第四話 ③
最寄り駅から東京駅までそれなりに時間を要したが、更に北陸新幹線「はくたか」に乗り換え約2時間。目的地の「糸魚川」に到着する頃には正午になっていた。
糸魚川駅に降りるとホームの窓から外の景色が一望できた。鉛色の雲から雪の粒がはさはさと降り注ぎ、眼下の建物を少しずつ白く染めていた。その先にある日本海は沖合で荒々しく白波を立てている。
快晴なら旅人を温かく歓迎する雄大な眺望であろうが、今ばかりは凪翔の心境を映すような不穏さを感じさせた。
「やっと着いたなあ。全身が凝っちまったよ。俺が本気出しゃ、新幹線より早く着いたのによ」
凪翔は周囲を一瞥して答えた。以外にも人通りはそれなりに多いのだ。
「絶対に嫌だ。もう二度とあんな目に遭いたくないし、下手したら今度こそ本当に死んじゃう」
ある時から燈源の背中に乗って瞬時に移動することは二度としないと誓っている。その時は地上から建物7階まで跳躍した時だったか。直後の記憶はあまり覚えていないが、全身に電流が走ったようなしびれる感触は未だに忘れていない。
地元の退魔師とは改札口で落ち合うことになっていた。祓戸神盟を経由した大本の依頼主である。
「なあ凪、新潟で厄払いする奴ってどんな奴だと思う?御年90歳の爺さまか、婆さまとかじゃねえかな?」
「会う前から失礼なこと言うなよ。んーでもまあ、田舎の退魔師だからなあ。長年地域に貢献した、地元の仙人、みたいな感じかな?」
「まあ間違いなく皺だらけの年寄りだろうな。でっかい数珠を首に巻いて、蝋燭が並んだ神棚の前で『ハアアア!』とか『悪霊退散っ!』とか騒いで急にぶっ倒れる、みたいな」
「なんかそれ呪いの儀式みたいじゃないか」
「田舎伝統の厄払いの儀式だ」
「馬鹿にしすぎだろ」
改札を出ると、そこにはまだそれと思しき人物はいなかった。それと思しき人物、というのは完全にこういった先入観によるものである。無意識に首にでかい数珠を巻いた皺だらけの老人をビジュアルの基準に探していたのだろう。
「あのー、すみません」
だから突然背後から声を掛けられた時、まさかこの若い女がそれだとは思わなかった。
「あなた達が岩鳴神社の退魔ですね」
思わず呆気にとられてしまった。何しろその声の主は息を呑むほどに美しいのだ。
透き通るような真っ白な肌、それを引き立てる艶やかな黒髪は上品なショートカットで前髪をかき分け、目元はくっきりと端正な目尻。美しさの中にクールで知的な冷たさをも感じさせる、いわゆる「男が迂闊に声を掛けられない美しさ」の代表例である。
「あ、は、はいい!」
凪翔は裏返った声で返事をしてしまった。
「お待ちしていましたよ。遠くからわざわざありがとう。話には聞いていたけど、神主にしては本当に若いのね」
かくいうこの女も20代後半だろうか。祓戸神盟に所属する退魔師にしてはどう考えても若い。いや、どこかの神社の娘だろうか。凪翔が考えを巡らせていると、後ろにいた燈源が割って入ってきた。
「おい、今、あなた『達』って言ったな。俺が視えているのか?」
「もちろん。マッチョな鬼さん、しっかり視えてるよ」
思いの他はっきりと視えているようだ。まさかこの娘が、「視る力」については宮司の正広をも凌駕するというのだろうか。
女は自らを「土御門沙奈」と名乗った。正真正銘、27歳の若き退魔師である。
紗奈は凪翔と燈源を自身の車へと案内した。
歩くと彼女のエレガントなライトグレイのロングコートが柔らかに揺れた。冬のファッションでもスタイルの良さが際立つ、思わず見惚れてしまいそうな所作である。
