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岩鳴岳の鬼神  作者: 山田猿彦
第二話 神の勅命 
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第二話 ②

 朝を迎えた夏川家に、徹夜明けの凪翔が帰宅した。帰りを迎えたのは岩鳴神社の現宮司である父、夏川正広(まさひろ)だった。


「お帰り凪翔。踏切の怪異、無事に退魔できたようだな。お疲れさま。ゆっくり休め」


「ただいま。まったく、踏切の怪異ってどうしてすぐに姿を出さないんだろう。夜中に待ち伏せしていたら、うたた寝しちゃってさ。危うく1人――」


 ――犠牲にさせるところだった、と言ってしまいそうになり口を噤んだ。そのような失敗など正広は決して許さぬ父だ。


「危うく1人、何だ」


「あいや、何でもないよ」


 凪翔たちが「踏切で人が行方不明になる怪現象」と真夜中に対峙していたことは正広も知っている。


 2ヶ月ほど前、件の踏切上で人身事故が発生した。それ以降、終電後にそこを通過しようとした人が忽然と姿を消す事件が立て続けに3件発生したのだ。

 凪翔たちはこの怪異を討ち、行方不明となった3名を救出するため、夜間その踏切で待ち伏せしていた。

 ところがその時、丁度現場に居合わせた杉本という男が、まさにその怪異に取り込まれそうになってしまった。燈源がその体躯で正面から電車を受け止め、杉本は難を逃れた。


 杉本を含め行方不明者に関係性はなく、深夜2時頃に踏切を通過していたことが唯一の共通点である。というのは凪翔が「視て」認識したことであって、警察はそれぞれ別件の行方不明者事案として捜査していた。ましてや踏切の人身事故との関わりなど、微塵も考えていない所であった。


「ところで父さん、今朝もまた早いね」


 現在時刻は朝6時と少し前。帰ってきたら正広は既に白いワイシャツにワインレッドのネクタイを締め、その上にチャコールグレーの背広を羽織っている。スキンヘッドの髪型はそのままであり、一見すれば神主と言うより完全に僧侶である。


「ああ。今日もくだらん集まりだ。祓戸神盟(はらえどしんめい)の爺さんたち、本当に頭が固え。神社本庁まで顔を出すから、今日は早めだ」


 さらりと言うが、都心部の神社本庁までは県境を二本越えることになる。正広の立場上、岩鳴神社宮司としてどうしても出向かなくてはならないが、なかなか長い距離を移動させられる。


「へえ、なにか問題でも起きたの?」


「いんや、いつもの定例報告会。下らん。グループラインで済ませればいいだろう。あれのために何時間費やされるんだ」


 厄払いや退魔に特化した神社は、岩鳴神社の他にも全国にいくつかある。これら退魔・厄払い神社の連盟組織が「祓戸神盟(はらえどしんめい)」である。社会的に表舞台に立つことはないが、津々浦々の禍事から国民の生命を防衛する中枢機関である。


 祓戸神盟に所属する各社は定期的に顔を合わせ、親交を深める。そして時に応援を要請したり、自己完結できない退魔案件を同盟他社に紹介するなど、相互扶助のシステムが成り立っているのだ。

 しかし、公務員気質と言うべきか、形式主義と言うべきか。国家機関である幹部の神職たちは重厚な伝統派で、融通が利きにくいところがある。


 父を見送り、凪翔は自分の部屋で仮眠をとった。


 午後過ぎ、凪翔は岩鳴神社の社務所に訪れた。いつもの通り奥の居間に入ればそこには御祭神・岩鳴禍津日神も鎮座していた。


 岩鳴は何故かノートパソコンを凝視している。


 その姿に違和感を覚えつつ、凪翔は岩鳴と向かい合って対座し、取り敢えずは昨晩の顛末について一通り退魔報告をした。


「そうか。大儀であったぞ、凪翔よ。孤独に喘いだ自殺者の霊魂が、生者の御霊を求めておったのか」


「はい。2ヶ月前に列車に投身自殺した霊魂が、生きた人間の御霊をあちらの世界に引き込もうとする執念が怪異の正体でした。丑の刻にそこを通りがかった人を結界に閉じ込めて、電車に轢かれる追体験をさせていたようです」


「斯かる体験などさせられた者は、自らが死したと思い込むわけだの。全く、あくどい霊魂じゃ」


 怪異の本体は、死後も尚、耐え難い孤独に苦しんだ霊魂であった。己の孤独を慰撫せんとするため、他の人を己の世界に引き込む怪異である。


 その手法は、自身が体験した今際の際を、他の人に追体験させるものである。体験させられた者は自らが轢死したと思い込み、これが自らの運命だと誤認し、無抵抗にあの電車に閉じ込められてしまう。

 黄泉の国に送る列車なのだろうと疑わず、或いはこれが自身に課された罰か何かだと勘違いし、永遠に乗車し続けてしまうのだ。あの1両列車は、怪異が作り出した牢獄のようなものであった。


「その列車にのさばる荒魂(あらみたま)は、確かに消滅させたんじゃの」


 岩鳴はさほど気にせずと言った様子で、凪翔に目を合わせることなく問うた。

 尤も、その怪異の根源を消滅させること自体には大して時間は掛からなかった。しかし、なぜこうも朝まで帰宅が遅れたのかと言えば、他でもなく燈源がその行方不明者たちを乗せた車両を、丸ごと鬼神の剛腕で遥か彼方まで投げ飛ばしてしまったからである。


