第四話 ②
季節は間もなく12月に突入する。寒波到来の知らせは岩鳴神社周囲の「鎮守の森」が教えてくれる。木々はいつの間にか深緑を落とし、木肌色の枝先が寒空を仰いでいた。
「凪、ちょっといいか」
社務所から戻った凪翔を自宅のリビングで呼び止めたのは父、正広だった。
「なに?」
正広は先日まで、祓戸神盟の出張に3日間ほど赴いていた。その上、正広の神妙な面持ちを見れば、おおよそ内容の察しはつく。嫌な予感。
「祓戸神盟から少々厄介な案件が紹介された」
案の定、予感は的中した。
祓戸神盟。
日本中の退魔・厄払いに特化した神社や寺で形成される連盟組織であり、国民の生命や国土をあらゆる怪異から防衛する裏の国家機関である。
それぞれの神社仏閣は各地域を怪異や妖魔から守護する中で、自己完結できない退魔案件や門外漢の禍事に遭遇すれば、連盟を組む他の神社仏閣に応援を求めたり、紹介し合う相互扶助のシステムが構築されている。日本中の退魔師にもそれぞれ異なる祓い方があり、対象の怪異によって得手不得手があるのだ。
ちなみに、祓戸神盟に所属する各神社仏閣はその中枢幹部の指揮のもと、それぞれの地域から相互に日本列島全体に巨大な結界を張り続けている。ここまで海外諸国と交易を重ねながらも、キリスト教の悪魔やインドの悪霊などが日本に侵入しないのはこのためである。
さておき、その祓戸神盟を経由して紹介された退魔案件ということは、どこかの神社が匙を投げた強大な怪異である可能性が高い。よくある身近な退魔とは全く異なる重圧な緊張感がのしかかった。
正広はその厄介な案件とやらを凪翔に告げた。
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翌朝、凪翔はスーツケースを引きずりながら自宅を後にした。何泊するか予測ができないため、どうにも荷物が多くなってしまう。
自宅は岩鳴神社の一の鳥居と二の鳥居を結ぶ石階段の中腹にあるため、大きなキャリーケースとは相性が悪い。
階段を下りきると、正広は既に一の鳥居の前に車を停めて待っていた。息子を遠方に送り出すのだから、荷物運びくらい手伝ってくれてもいいものだが。
凪翔はハッチバックを開けてスーツケースを押し込み、助手席に乗り込んだ。後部座席には当然、燈源も一緒である。正広が車を走らせ、自宅からの最寄り駅へ向かった。
「・・・怖いか?」正広が呟いた。
「そりゃあ、怖くないと言ったら噓になる。人が死んでるんだもん」
「確かに今回の案件は凪には荷が重いだろう。普通、祓戸神盟から紹介されるような案件を未成年1人に任せるなんて真似、他の神社じゃまずやらない」
程なくして最寄り駅に到着した。車は小さな駅前ロータリーに進入し、路肩で停止した。ギギッとサイドブレーキレバーを引いて、正広は凪翔に向き直った。
乾いた朝の冷気がフロントガラスを僅かに曇らせていた。
「お前の『視る力』は確かに凄まじい。その帳勾玉を扱えるのもお前だけだし、『神の目』を持つお前はとにかく妖に狙われやすいから燈源と一緒にいた方がいい。だから結局、いつも凪にばかり退魔の重荷を背負わせてしまっているな」
正広は時として厳めしい宮司の顔から息子を慈しむ父の顔を見せることがある。スキンヘッドに鋭い目尻であるが、眉間の皺がやんわりほぐれていた。
「だが凪翔、そうは言っても俺もお前の親父だ。正直、危険な現場にお前を送り込みたくはない。お前はいつも平気な顔して退魔に行ってしまうが、少しは親のことも頼ってくれ。怖い時は怖いと、素直に言っていい」
神威の効いた目を持とうとも、帳勾玉との相性がよかろうとも、正広にとって凪翔は腐っても天下唯一の尊い息子である。
「いいか。祓戸神盟からの依頼は確かに国を守るための依頼だ。建前上、断ることは出来ない。でもな、これだけは忘れるな。それでもやばいと思ったら―――」
「―――迷わず逃げろ、だろ?」
凪翔は耳に胼胝ができるほど言われ続けたことを言ってやった。父の心境を少しは理解しているつもりだ。国からの依頼だからと言えど責任を背負い過ぎず、自らの生命を犠牲にするようなことは絶対にしない。
「・・・まったく、本当に分かってんだかな。とにかく、一人で心細いと思うが―――」
「―――一人じゃないよ」
凪翔は今朝に母の由美から貰った握り飯を後部座席に放り投げた。小さく弧を描いたおにぎりがパシッと空中で停止し、包んでいた透明のラップがひとりでにめくれてむしゃむしゃと3口ほどで空間に消えていった。
「凪の母ちゃんの握り飯は塩加減が絶妙だな。出来れば甘味も貰いたい。なあ、旦那。聞こえてんだろ?」
姿は見えずとも声は届いている。正広は「デザートなんてねえよ」と言って微笑んだ。
「燈源・・・凪を頼む」
「がってん承知。つっても、俺だって凪がいねえと何も出来ねえけどな。精々、何でも壊せるってだけだ」
それだけでも充分過ぎる力だと思われるが、燈源とて凪翔の「浄炎」がなくては怪異を物理的に破壊は出来ても、鎮め清めることは出来ない。凪翔と燈源は互いに必要不可欠な存在なのだ。
凪翔は車を降り、父に向き直った。
「それじゃあ行ってくるよ。大丈夫、やばいと思ったら逃げるから。父さんも、結界の管理頑張って」
ハッチバックからスーツケースを取り出し、凪翔は助手席の窓からもう一度だけ正広に声を掛けた。
「・・・じゃあさ、少し父さんに頼りたいことがあるんだけどいいかな?」
「おっ、なんだ?」
「新潟にいる間の食費をもう少しくれないかな?せっかくだし美味いもの食べたいし」
凪翔は至って純粋に父を頼ったのだ。交通費は祓戸神盟から支給されているが、せっかくなら現地の郷土料理も堪能したい。少しくらいは頑張った自分への褒美があってもいいだろう。
「・・・お母さんに相談してくれ。じゃあ」
ところが正広はそのままウインドウを閉め、ブオオンと走り去ってしまった。




