第一話 ②
岩鳴神社の北方向には岩鳴岳という険しい山岳がある。その山は太古の昔、マグマの激しい噴出により形成された、現在も指定される活火山である。中世の時代においても噴火の記録が残っており、今も尚、活発な噴気活動があるとされ常時観測火山にも指定されている。
いつからか、この恐ろしき火山「岩鳴岳」を霊山として祭り上げるために創建されたのが岩鳴神社である。
すなわち岩鳴禍津日神とは字の如し、古来より岩鳴岳の火山噴火の禍々しさを恐れおののいた民衆が、御山の神として古の時代より災いを鎮め給えと崇め奉られてきた、畏れ多き神なのである。
その畏れ多き火山の神が今、苛立ちになっている。努めて平静を保っているようだが、後頭部に束ねた白髪の毛先が僅かに逆立っていた。噴火口地下のマグマだまりがじわりじわりと沸き立つように、静かな熱を籠らせているのが凪翔にも伝わった。
原因は何かというと、酒である。神饌の酒を切らせているのだ。コンビニから帰った凪翔の持ち物にアルコール類が無いのを見るや、少々怒りに触れてしまったようだった。
「岩鳴さま、一升酒なんて売っていませんでしたし、何より私は未成年なので買えませんと申したではありませんか」
「よいか。わしはただ酒に酔いたいのではない。神威を保つにはどうしても酒が必要なのだ。日の本では八百万の常識よ。しかしわしは山を離れるなどできぬ。故にお主らが早急にだな――」
ちなみに、全く離れられないわけではない。以前、高天原へ温泉旅行に行っているのを凪翔は知っていた。
「その八百万の一柱ともあろうお方が、日本の青少年に法を犯せと言うのですか。父にお願いして持って来てもらいますから、少し待っていて下さい。燈源――」
友人に援護を求めようとしたが、当の鬼は我関せずと言った様子で実に美味しそうにツインシューを頬張っていた。
「―――むっ」
不意に、岩鳴が拝殿の方向へ視線を向けた。その一挙動で急激に静まり、空気がしんと張り詰めたのが分かる。視線を逸らさずに言う。
「―――どうやら禍事のようだの。話を聞いてきてくれ。くれぐれも油断するでないぞ」
「うちらのお客が来ちまったか」
燈源は残りのシュークリームを口の中に詰めた。
「・・・分かりました」
凪翔は息をのんで立ち上がった。「油断するな」という言葉の意味は、すなわち岩鳴のゴーサインである。
拝殿へ向かうと、賽銭箱の前に一人の若い女性がいた。こちらには気付かず、黙祷するように両手を合わせ、拝殿に向き合っていた。
「あの、すみません。もしかして何か変わったお困り事、とかではありませんか」
背後から突然声をかけられて、女性は少し驚いた様子で凪翔に振り向いた。いかにも怪訝な表情を向けているその女性は、身長は低め、長い黒髪を後ろで束ねている。顔つきはどこか幼さが残る十代くらいの人だ。女子高生だろうか。
怪しまれないように言葉を続ける。
「と、突然すみません。私は岩鳴神社の神主をしております、夏川凪翔と申します。何か怪異にまつわるお困りごとがあっての御参拝ではないかと思って、声を掛けました」
「・・・え、すごい、本当にわかるんですね!ここがお祓いに特化した神社だとグーグルマップの口コミに書いてあって、それでその、参拝に来てみたんですが・・・。実際、お祓いってやっているんですか?」
凪翔が神社の関係者であると分かって少し安心したようだ。どうやら参拝に訪れた理由も、厄払いが目的のようだ。
岩鳴神社は、表向きは「岩鳴岳の荒ぶる神を祭って活火山を鎮める神社」である。しかしその実、火山さえも司る絶大な神威があることから、大抵の禍事、穢れ、災厄など簡単に薙ぎ払ってしまうだけの力があると信仰されてきた。この活火山の荒魂を逆手に取るように、厄払いに特化した「退魔神社」として伝え広がった歴史があったのだ。
現代においても怪異は根を絶やすことはなく、こうして「怪異に巻き込まれている人」や「お祓い希望の人」などがしばしば訪れる。
「そういった怪奇な相談を受け付けているのは事実です。ですが祓えるかどうかは話を聞いてみないと何とも。取り敢えず、社務所でお話を伺いしますのでこちらへ――」
「は、はい・・・」
時刻は夕方5時を回ろうとしていた。10月の茜色に照らされた社から、拝殿の右側にある社務所へと、不安そうな少女を案内した。
社務所の玄関口は簡素な勝手口の様な造りだ。軽い一枚扉を開けると、中では凪翔の四つ上の姉、夏川茜がテレビを観ながら来客用のソファーに浅く腰かけて寛いでいた。
「おや、お客さん?それとも彼女?」
こんな姿を晒しておきながら特に悪びれる様子もなく、座ったまま頭だけを動かして何とも無礼なことを言う。
「やめてくれ、怪異相談のお客様だよ。そこどいて」
「もう夕方だってのに大変だねえうちの神職は。私は女で本当によかったよ」
よいしょ、と言って立ち上がり、どうぞと掌を返して少女にソファーを勧めた。茜はそのまま給湯室へ向かったため、きっとお茶でも出してくれるのだろう。
「――失礼します」
唐突な神社らしからぬ非礼発言を受けて、戸惑いながら少女は勧められたソファーに腰を下ろした。
凪翔は少女と向かい合うようにして、長方形のガラステーブルをはさんだ対面の2人掛けソファーに腰かけた。気まずくなった空気を払うように口を開く。
「・・・失礼致しました。あれはうちの姉です。無礼なところをお見せしました。すみません」
「い、いえ。大丈夫です」
ソファーは2人掛けであるのに凪翔は右端に座り、左側に何故か1人分のスペースを空けていた。少女は少し不思議に思ったが、それよりすぐ気になったことを投げ掛けた。
「どうして分かったんですか?私に、怪異っていうんですか、そういうので困ってるって。神主さんって人の心が読めるんですか」
事前の連絡など一切しておらず、口コミを見て取り敢えず参拝に来ただけに過ぎない。ところが拝殿前にいただけで事情を言い当てられた上、こうして社務所へ案内された。しかも相手はおよそ自分と年齢差のない青年。何者なのかと思わずにいられない。
「ああ、別に、私が分かったわけではありません。何というか、ううん―――」
御祭神のお告げです、とはなかなか言いにくい。尤も、御託宣といった神聖なものではなく、物理的にただ聞いてこいと告げられただけなのだが。
拝殿で投げ込まれる祈願は、どういう原理か全て岩鳴の耳には届いているのだ。その中で怪異にまつわる内容のものがあると、凪翔がこうして駆り出される。ここを一般の人に理解できるように、端的に説明するのはなかなか難しい。
何と応えるか逡巡して「まあ、そんな感じです」とだけ言って、にこっと微笑んでおくことにした。
明るい場所で改めて見ると、白い肌に艶やかな黒髪がよく似合う可愛らしい少女だった。巫女装束がよく似合いそうだが、どこか疲れた様相で顔色はあまりよくない。
少女は自らを「早川薫」と名乗った。市内の私立高校二年生という、凪翔の二歳年下の女子高生だ。
茜が丸盆を持って戻ってきて、コトン、とガラステーブルに湯呑を二つ並べた。「ごゆっくり」と言い残し客間を後にする背中を見送り、凪翔から口を開く。
「早速ですが早川さん。何があったのか、お話を聞かせてもらえますか」
薫はどこから話そうか逡巡して、口を開いた。