 暗闇の中、始発電車が来るまでにと、大急ぎで3人を探し出したのだ。まず、破壊された車両を見つけ出すのに約1時間。全身凸凹とした銀色の巨大な金属塊が暗闇に溶け込み、無残に転がっているのを発見した。それが1両の電車だったとは到底思えぬ有様であった。

 燈源が変形した車体を更に破壊し、出口を開口させ、そこからどうにか凪翔が中の3人を引きずり出した。全員を救出し終わる頃には、先程までの金属塊は最早ただの瓦礫へと化していた。

 怪異自身も、まさかこのような原型とどめぬ姿で最期を迎えるとは思ってもみなかっただろう。


 三人とも完全に気絶しており、幸いその場所が現実とは異なる異空間であったため、身体に致命傷を負うこともなかった。これがこの世の現世なら、全員即死であったに違いない。

 きっと杉本も、中にいた3人も、今朝のうちに目を覚ましているだろう。


「―――はい。燈源の破壊力で確実に。全員無事に現世まで連れて戻りました」


 余計な手間がかかったことは黙っておくことにした。


「うむ。ご苦労」


 少し間をあけて、凪翔が先程から気になっていた事を問いかけた。


「・・・あの、岩鳴さま」


「なんじゃ」


「・・・先程から一体何を観ているのですか」


 岩鳴は凪翔に一瞥もせず、変わらずパソコンの液晶画面に視線を落としていた。


 しかもそのパソコンからは終始、キラーンとか、チャリーンとか、ジャララララとか、あらゆる安っぽい効果音が鳴らされ、若い女性の「わあい」とか「ありがとお」とか、やたら間延びした黄色い声が絶え間なく聞こえてくる。これがなんとも耳障りで、尋ねずにはいられなかった。


「ぬ、これか?」


 岩鳴はパソコンを180度回転させ、凪翔に液晶を向けた。


 見ればそこには画面いっぱいに映る20代くらいの女が楽しげに笑っていた。その髪色が明瞭なピンク色を呈しているのが真っ先に目に入る。


「この娘は『さきたん』じゃ」


 ―――さきたんじゃ、ではない。それは近年流行中のライブチャットではないか。こちらは至極真面目な話をしているのだ。


 岩鳴は凪翔の退魔報告に耳を傾けるのも程々に、画面内で楽しげに喋り続ける「さきたん」とやらを終始観察し続けていた。昨晩の苦労話が完全にもげてしまった。


 岩鳴は悪びれる様子もなく続けた。


「どうじゃ。何とも愛らしい娘であろうに。わしの推しであるぞ」


 畏れ多き霊山、岩鳴岳(いわなだけ)を司る禍々しき神が、なんと20代の一般女性を推しであると宣言した。


「いや、真面目に聞いてくださいよ!」


「なに、これも勉学ぞ。わしとて国津神の一柱として、人の世の見聞を広げておるのじゃ。悪くなかろう。何か迷惑か?」


 開いた口が塞がらなくなってしまった。


 岩鳴がそう言い返す間にも、画面内の女は変わらず弾んだ声で話し続けている。


『セイホーさん、スパチャありがとう!わあコウイチさん!久しぶり!タロキチさん、メンバーシップ登録ありがとうございます!見逃し配信もよかったら観てね』


 「さきたん」なる女のピンクヘアは頭頂から耳下まで丸みのあるショートボブに整えられ、メイクは程々なのか薄紅色の唇に自然な一重瞼と濃すぎない目尻。それでいて端正な顔立ちをした女であった。

 胸元が広めに開かれた紺色のブラウスから、下着の縁が見えてしまいそうだ。


 視聴者であろう誰かからコメントが送られる度、キラーンと小高い効果音が繰り返される。配信者のピンクボブは全てのコメントに応えているようだった。この他にも、高額な投げ銭であろうか、たまにルーレットらしき円盤が画面上部に現れ、ジャララララとドラムロールの音と共に回転しては、赤い矢印で指定されたいささか性的な質問にも楽しげに答えている。


 それにしても音量が大きい。表の参拝客まで聞こえてしまいかねない。


「岩鳴さま。音が大きいです。氏子の人から苦情が来たらどうするんですか。しかもそのパソコン、社務所の備品ですよね」


「駄目か?」


「駄目です!」


 その時、戸襖がガラガラと音を立て、隣の応接室から凪翔の姉、茜が現れた。


「凪ぃ、事務室のパソコン持って行った?―――ああ、あった!」


 見つかったパソコンから流れ出る黄色い音声、鳴り止まぬチャリーン。そしてディスプレイには茜と同年代のピンクボブ「さきたん」。


「ちょっと、こんな所で何観てるの?スマホでいいでしょ。そういうのは自分の部屋でやりなさいよ」


 茜は、岩鳴や燈源の気配を感じたり、託宣を受けることは出来るが、凪翔のように明確に視ることは出来ない。

 従って、この時茜の視覚にいたのは、持ち出したパソコンで派手な女を観察し、ややもすれば自らを慰撫せんとする思春期終盤の弟、だけであった。


 すぐ隣で、岩鳴は実に愉快そうに笑っていた。


 凪翔の名誉のために言っておくが、当該ライブチャットはアダルトコンテンツではない。この後、誤解を解くのに苦労した凪翔であった。




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