第三話 ①
今年の神在月は11月18日から7日間である。
この期間中は日本中の神々が出雲に集まるとされ、岩鳴も例に漏れず岩鳴神社から姿を消す1週間である。
さて、出雲大社に集う神々は、人の世に良縁を紡ぐためにこの地へ集い神議りするとされるが、岩鳴の御利益に縁結びなどない。どちらかと言えば悪縁を「切り離す」方向に働く神徳である。それも人と人との縁ではなく、人と怪異の縁だ。
本当に出雲まで赴く必要があるのか疑問に思ってしまうが、毎年この時期には姿をくらませてしまうのだ。
秋も深まり冬の気配が覗き始めた今日この頃、社務所の居間に紙ぺら1枚の粗末な置手紙が残されていた。最初に手に取ったのは凪翔である。
『地祇として 本年も出雲の神在祭へ赴く也 祭事の間は岩鳴岳の精霊頼られたし 禍事にあつては 燈源その勾玉の神威を以つて 勅命待たず退魔急ぐべし』
毎年のことながら、今年も何も言わずにふらりといなくなってしまった。今日から1週間、岩鳴神社に神はいない。いるのは今しがた縁側で寝そべりポテトチップスを頬張る鬼だけである。
「燈源、岩鳴さま今日から出雲大社へ行くって聞いてた?あと、畳に食べかすをこぼさないでくれ」
「んや、知らねえ。なんだジジイ、縁結びなんて神徳ありゃしねえのに。まーた出雲までずらかりやがったか」
大方、神議りに出席するという口実で一人羽を伸ばしているのだろう。実際にどこで何をしているのか、分かったものではない。
父の正広は祓戸神盟の出張で3日は帰らない。茜は本業が3日連続で日勤だと言っていた。母は夏川家の「そういう素質」がないため神職関係の業務は関与せず、そもそも社務所に来ることはない。
つまり今日から3日間、神社の関係者は凪翔と燈源しかいない。
こうなったら、やることは1つである。凪翔はこみ上げてくる笑いを堪えきれず、にんまりと口角を緩ませた。
「燈源・・・」
「お・・・やるか!」
2人の意見は完全一致していた。
凪翔は正広の車に初心者マークを貼り付け、燈源と共に街中へ繰り出した。車を走らせ数十分、訪れたのは安値を売りにした大型スーパーである。
凪翔が押し歩くショッピングカートに大量のスナック菓子が放り込まれる。ポテトチップス、チョコレート類、塩味と甘味はおよそ5対5の割合である。飲み物は2Lのコーラボトル3本が買い物かごに詰み込まれた。
「酒が欲しいな、酒が」
燈源が楽しそうに言ってきた。凪翔は周囲に他人がいないことを確認した。
「酒は買えないなあ。親父の缶ビールなら何本かあるかも」
「待てよ、この前神饌の酒が奉納されてたな。せっかくジジイも居ねえし、飲んじまおうかな」
「え、さすがに神酒に手を出したらまずいんじゃないか?中身が減ってるの気付かれたらどうするよ」
「なあに、水でも入れておけば誰にもばれねえよ」
がははははと燈源が豪快に笑った。さすがに岩鳴にばれると思ったが、1週間もあれば上手く誤魔化せるだろうと凪翔も深くは考えなかった。一時的な高揚感とは恐ろしいものである。
「なあ燈源、せっかくだし今年は社務所で鍋パもやってみないか?」
「なべぱ?ああ、鍋を囲うやつか!いいなあ、やろうぜやろうぜ!」
凪翔の思い付きの一言で、本日の目録に鍋パーティーが追加された。
2人はすっかり童心になっていた。童心のまま金銭を持ち歩くと碌なことにならない。
こうして二人は意気揚々と豚肉や白菜などの生鮮食品を更に追加していった。会計はなんと7,500円まで登ってしまった。
再び車を走らせ神社に戻る。凪翔は母に「今日は夕飯いない!」とだけラインを送っておいた。
