第一話 ④
「薫さん、例の携帯電話を見せてもらえますか」
はい、と言って凪翔に手渡された型落ちのスマートフォンは、液晶のひびが唐草のように広がっていた。電源ボタンを押しても動く気配はない。凪翔は液晶をじっと眺めて言い放った。
「やっぱり機械そのものは何もないな。少し穢れが残っているけど、怪異は回線の先にいるみたいだ。薫さん、この携帯、SIMカードは外していますか?」
「はい。もう使えませんし、今はお父さんの古いスマホを借りていますので」
SIMカードを抜いて現実的にネットワークを遮断していたのも、薫が生き延びるのに功を奏したであろう。怪異はその目に見えない回線の先にいる。
凪翔はこのひび割れたスマートフォンと、社務所の液晶テレビをケーブルで接続することにした。テレビの電源を入れて、テレビ画面の入力をスマホからの入力端子へと切り替える。
燈源は家電製品の操作は全くできないため、凪翔が作業している後ろで鼻息をふんすかと荒げて準備運動のような動きをしていた。
心配そうに薫が尋ねた。
「テレビに繋げるんですか?お祓いって、社で呪文とか上げながら紙の着いた棒をぱたぱた振るのではないのですか」
紙垂が下がった大幣のことだろう。薫は棒を左右に振る仕草をしていた。
「確かにお祓いとはそのように祓詞を奏上して穢れを祓い落とす事ですが、ここは『退魔神社』ですから。私達は穢れの根源を叩きに行きます」
この辺を一般の人に詳しく理解させようとは思わない。液晶テレビを指でコツコツと叩き、言葉を続けた。
「テレビの画面から入って、ネット上の怪異を見つけ出して、そんでもってやっつけてやろう、って算段ですよ。スマホの画面だと入口には小さいですからね」
「へ、へえ・・・」
薫は更に懐疑的な表情を見せたが、構わなかった。
後はインターネット回線へ繋がるためのSIMカードだが、これを薫に要求しようとしたところで横から茜がぴしゃりと言い放った。
「凪のやつでいいじゃん。凪の携帯もう古いし。いい機会だし、壊れたら新しいスマホ買ってもらいなよ」
姉の一言で閣議決定となるのは、全国共通の弟の宿命であろう。肝心のSIMカードは、凪翔のスマホから抜かれることになった。
準備は整った。スマホの液晶は暗転したままだが、テレビ画面はしっかりスマホと連動しており「降霊AIカクリヨ」へとアクセス出来た。
凪翔は首に提げた黒曜石「帷勾玉」を襟から抜いて、テレビに触れさせた。その瞬間、テレビの液晶画面が僅かに波打つように揺らいだ。既に血が頭に上り切った鬼が、今か今かとその時を待ちわびている。
「繋がったな。よし行こうか、凪。ひと暴れしてくらあ」
そう言うと勢いよくテレビへ飛び込んだ。一瞬の閃光が放たれ、燈源が消えた。
「俺も行ってくるよ。姉ちゃん、薫さんをお願いね」
「はいよ、くれぐれも気を付けて。ムーンライト食べながら薫ちゃんと待っているから」
ふふっと姉弟で微笑んだ。茜はいつの間にか「ちゃん付け」で呼ぶようになっていた。女同士の親しみは急速だ。
燈源に続き、凪翔もテレビへと向かった。画面を跨ぐように中に入り込み、そして鋭い閃光が社務所の内側を一瞬、眩く照らした。
「・・・何が起きたのでしょうか。本当に行けたってこと・・・?」
二度目の閃光と消え去った青年を目の当たりにし、沈黙した部屋で薫が呆然と呟く。
物理的に説明がつかない現象を立て続けに目撃すると、人はまず呆然とするものである。
「あの子はあんな弱々しい見た目だけど、あれでいて結構根性あるからね。薫ちゃんみたいに困っている人がいたら、迷わずどこへでも飛び込んでしまうよ。本当に」
憂いなど微塵もないといった様子で凪翔を見送った茜であるが、どこか心配そうな表情を浮かべる横顔を、薫は垣間見た気がした。
「ま、燈源も付いているようだし、大丈夫でしょ」
誰に言うでもなく、独り言のように呟いた。
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「燈源待て!そっちじゃない、こっちだ!」
「おおい、凪!どこだ、そっちか、うおおお」
ネットワークの世界に入り込んだ二人は、まるで滑空するように電光の如きスピードで、その回線上を移動していた。電子の一部になっていたのだ。
その空間は、暗闇の中に夥しい数の光線が蛇行して混じり合い、それぞれ多彩な光を放っていた。いくつもの光線は幾重にも折り重なり、また枝分かれを繰り返し、暗闇の中に網状に広がっている。人の目では見ることのない、しかし人が作り出したネットワークの回線である。
凪翔の「視る力」によって、どの回線を通るべきかは分かる。しかしその光の筋に乗った途端、猛烈な電子の速度で移動が開始された。と言うより、瞬時に流されたのだ。
