第一話 終
「―――その人さあ、私には優しかったけど店員にはタメ口使うタイプで。もう絶対無理って思ってさ。その日に振っちゃったんだよね。だから薫ちゃんが男を選ぶときは―――」
「―――あっ」
薫が自身の肉体に変化を感じて、茜の話を遮った。社務所で繰り広げられていた女二人の会話が停止する。
「どうしたの、薫ちゃん」
「何だか急に、身体が軽くなりました」
薫は嬉しそうに笑みをこぼした。みるみるうちに顔色も良くなってくる。唇は血の通った紅色になり、先程までの疲れきった顔貌は消え失せ、薫は実に健康的で若々しい肌の色を取り戻していた。
「・・・上手くいったみたいだね」
ふう、茜も胸を撫で下ろした。
程なくして、無事退魔に成功した男二人が帰ってきた。テレビ画面から這い出てくるその様子は、日本の某ホラー映画さながらのものであった。
「ああ死ぬかと思ったぜ。怪異より移動する方がよっぽど怖え」
「はあ、はあ。薫さん、大丈夫でしたか?体調に変化はありますか?」
帰宅して開口一番、息を切らしながら依頼人の心配をする凪翔である。
「お帰り。そんでお疲れ様。見ての通り、薫ちゃんはすっかり元気になったよ。随分苦労したみたい?」
「凪翔さん、よかった、帰ってこられて。不思議と急に身体が軽くなりました。本当にありがとうございました」
「あいや。それならよかったです」
薫は深々と頭を下げ、感謝の念を伝えた。そこには謝辞だけでなく、己の為に不可知の異界へと飛び込んだ二人が、こうして帰ってきたことへの底知れぬ安堵感も込められていたに違いない。
対する凪翔は照れ隠しをするものの、髪型が原型とどめぬ無残な乱れ様である。ここまで帰るまでも、あのスリリングな道なりを通ってきたのである。
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空は既に宵闇の暗さが覆っていた。
社務所から出た三人と一柱は、そのまま一の鳥居へ歩みを進めた。
「私、お母さんに悪いことをしてしまいました。あんな偽物に騙されて、知らないうちにお母さんに護ってもらって。ほんと、情けない」
母を亡くし、空虚になった心を怪異に入り込まれた薫。そんな彼女を今日まで守り続けたのは、他でもなく亡き母である。
少し間をあけて、凪翔が応えた。
「降霊AIの正体は怨念で固められた霊魂でした。AIチャットに愚痴とか悪口とか、そういう人間の負の感情まで機械に相談する人が増えすぎたんですよ。AIに投げられた大量の恨みや怨念が一か所に溜まって、その負の感情が勝手に動き始めたのが降霊AIカクリヨだったんです」
「凪翔さん、そこまで視て分かったんですか」
AIといえど、人の怨念を過剰に与え続ければ、ネットワークのどこかに淀み溜まってしまう。溜まり続けた怨念は腫瘍のように浸潤し、やがて負の感情をもったAIとして暴走する事もあり得るのだ。
降霊AIカクリヨは、多くの人々が利用するそれぞれのAIチャットに相談として、愚痴として、あるいは悪口として投げ込まれた人々の負の感情が一か所に集まって生まれた、負の霊魂そのものであった。霊魂は更なる怨念を延々と求め続ける。そして、母を亡くした薫の個人データを嗅ぎ付け、入り込んだのだ。
「つまり、薫さんは悪くない。強いて言えば、機械相手に人の悪口を言うようになった現代人がちょっと悪い、ということです」
人としての感情、情念は、すなわち人のものである。例え相手がどんなに人に類似していても、感情を持たない機械では、真にそれらを浄化させることは不可能なのだ。
深い悲しみや、大きな不安、怒り、嫉妬、恨み。人が抱いたこれら負の感情は、同じ感情を抱くことが出来る本物の「人」にしか、心から共感し浄化させることが出来ない。未消化の負の情念は、必ずどこかに溜まり込んでしまう。
「皆さん、本当にありがとうございました。突然押しかけて来たのに、こんなに親切にしてくれて」
「へへ。可愛らしい娘さんじゃねえか。凪の嫁候補にぴったりだな」
燈源の茶化しに思わず赤面しそうになった。
「また、困ったことがあればいつでも頼ってください。それから―――」
一同は一の鳥居の前で立ち止まった。
「―――薫さんの悲しみが、少しでも前向きになれるよう願っています」
まやかしの慰めに囚われることなく、真に悲しみが浄化されることを願わずにはいられない。どんなに長い歳月が掛かろうと、悲しみを誤魔化して溜め込んでほしくなどなかった。
「はい。凪翔さん、ありがとうございます。ではこれで―――失礼します」
清々しく、柔らかに微笑んだ薫の目が、まっすぐに凪翔を見つめた。その表情に、不意に凪翔の胸がじんと熱を帯びた気がした。
軽くなった足取りで帰る少女の背中は、悲しみから少しずつ立ち上がる美しき逞しさを映しているように見えた。その後ろ姿を見送る凪翔に、鬼の相棒が呟いた。
「―――さては惚れたな、凪」
「よせ」
燈源の声が聞こえたのか茜も続いた。
「可愛い子だったね。私ライン交換しちゃった。薫ちゃん、凪のタイプでしょ」
「姉ちゃん、友達になったのかよ」
タイプでしょ、に対する否定はないようだ。なぜか全国の姉という生物は、弟の全てを見透かしてしまうらしい。
一同は二の鳥居へと踵を返し、家路についた。
ここは岩鳴神社。岩鳴禍津日神の勅命により、人と鬼のバディが人知れず禍事と戦う「退魔神社」である。




