第二話 ③
約1週間が過ぎた頃。
凪翔は自身の在籍する大学での講義中に、首に提げた帷勾玉が熱を帯びたのを感じた。これは岩鳴の呼び出しである。つまり討つべき怪異が出現したことを意味する。
その日は友人達の誘いを断り、帰路を急いだ。隣には誰の目にも映らない相棒の鬼、燈源がいる。外出する時もおおよそ一緒にいることが多いのだ。
「残念だったな、凪。せっかくの放課後が怪異のせいで台無しだ。雨も上がってこんなにいい天気なのに、つまんねえな」
「あいつらならいつでも遊べるさ。それより、今度は一体どんな怪異だろうな」
聞いても分かることではないが、つい言ってしまう。怪異と対峙する事が決定した時の緊張感は、やはり慣れるものではない。
大学から自宅までは電車を乗り継ぎ、徒歩を合算して約2時間。岩鳴の元に着く頃には、呼び出しから3時間半が経過していた。
「待ちくたびれたぞ。燈源の背中にでも乗れば四半刻もかかるまいに」
「そんなことをしたら、宙を浮いている私の写真があっという間に拡散されてしまうでしょう。しかもおんぶしてもらってる変な体勢で」
燈源に背負ってもらい、鬼の脚力で移動すれば1時間も掛からない。更に「浄炎」で鬼神化すれば更に30分までは短縮できたであろう。
しかしそのような事をすれば、鬼が見えない街中の人々から宙に浮いた青年が猛スピードで通過するさまを目撃され、最悪SNSの晒し者になる。
「そんなもの、生成AIの仕業とでも申しておけばよかろう」
「岩鳴さま、さては先月の一件でAIを覚えたんですね」
「んな事ぁいいから、何の用だよ」
燈源は焦れていた。長く生きる割にせっかちで、さっさと用事を済ませたいのだ。
「うむ、心して聞け。実は今日、『さきたん』の生配信日でな。あれで観ておったのじゃが」
岩鳴は床に置かれた社務所のノートパソコンを指さした。
この時点で凪翔はがくっと崩れそうになったが、黙って聞いた。
「―――便りに、魔が訪れたのじゃ」
便り、とはコメントのことであろう。そこに魔が来たとはどういうことか。
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さきたんの生配信は午後2時から、事前告知の上スタートした。視聴者は平日の日中でも常に5000人を超えるネット界の一大スターである。
視聴者のコメントは画面の右下から吹き出しと共に表示される。コメントが来るたび、吹き出しは下に重なって、上方に押し上げられて無くなる。さきたんはこれが無くなるまでに、急ぎ口調で読み上げては即座な回答を繰り返していた。
ところが、突然奇妙なコメントが投稿された。
『さきちゃんみつけたよ』
次々に現れる吹き出しを読み上げる慣性で、この一言も読み上げてしまった。
「さきちゃんみつけたよ、え?なに?怖いんだけどぉ」
最初は笑って答えた。特に気に留めることなく次に応える。
『いまいくよ』
「いや怖いって!」
この手の嫌がらせはさして珍しくもない。しかし。
『富浦早紀さん 24さい 豊島区長崎のエーデルマンション702号室』
「・・・え?」
同一人物のユーザー名である。途端に怖気が走った。本名、住居情報を完璧に特定されていた。
「え、ええ?違います、残念でしたぁ!やめて特定しないでぇ」
早紀はどうにか笑顔を取り繕い、やんわりと否定した。閲覧者5000人の前で肯定の意を悟られてはならない。
フォロワー数1万人を越えれば何かと個人情報は特定される恐れはある。とは言え、細心の注意を払ってきたつもりだ。
配信時はカーテンを閉め切り屋外の景色を遮断した。背景は白一色の間仕切りを立て、部屋の間取りや広さが分からないようにした。しかもカーテンは二重に取り付け、屋外からは異なる色が見えるようにまでした。インターホンの音はミュートにしている。一体どこから割り出されたのか。もしやストーカーに追跡されたのだろうか。
いずれにせよ、この場で個人情報を公にされるのは断固として許せないし、何より重大な利用規約違反である。
『いまむかってるよ』
「あの、場所も名前も全っ然違うけど、他人の個人情報をコメントに晒すのはやめてください!ブロックしますよ!」