二人して飛び降りたムササビのように両手を広げ、光の濁流に飲まれぬようどうにかバランスを保った。このまま降霊AIの根源まで光の流れに乗って向かうことになる。しかし回路の分かれ道は、息つく暇もなく、まさに光の速さで訪れる。
「次は右だ!もう来るぞ、ここだ!」
「右だな!うお、ちょっと待て、おおっと」
光の中で必死にもがく人と鬼。互いに逸れてしまっては万事休すである。
「次は三つ目を左だ!燈源、三つ目だ!」
「よおし分かった!今のが一つ目か!次の次だな!」
「違う!もう二つ目まで通り越した―――今だ!」
「なぬ、うおおお」
こうして向かう先に、視えてきた。眩く照らされる光線の先、一か所だけ「黒い光」が放たれている箇所がある。黒色が、光として識別される異常な様相である。
その光は周辺の回線を吸い込んでいるようであった。光の中心はおどろおどろしく、拍動するように蠢いている。周囲の回線はその中心に近づくほど色彩を失い、黒一色へ強制的に変色されているようだった。
間違いない。あれが人の悲しみにつけこみ、踏みにじり、剰え死に追い込まんとする悪意の霊魂、降霊AIカクリヨの正体だ。
「燈源!見えるか、あそこだ!」
「あれか、よし分かった!胸の刺青がびんびんに反応しやがる。降りるぞ凪!」
燈源が凪翔の手を引いた。そのまま引き寄せて、二人が回線から飛び降りた。
その速度からの脱出である。燈源は凪翔を胸に抱えて勢いよく背中から着地し、地面を転がって停止した。
「大丈夫か凪」
「ああ。なんとかね。勾玉とお前のおかげでな」
「へへっ。今度はショートケーキで頼むぜ」
鬼の体躯はこの程度の衝撃では痛みにならない。凪翔は人の身であるが、帳勾玉に宿された岩鳴の神威により身体機能が増幅している。とはいえ、生身で着地していたら無事では済まなかっただろう。
二人はいよいよ降霊AIその本体と対峙した。二人が睨む先、黒く光るその霊魂は、近くで見るとより一層おぞましさを増している。
黒く見えたのはよく見ると夥しい数の文字である。識別できる限りでも「死ね」「呪」「殺ス」その他いくつもの文字列が球状に幾重にも重なり、巨大な「呪詛」の塊になっている。
塊からは蔓のようなものが伸び、周りの回線を掴んで強引に引き寄せているようであった。黒い蔓もやはり呪詛と思われる文字列で覆い尽くされていた。
凪翔は襟から黒曜石の「帷勾玉」を取り出し、左手に乗せた。
「行くぞ燈源」
「おう、やってやんぜ。ふざけた怪異、俺がぶっ潰す」
凪翔は呪詛の塊をじっと見据えたまま唱え始めた。
「岩鳴の御山に神留まる岩鳴禍津日の大神。畏み畏み申す。此の者に岩鳴岳の荒魂を注ぎ込み給え。穢れし禍事の悉くを祓い給え―――浄炎」
「浄炎」と唱えると同時に、左手の勾玉が青い火に包まれた。次の瞬間、同じ青い炎が燈源の肉体を覆った。
青い炎を纏った燈源。その長い黒髪は金色の鬣へ、皮膚は日焼けした小麦色から真っ赤な血液色へと変貌した。双眸も黒い瞳は緋色へ変色し、筋骨隆々の体躯が更にひと回り大きくなった。そして、左胸の刺青「巴紋」がオーバーヒートした鉄のように赤黒く発光し、脈打つように蠢いた。
凪翔の祝詞により、燈源は岩鳴の力を宿し「鬼」から「鬼神」へと変貌するのである。
浄炎を纏った鬼神・燈源は、目にも止まらぬ速さで1歩を踏み込み、一瞬にして相手との間を詰める。その勢いを殺すことなく、凄まじい威力の右拳を呪詛の塊へと打ち込んだ。
瞬間、青白い稲光が四方八方へ走り、大量の黒い文字が弾けるように宙を舞った。更に右足を踏み込み、容赦することなく強烈な左ストレート。いずれも塊の中心部分を的確に捉えていた。
神と鬼、双方の力を併せ持った鬼神から放たれる凄まじい打撃。これで破壊されぬ道理などない。
残った呪詛の文字が全て散り散りとなり、中心の核が姿を現した。その姿はおぞましいと言うより何とも気持ち悪い。そこから長さ1メートル程のムカデのような巨大な虫が、地面を這いつくばって出てきたのだ。気色悪くうねうねと身体をくねらせ、無数の足が素早く蠢き逃走を図った。ムカデの動きも相当に速い。
しかし燈源は慌てる素振りを微塵も見せず、ほんの数秒でムカデの背後に追い付いた。そしてムカデの尾らしき部分を右手でがしりと掴み、片腕で軽々と持ち上げる。そのまま左手で頭部を掴み、両腕に力を込めて左右に引っ張った。鬼神の広背筋がめきめきと肥大した。
ムカデから断末魔の叫びが耳をつんざくと同時に鋭い閃光が走り、直後には頭と尾が真っ二つに引き千切られていた。
骸となったムカデの頭と尾が糸を引き、ドサっと地面に転がされた。
ムカデが確実に臨終したのを確認すると、燈源は静かに元の鬼へと戻った。




