第四話 ⑤
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「どうだった?私の分身術」
所変わって今現在、凪翔達は紗奈のアパートの程近くにある地元の焼き鳥居酒屋に訪れていた。昔ながらの暖簾を掛けた哀愁漂う店内で、長方形のテーブルを3人で囲っていた。
焼き場から炭火で焼かれる地鶏の香りが席まで漂ってくる。
紗奈の目の前にはビールがなみなみ注がれた大ジョッキがひとつ。凪翔の前にはバヤリスのオレンジジュースが1瓶。燈源も人目を気にせず日本酒の入った徳利をお猪口にも注がずそのまま煽っていた。
一般の人には徳利が空中に浮いているように見えるだろうが、紗奈が作り出した紫色の鳥が店内を飛び回っている限り他の客には見られないと言う。
「いや、正直すぐに式だとは気付きませんでしたけど、どうしてわざわざあんなことしたんですか!ていうか、最初からこうやって本人が出てくればいいでしょう、普通に!」
「そりゃあ初めて会う男の人だもん、警戒はするよね。それに、始めましての会話って面倒じゃん?しかも外は寒いしさ」
「ただ出不精なだけじゃねえか。何ならさっきまで寝てただろ。こちとら呼ばれて来てんだぞ」
紗奈は大ジョッキを勢いよく傾けた。この一回で中身が半分以上消えていった。北国の人は酒豪が多いのだろうか。
「凪翔君が私の『式』について知りたがっていたから、実際に見せただけよ。でも正直驚いた。あの催淫術で私の式に襲い掛からなかった男の人はいないよ。噂通りの真面目ちゃんなんだね。理性が強い!」
「お前の言ってたテストってそれかよ」
「や、やめてくださいよ本当!いきなり何てことするんですか」
今の紗奈は正真正銘、人の身である。式を出しているうちは燈源も視えるらしい。
警戒心の強さ故に分身を迎えに寄越したのは、百歩譲ってまだ分からないでもない。しかしなぜ催淫術など被る必要があったのか。
「いやね、男って最初はどこまで信用していいか分からないじゃん?だから始めのうちは式にテストさせて、下心が無いってことを確認してから会うようにしてるの。恥じらいの乙女心だよ」
大ジョッキを分速で空けておいて何が恥じらいか分からないが、要するに初対面の人と打ち解けるまでの気が抜けない過程を分身に丸投げし、剰え正体をさらす前に下心がないか術によるチェックを施したというわけだ。
隣に座る燈源もいつの間にか3本目の徳利を手に持っていた。
「んで、これまででそのテストに合格した男ってのが・・・?」
「凪翔君だけ!」
それはそうだろう。あれは確かに強力な術だった。凪翔とて、あそこで燈源が頬を叩かなければどうなっていたか分からない。そもそも思春期の青年に下心が微塵も無い訳はない。
「お前、男と付き合ったことねえだろ?」
「なによ、余計なお世話ね」
「あのなあ、元々人間ってのは欲望で生きてんだ。あんたのやっていることはテストでも何でも無え。ただ人を弄んでいるだけだ―――」
「ぷはああ!大将、ビールおかわり!」
「―――聞いちゃいねえ」
先程までの近寄りがたいまでの美しさはどこへやら、今目の前にいるのは頬を赤らめる酔いどれ女である。そうは言ってもやはり顔立ちは端正であるが、どちらかと言えば今の紗奈の方が馴染みやすい人間味があるような気がした。
「いいんですか?こんな所で呑気にお酒飲んでて。今こうしている間にも怪異は人を襲うかも知れませんよ」
「大丈夫、今夜はない。ここが占術の本領よ。陰陽道は本来、災厄が起きる場所と時間を占う為のもの・・・」
そう言うと紗奈はまたビールをぐびぐびと喉に流し、突然テーブルにジョッキをゴトンと叩き付けた。
「そりゃあさ、私一人で退魔できたらそりゃ苦労しないわよ!元々一人が好きだしさ。でも私は戦いには向かない占術が専門なの!せんじゅつ!祓戸神盟に泣きつくなんて真似、そりゃ誰だってしたくないわ!あの時の爺さん達の見下した顔、まじむかつく!」
酒豪の陰陽師が声を荒げ始めた。酔っ払いは何故こうも唐突に荒ぶるのだろうか。酒を飲まない凪翔には理解できない。
どういう理屈か分からないが、陰陽道に基づく占いによれば今日のうちはひとまず大丈夫らしい。
「これだけの式が使えるなら、全く歯が立たないとも思えませんけどね」
「でもよ、怪異が催淫術でドスケベになったら、それはそれで引くけどな」
「いい?陰陽師は元々、式を使って戦う人じゃないの。怪異と戦うより先に、予め占って怪異に遭わないようにするのが本来の陰陽道よ」
古の陰陽師たちはこの占術で地位を築いてきたのだ。遷都先や寺院の創建場所の決定。式盤から導く、訪れる災厄の予測と対策。非科学的ではあるが、それでも当時の社会から強固な信頼を授かった由縁深き者たちである。その力は現代においても、決して荒唐無稽と片付けられるものではない。
「でも護身術として、ああやってそれなりの式をみんな使えるようにはしてんだけどさ」
紗奈の視線は天井の梁で羽を休める紫色の鳥に向いていた。よく見るとあれは雀だろうか。
「弱っちい怪異ならあれだけで倒せることもあるよ。相手の属性を見極めればそれなりの怪異も倒せる。『木』とか『火』とか『土』とかね。でも今回のやつは思っていたより厄介だったわ」
はあ、と溜め息をついた。
「今日は遠くから来て疲れただろうから、明日その現場に案内するね。取り敢えず今夜は―――」
大ジョッキが顔の前に掲げられた。
「―――飲もう!」
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その海岸は、一面に巨大な消波ブロックが広範囲に敷き詰められていた。護岸された歩道の足元から海に向かって無造作に落とし込まれた無機質な消波ブロックは1つ1つがおよそ4メートルを超えているだろうか。巨大なコンクリートに轟々と波が打ち付ける様子は、近くで見ると想像以上に迫力がある。
それぞれのブロックから丸太のように張り出された4本の足が底の見えない暗黒の隙間を形成し、見ているだけで足がすくむ。
自然の海辺というより、冷たい人工的な海岸線といった印象であった。
「怪異が現れるのは今夜、と言うより明日の早朝か。『卯』の刻に、私の家から『壬』の方角に出てる」
「どういうこと?」
「明日の朝6時頃に、北北西の方角。つまりここにそいつは現れるってこと」
「ほおう、さすが占術の陰陽師だな。本当に当たるのか?それ」
「失礼ね。式を使える占い師なんて実際見たことある?チュン吉を出してるだけで私の力は充分信用されていいと思うけど」
あの紫雀は「チュン吉」と名付けられているらしい。何だか力の抜ける名前。
凪翔は白波が打ち付けては砕ける冷たい消波ブロックをじっと見つめた。荒々しい海水に埋もれるコンクリートの表面が激しく揺れる波間に合わせて水没と露出を繰り返す、その先。
複雑に折り重なった消波ブロックの隙間から、弱々しい白い光がほんの僅かに視えた。
それは人の目には映らぬ、実体のない光であった。