あくまでも白を切った上で毅然と警告したが、内心は恐怖していた。ストーカーなら本当に来てしまいかねない。
『池袋まできたよ』
『いま東長崎だよ』
「ちょっと、これ以上は本当にブロックしますよ!規約違反です!」
しかしコメント主はいかにもこちらに近付くような発言をしておきながら、移動速度があまりにも早すぎる。やはり下らない嫌がらせだろうか。
早紀がカメラの下に置かれたマウスを動かし、このユーザーをブロックしようとカーソルを当てた。
しかし、何度マウスを押下してもクリックが出来ない。カチカチと音が空打ちし、そのユーザー名に触れることが出来なかった。
「あれ?」
こうしている間にも、そいつは暇なくコメントしてきた。
『いま、マンションのまえにいるよ』
最寄り駅から早紀の住むマンションまでは徒歩15分は掛かる。
『なかにはいったよ。7かいにいくね』
やはり、脅しているだけだろう。早紀が怯えた様子を見せれば、きっとこいつは気色の悪い笑顔を浮かべ、己の愉悦に浸るのだろう。そう考えると、段々と苛立ちが勝ってきた。
「あれ、おかしいな」
しかしどうしても、そのユーザーを消去する事が出来なかった。
『おひるまで、おでかけしたのかな』
まさか本当にここに訪れるとは思っていなかった。だから苛立ちつつも落ち着きは取り戻していた。嫌なタイミングで機械の不具合が起きてしまったなと、溜息交じりにブロックを諦めたその時である。
次の一言で、一気に背筋が凍りついた。
『みずたまの傘、かわいいね』
今日の午前中に使って、玄関に干してある早紀の傘である。普段はそこにない、今日しか置いていない青い水玉模様の傘である。
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静まり返った社務所で、最初に発言したのは燈源だった。
「凪、どう視える?」
凪翔と燈源は肩を並べてその映像を観ていた。ただしこれは、さきたん本人が投稿したものではなく、視聴者が動画投稿サイトに投稿した録画映像である。
一見すると、さきたんが何の脈絡もなく、存在しないコメントに回答するような言動が見られる不可解な映像である。
問題のシーンは、本人が突然「さきちゃんみつけたよ。え、なに、こわいんだけど」と笑いながら発言したところからである。この時「さきちゃん見つけた」という旨のメッセージなど誰からも来ていないのだ。
そして数秒の沈黙の後、言葉を失ったように「え・・・」と一瞬戦慄したように見えた。
「え、ええ?違います、残念でしたぁ!やめて特定しないでぇ」
この時には妙に引き攣った笑顔になっている。少しずつ不穏な様相が増してくるように感じた。
その後も「怖いって!」とか「ブロックしますよ」「規約違反です!」などと声を荒げ、不自然な発言が繰り返された。
画面下から現れる吹き出しには「どうしたの?」とか「誰と話しているの?」などと、戸惑いの声が連続していた。
やがて、さきたんは何かに驚愕したように目を見開き、顔面が真っ青になった。恐怖で小刻みに震えながらゆっくりと振り返ったところで、映像が暗転した。
この動画自体のコメント欄にも、恐怖を露わにする者や好奇心を剥き出す者、中には自作自演を疑う者までおり、様々な言葉で溢れかえっている。
しかし凪翔の目にはさきたんへのストーカーじみた言動がしっかりと視えていた。やらせではないことは明白である。
黙っていると、岩鳴が怒りで声を荒げた。
「凪翔、燈源よ。今こそ岩鳴の神威をここに示せ。さきたんは怪異に攫われおった。ここで戦わずして我が神使が務まると思うな。何としても救い出せ!良いな!」
「い、岩鳴さま―――」
「お、おい、ジジイ。なんでこの小娘にそんな気合い入れやがる。言っちゃなんだが、人が攫われるなんざ、よくある怪異じゃねえか」
紀元前から生きる火山の神、岩鳴が怒りを露わにした。二人の戸惑いをよそに岩鳴は更に続けた。
「―――急急如律令じゃあ!」
本事案は早期解決を他の何よりも最優先すべし事項、という宣言がなされてしまった。
凪翔と燈源は口を開けたまま顔を見合わせた。