凪翔は、紗奈の半歩後ろを一緒に歩く自分がまるで引率される幼い子供のように思えてきてしまった。過疎化した海街に似合わぬ佇まい、洗練された先進的ファッション。凪翔が羽織る3シーズン目を迎えたコロンビアの防風アウターが酷く不釣り合いに感じて仕方がない。燈源に至っては上半身裸に白袴である。
北口(ここでは日本海口なんて洒落た名前がついているみたいだ)を出て海岸方向へ直進すること数分、日本海を一望できる展望台とその駐車場へ辿り着いた。そこに停めてあったSUVに紗奈が「どうぞ」と促す。
それにしても風が強い。少し歩いただけで凪翔の髪型はすっかり乱れ、車に乗り込んだ時には寝起きのようなもっさりした形状になっていた。
しかし紗奈は2人を後部座席へ誘導した後でも髪型は一切乱れておらず、悠々と運転席に乗り込んだ。
「寒くない?暖房これくらいでいいかな?」
紗奈のささやかな気遣いさえ恐縮してしまう。美女の車にやたらと緊張してしまう自分がなんとも情けない。「大丈夫です、ありがとうございます」と淀みなく応えるのが精いっぱいであった。
紗奈のメタリックなSUVが滑るように駐車場から走り出した。
「家までは歩いて行ける距離なんだけど、ちょっと歩くだけで今みたくすぐ凍えちゃうから。この時期はみんな車移動が基本なの」
確かに、5分も歩いただけで頭の芯まで冷え込んだ気がする。気温が低いだけではない、日本海側特有の冷気を纏った強風にさらされたためである。一方、隣に座る燈源は真冬でも羽織一枚重ねない。
ところで紗奈は今「家」と言った。
「・・・家に、行くんですか?」
凪翔が尋ねると紗奈は「ふふっ」と笑った。
「そっか、都会の人はこういう時、おしゃれなカフェとか小料理屋でお話するのが普通なのかな。でもここら辺にそういうゆっくり話せるお店なんてないし、まずは自宅に案内するのが通例ね」
凪翔の住まう岩鳴岳の麓も決して都会とは言えないが、外部の人間を早々に自宅に上げる習慣はない。岩鳴岳周辺もそれなりの観光地として認識されているため、様々な飲食店が建ち並んでいるのだ。
この辺りは車窓から見る限り、飲食店は地元の定食屋くらいだろうか。それも営業しているのかよく分からない、古ぼけた暖簾や看板ばかりである。このような地域では客人をどこか料理店に案内するのではなく、自宅でもてなすことが多いのかも知れない。
「一旦私の家で今回の怪異について説明させて。狭い家だけどお茶くらいあるから、文句言わないでね」
紗奈がルームミラー越しに凪翔に笑い掛けた。やましい気持ちなど微塵もないが、この美女の自宅に上がると分かった瞬間のこの緊張感は何だろうか。
いや、まず、こんなにも美しい娘を育んだ家とは一体どんなところだろうか。凪翔の中で妙な想像が膨らんだ。松の木に囲まれた冠木門。宮造りの建築様式に大きく曲線を描く瓦屋根。テニスコートサイズの庭園に小池と錦鯉。
そんな家で紗奈の両親は奉公人と共に作法を尽くし出迎えるのではないだろうか。格式高い退魔神社の神主様、ようこそいらっしゃいました、などと言われたらどうしよう。その場合、こちらも正式な作法で挨拶せねばならないのか。
まずい、こういった場合の礼儀も作法も何一つ習ったことがない。
そんなことを考えていると、車は意外なことに普通のアパートの駐車場へと入った。よくある2階建ての共同住宅である。
「着いたよ。長旅ご苦労様。取り敢えずここで一息ついてって」
少し拍子抜けした凪翔に、また違った緊張感が走った。どうみても単身世帯用のアパートである。いくら相手が凪翔のようなか細い歳下とはいえ、女性一人暮らしの部屋に見知らぬ男をこんなにも簡単に上げるだろうか。無防備すぎやしないか。
凪翔の思春期な緊張が、少しずつ違和感へと塗り替えられていった。




