見知りが増えたり。そういうのも、少しずついつものことになっていくでしょ」
ノイは静かにフィアを見つめていた。
「だから、その中にあたしが混じったっていいじゃない。元の日常が壊れるわけじゃないんだから」
「フィア様が、僕の日常に……」
「それくらいなら、いいでしょ?」
フィアはそう言って、ノイに笑いかけた。
ノイは少しの間、黙っていた。
やがて、表情を緩める。
「……はい。きっと、それも僕の日常です」
「おい、さすがにこの荷台潜伏作戦まで日常にされたら困るぞ」
「せっかくあたしがいいこと言ったのに、台無しにするんじゃないわよ!」
それを見て、ノイがふふっと笑った。
「ちょっと! 笑うんじゃない!」
今度は、ノイは謝らなかった。
クレールの街から帰り、荷下ろしのために、と言ってノイが別れた後。
俺は、ずっと気にかかっていたことをフィアに聞いた。
「なあ、あのクレール公が使った氷のやつって」
「あれは、魔術ね」
やっぱりそうか。
「魔術って、特別な才能がないと使えないものなのか?」
「そういうものもあるわ。アリシアの思念術式とかね。そういうものは、特別に名前がついた術式になってる」
「てことは、他は?」
「ええ。道具と触媒があれば、誰でも使えるわ。戦闘で使いこなせるかどうかは、また別の話だけど」
つまり、現代社会の銃みたいなものか?
俺は当然触ったことはないが、たぶん使い方を教われば、撃つだけならできるだろう。
あれ、そういえば、ここに来た当初に魔術を使えるか試したが、全然だめだったような。
「俺がここに来た時、魔術を試しても全然だめだったんだけど」
「それは、普通の属性魔術以外の術式を試したんでしょ。あんたが異世界から来たから特別な術式が使えるかもしれないって思ったんじゃない?」
「なるほどな」
「普通の魔術だったら、いくらあんたでも全くだめってことはないはずよ」
説明の中に、余計な軽口が混ざったような気がする。
「だったら、フィアはなぜ使わないんだ?使うのが下手とか?」
そう言ってちょっと反撃すると、キッとにらまれた。
「使えるなら使うわよ。魔術を使うためには触媒を消費するの。それがないから、使えない」
俺が試した時に、普通の魔術が出てこなかったのはそういうことか。
何か当時も試した時に説明されたようなされていないような気がしてきたが、あの時は急に異世界に来て何もわからないことだらけで必死だったからわからなくても仕方ない、と自分で自分に言い訳をする。
「なるほどな。逆に言えば、触媒が手に入ったら魔術が使えるようになって、戦闘はかなり楽になるよな」
「そうね。実際、昨日の戦いもクレール公がもっと魔術を使ってきたら危なかったわ。あれが虎の子だったんだと思う」
直近の問題は片付いた。
だが、根本の魔獣退治のためには、今のままでは戦力が足りていない。
その戦力を補う方法として、魔術はかなり有効に思えた。
ゲームでも、敵と戦って強くなっていく過程では、魔法が使えるようになるものだ。
「ちなみに、その触媒、手に入れる方法はあるか?」
「えっと、属性ごとに触媒が違って、確か領内でもいくつか取れるはずよ」
「よし、次の目的は決まりだな」
「目的って……まさか」
そう言って、フィアが口をつぐむ。
これまでの流れから、俺がやろうとしていることは分かっているようだ。
その触媒が安全に手に入るなら、もうとっくに手に入れて使っているはずだ。
今それがないのは、安全に手に入れる手段がないことを意味している。
俺はフィアにうなずき返し、シャンベルの館に向かった。
アリシアとも話し、領内で手に入る二種類の触媒のうち一つ、火属性の触媒を手に入れることが次の目的となった。
こうして、また勇者募集が再開された。




