思念記録 九
またあの時の夢で目が覚めた。
あれ以来、何度この夢で目が覚めたか分からない。これがただの夢だったら良かったのに。
村が襲われたときの夢だ。
イネスは、あの時、街から来たミラと話していた。
行商人のガルスさんの奥さんで、ガルスさんが忙しい時に、たまに代わりにやってくる。
ミラとはとてもよく気が合ったので、会えるのを楽しみにしていた。
ガルスさんはすごい商人で、まるで、私たちがいつ、何が欲しいのか全て頭に入っているようだった。
だからいつも忙しそうで、ミラが代わりに来ることも珍しくなく、それが嬉しかった。
ミラと話していると、商談をしていたはずのロアンが血相を変えて走ってきた。
「大変だ! 魔獣が出たらしい! 逃げるんだ! 俺は村の皆に伝えてくる」
今は畑に出ている人も多い時間だ。私も行く、とイネスが言うと、ミラに止められた。
「あなたはルカとエナを連れて逃げて。私が行くわ」
そうだ、子供たちを守らなきゃ。
ルカの手を引き、エナを抱いて私は先に逃げた。
結果的にそのおかげで助かった。
街でいくら待ってもロアンは来なかった。
ミラはどうなっただろうと、街の人に聞いてガルスさんの家を訪ねたが、ガルスさんの顔を見た瞬間に、ミラも帰らなかったことが分かった。
働き者で、気さくな商人だった面影はなく、虚ろな目をしていた。
ミラのおかげで私と子供たちが助かったと言うと、馬鹿な奴だ、とつぶやいていた。
礼をもっと言いたかったけれど、それ以上は何も言えずに家を出た。
「ゴホッゴホッ」
ルカの咳が聞こえた。
そうだ。あれは夢じゃない。
寝たまま苦しそうにしているルカの頭に載せた、濡れた布を変えてあげた。
元々病弱だったが、街に来てから、ルカの具合がどんどん悪くなっている。
薬どころか、食べ物も満足に手に入らない。
ルカとエナを守らなくちゃいけないのに。
以前村でルカが病気になったときは、ガルスさんが特別に薬を持ってきてくれた。
飲ませると、嘘のように回復した。
あの薬さえあれば……
街のどこかで手に入らないかと探したが、今は戦いで傷ついた騎士様に優先して使われていて、全く出回っていないらしい。
ルカの看病をし、エナの世話をし、畑仕事をする日々が過ぎた。
ルカの病気は、一向に良くなる気配がない。
そんな時イネスは、同じ村出身で、魔獣退治から帰ってきた人から話を聞いた。
魔獣退治に必要な薬を手に入れるため、隣街に行く途中で怖くなって帰ってきたらしい。
薬……。
イネスは、魔獣退治に志願した。
イネスがシャンベル様の館に行くと、女の子が丁寧に魔獣退治について説明してくれた。
イネスには分からない、難しいこともよく分かっているようだった。
きっと、騎士家のお嬢様だろう。
説明の後に、イネスが、薬が手に入ったら私にも貰えますか、と聞くと、怪訝そうにしながら、もちろん、と答えてくれた。
魔獣退治のために薬を手に入れるのだから、あなたが使うのは当然だ、と。
何に使うかは言わなかった。
イネスは、館を出ると、早速街を出た。
道は分かっている。
今の目的は、隣街と続く安全な道を探すことのようだ。
一番近い道は危険らしい。
代わりの道として選ばれたのが、イネスの村に続く道だ。
イネスの村を越え、その先の橋を渡った先に、隣街がある。
女の子には、まずは狩場で鍛えるといいと言われたが、イネスは狩場には行かなかった。
イネスには、魔獣と戦うような力がないことは分かっていた。
ただあの時のように逃げて、隣街まで辿り着ければいい。
そうすれば薬が手に入る。
あの時とは逆の道を走り、村に着いた。
これ以上は続けて走れない。少し休もう。
そう自分に言い訳をして、村に入ってすぐにあるイネスの家に入った。
家はあの時のままだった。
小さいが、ロアンとルカとエナと、幸せに暮らした家。
床に、木彫りの人形が落ちていた。
男の子なのに外であまり遊べないからと、ロアンが彫って作ってあげた人形だ。
イネスの目にも出来が良いようには見えなかったが、ルカは気に入ってずっと手放さなかった。
あの時、逃げるのに邪魔だからと置いて行かせた。
これが無いから、ルカの元気が出ないのかもしれない。
持っていこう。
イネスには、もう一度作ってあげることはできないのだから。
イネスは人形を拾い、皆で寝ていた寝室に行き、人形を抱いたまま横になった。
イネスがミラと話していると、ロアンが走ってきて、
「おい! 今日は肉が入ったぞ。これでルカに精をつけられる」
と嬉しそうに言った。
それを聞いていたミラが、後ろから歩いてきたオルドさんに声を上げた。
「お義父さん、卵もつけられませんか?」
「やれやれ、せっかく離れて話をしても、意味がないな。またガルスに叱られるぞ」
「平気ですよ。あの人、馬鹿な奴だって言いながら、いつも嬉しそうなんだから」
目が覚めた。
いつぶりか分からない、あの時とは違う夢だ。
いつの間にか辺りは暗くなっていた。
危険だと分かりながらも外に出ると、澄み切って輝いた星空が見えた。
イネスは、二人にも見せたかったなぁとつぶやいて、家に戻った。
夜じゃ暗くて進めない。
また横になり、眠ることにした。
今度は夢は見なかった。
目が覚めると、もう朝になっていた。久しぶりにぐっすり眠り、調子が良い。これなら走れそうだ。
イネスは人形を抱き、家を出た。
今日もすっきりとしていて、雲一つない青空だった。
イネスは人形を抱いたままひたすら走った。
村を出て、農地を越え、街道を走り続け、川にたどり着いた。
川にかかった橋は、頑丈そうだが、水面に近く、所々穴が開いていた。
少し不安に思ったが、イネスは足を踏み出した。
ここを越えたらもうすぐ隣街。
着いたら薬が手に入る。
イネスが慎重に橋を中ほどまで渡ると、突然、バン! と音がした。
「何かいる……?」
橋を下から強く叩いたような音だった。
イネスが走り出すと、今度は水の音と引き裂くような音と共に、橋の前の方に穴が開いた。
それでも、足を止めずに走り続けた。
突然、地面が無くなった。
足を動かしても、どこにもつかない。
バシャ! と音を立てて水に入り、イネスは橋から落ちたのだと分かった。
冷たい。
泡だらけで何も見えない。
必死に手を動かすと、抱いていた木彫りの人形が体から離れた。
あっ、ダメ……
イネスが手を伸ばして取り戻そうとするが、届かない。
泡が消えてきて少し見えるようになった目に、流されていく人形と、黒い大きな何かの影が見えた。