岩鳴神社の石段を上って二の鳥居をくぐると、夕陽に染まる境内に参拝客が疎らにいた。境内でこんな大量の菓子が入った買い物袋を持ち歩くのは気が引けるが致し方ない。なるべく目立たぬようにそそくさと社務所へ急いだ。
社務所へは玄関ではなく裏手の居間に面する縁側から入る。時刻は夕刻。美しい茜色の夕陽が居間に差し込んでいた。縁側に吹いた乾いた風が、秋の澄み切った空気を居間に運び込む。
「よっしゃ、早速始めようか!」
燈源の一声で開会が宣言された。毎年恒例、凪翔と燈源の神域パーティーである。
まずは鍋から着手した。凪翔は社務所の給湯室から適当なステンレス製の両手鍋を引っ張り出し、適量の水をいれて居間に戻った。
座卓の上に鍋敷き代わりの布を重ね、その上に水の入った鍋を置く。
「よし、燈源頼んだ」
「難しいんだよなあ、火加減が」
燈源は両手で鍋の側面に触れ、微調整した念を込めた。すると、にわかに湯気が立ち、少しずつ熱気のこもった水泡が鍋底に形成され始めた。
燈源はかつて岩鳴岳の噴火と共に熱烈の溶岩から生まれたマグマの鬼である。この程度の火熱を生み出すなど造作もない。しかし、岩盤をも溶かす地底の熱を調理用に応用するには加減が難しいのだ。下手をすれば、あっという間に鍋ごと溶融してしまう。
燈源の両手が添えられたまま、凪翔は鍋に豚肉を投入した。購入した出しの味は塩ちゃんこ。顆粒タイプの塩ちゃんこは豚肉が踊る湯の中で即座に溶けだし、居間に香ばしい出しの香りが漂った。
野菜はその場でぼりぼりと手で千切る。給湯室で水洗いした白菜と長ネギ。ちなみに凪翔はきのこ類を好かない。不揃いの白菜と粗い断面を成した長ネギを、これまたぽんぽんと鍋に投入した。中身はすでにふつふつと煮え立っている。最後に豆腐と油揚げを投入して蓋を閉じた。鍋の具材などこれだけあれば十分楽しめる。
「燈源熱くないの?」
「よく聞くよなそれ。自分の熱で火傷すると思うか?」
マグマの鬼にとってこの程度の熱など熱い訳がないのは理解できるが、沸騰する鍋に両手掌をあてがう姿は普通の人間には背筋が緊張するものがあり、なかなか慣れる光景ではない。
ぐつぐつと鍋蓋の隙間から噴出する湯気。「もういいかな」と凪翔が蓋を取ると、もわっと香ばしい湯気が二人の顔を包んだ。ふつふつと煮え立つ出し汁に小刻みに揺れる温野菜が二人の食欲を撫でるようにそそり立たせた。
2人して鍋を箸で突き、豚肉と出し汁の旨味がよく染み込んだ白菜から頬張る。
「う、うめえ」
「ああ、美味いな」
口の中ではふはふと熱を逃がすほどに、白菜の旨味と甘味がじんわりと広がる。噛むと肉汁の旨味がじわっと溶け出し、何とも言えぬ幸福感に包まれた。
旨味が滲み出る豚肉や熱々の豆腐。二人の箸は止まることなく、しばらくの間「神域鍋」に舌鼓を打っていた
鍋とはここまで手短に作っても美味く仕上がるから素晴らしい。19歳の凪翔は料理など心得たものではないが、そうであるが故にこの感激もひとしおであった。
表の参道まで匂いが漂っているかもしれないが、いっそ気にすることもなかろう。
燈源はいつの間にか日本酒をぐびぐびと飲んでいた。奉納された一升瓶にあろうことか直接口を付け、逆さまに傾けられた中身がみるみるうちに燈源の喉に流し込まれていった。
「ぷはあ、たまんねえぜ」
「いつの間に本殿から持ち出したんだ、あはははっ」
凪翔も19歳である。生真面目な性格ではあるが、この時ばかりはもう楽しくなって笑いだけがこみ上げた。
鍋を堪能し、買い込んだ大量のスナック菓子に手を伸ばし始めた頃には、空が宵闇に包まれていた。あれだけ浴びるように飲酒した燈源だが、まだほろ酔いといった様子である。
普段は傲慢で気荒な性格の燈源であるが、酒に酔った影響だろうか。見た目に似合わぬ感傷的な一面を見せ始めた。




