第二話 終
夜の結界から解放された早紀の部屋には、散り散りになったローテーブルの木片やテレビの破片が散らばっていた。
先程まで怪異に監禁され、突如光と共に現れた青年に助けられ、自分を襲っていた巨漢が見えない何かに叩きつけられ、そして消滅。この非科学的な連鎖を目の当たりにして、簡単に理解が追い付く道理はない。今の早紀には、これら戦いの残骸は自分の身に起きたことが現実であると証明させられるようなものである。
当然、というより毎度のことながら、怪異の被害者が落ち着きを取り戻すまでには時間が掛かるのだ。
「なぎと・・・さん、でしたっけ」
既に名前は名乗っていた。神主ですと一応の自己紹介はしたが、あまり届いてはいない様子であった。
「はい」
少しずつ落ち着きを取り戻した早紀がようやく自ら口を開いた。
「あれは一体、何だったんですか?悪魔か何かですか?あと、どうしてこの場所が分かったんですか。情報って漏れてます?」
身の上の個人情報が世間に知れ渡ることを一般に身バレと言うが、さすがカリスマ的人気インフルエンサー。自身の身バレへの懸念が怪異への疑問と同列のようだ。
凪翔は安心して下さい、と言葉を続けた。
「何というか、怪異の本体が視える方向に辿ってきたら、ここに行き着いただけですから。ここに辿り着くまで、富浦さんの自宅は知りませんでした」
半分本当で半分噓である。あの怪異はコメントで早紀の住所を晒した。一般の人には視えていないが、凪翔はそのおかげで最短時間でここまで来れたのだ。
「あれの正体は私の視る限り・・・独占欲と承認欲求、あとは歪んだ愛情の塊だと思われます」
「歪んだ愛・・・?」
「一度に多くの人と話す訳ですから、それだけ一度に多くの恋愛感情とか、歪な欲求を集めてしまったようですね。それが凝縮されて、ひとつの怪異になった」
同時に1万人近くの他人と繋がれば、その人数分のあらゆる感情がその一点に集中することになる。その中には純粋なファンによる応援だけでなく、時に歪んだ愛情や独占欲を伴う恋慕も含まれるのだろう。
毎秒送られるメッセージ全てに応えるのは無理がある。しかし、彼女を我が物にしたいと願う者がメッセージを見落とされた時、それは一部の人間からは無視されたと思われ、好意を抱く自分への裏切り行為として認定される恐れがある、のかも知れない。
ライブ中の彼女に恋い焦がれ、もっと自分を見て欲しい、認識してほしいという承認欲求。
他のファン1万人を敵視し、彼女を自分だけのものにしたいと願う異常な独占欲。
ついには彼女を幸せにできるのは自分しかいないという荒唐無稽な妄想。
こういった歪んだ感情は一か所に、それも同時に集まり密度を増し、やがて輪郭を形成した怪異となったのだ。
「一人分の歪んだ愛情ならあそこまで大きくはならないでしょう。しかし富浦さんを一度に観る人があまりに多いので、その分多くの歪んだ愛情を集めてしまう可能性が確率的に上がってしまう。あなたを襲った怪異は、そういう感情の塊です」
一人分の感情なら形はおろか輪郭さえ無い、黒い「もや」が掛かる程度に留まっただろう。一体何人分の歪んだ愛情が凝縮すればあそこまで立体的な怪異に成長するのか。凪翔には想像もつかなかった。
「へええ、そんなことがあるんですね・・・こわ」
少し訝し気な様子ではあるが、早紀は比較的順応の速いタイプのようだった。
「ここで起きたことは、我々から外部に漏らすことはありませんのでご安心ください。秘密は守ります。何しろ、富浦さんのライブ、うちのリーダーが大ファンなんですよ」
この場を和ませようと凪翔は冗談交じりに笑った。
「あの変態ジジイがな」
背後で燈源も鼻で笑いながらぼそっと言った。
「そうですか・・・ふふっ、ありがとうございます。神社のリーダーって、宮司さんも観てくれているんですか?」
早紀の神妙な表情が少しずつ柔和になってきた。朗らかに笑えば何とも透き通った笑顔を見せる。
凪翔の言うリーダーとは御祭神、岩鳴のことであって宮司の父、正広ではない。しかし説明すればややこしくなるし、彼女が元気を取り戻してきたのだから訂正などしなくていいだろう。
「神社の人も私のライブ観てくれているんですね。本当、色んな視聴者さんがいるなあ。なんか元気出てきました」
「まあ、くれぐれも無理はしないで、休むことも考えてくださいね。あと、出来れば今度から、なるべく思わせぶりな発言は控えた方がいいかもしれません」
「うーん、まあよく分からないけど、もうこんな目に遭うのは懲り懲りなので。分かりました、気を付けます!」
早紀はにこっと笑って更に続けた。
「そんでもって、何とか来週のライブまでに部屋片付けますよ!」
なんと逞しいことか。彼女は先程までの恐怖心をこの短時間で克服し、もう次のステージに立ち向かおうとしていた。想像以上にインフルエンサーには強固な精神力があるらしい。
「さきたん」なんてか弱そうな名前じゃなくて「令和の神功皇后」とか「現代日本のジャンヌダルク」とか、もっと強そうな名前に改名すればいいのに。凪翔はそんなことを考えながら、見た目以上に強靭な彼女としばらく会話を交わした。
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翌週のさきたんライブは当初の告知通りに開催された。
今週は岩鳴だけでなく、燈源と凪翔の三人が社務所の居間に集まり、肩を並べて備品のパソコンに注目していた。
今週のテーマは『先週の怪現象の真相!本当にあったヤバイ話』だそうだ。燈源と凪翔は顔を見合わせた。
岩鳴は実に楽しそうにディスプレイを眺めていた。燈源は大福を美味しそうに頬張りながら観ていた。凪翔はと言うと、彼女の話に自分が登場するのではないかとそわそわして落ち着かなかった。
「よくぞさきたんを救い出したのう。いや見事見事、褒めてつかわすぞ」
「へっ、全く調子のいい爺さんだぜ。この娘の何がそんなにいいのか分からねえが、取り敢えず山が噴火しなくてよかった」
『―――で、その時に現れた若い男の子がね!まじユージーンみたいだったの!』
画面内の彼女の発言に、凪翔は思わず口に含んだオレンジジュースを吹き出しそうになった。塔の上のラプンツェルが遭遇する元泥棒の男。言葉の意味はイケメンか、あるいは盗みを働く悪人面か。いずれにせよ、どう見てもそんなワイルドタフなタイプではないだろうに。いささか事実とは異なる紹介を、リアルタイム数千人にされてしまった。
『ユージーンがこうやって、黒い石を持ってナムナムっておまじないを唱えたの。そしたらピヤーって光が差して、そいつがバーンって床に叩きつけられて!ユージーン超イケメンだったあっはっはっは!』
南無南無とは言っていない。凪翔が唱えたのは経ではなく祝詞である。
吹き出しに記される大量のコメントは、「うそだろ」とか「妄想だ」などと、虚偽を疑う懐疑的な感想が殆どであった。かなり眉唾な内容であるのでそれは致し方ないだろう。
しかし早紀は冷ややかなコメントなどに一切気を取られることなく、実に生き生きと語り続けていた。これまでの全てのコメントに応えようとするファンサービススタイルから、己が語りたいことを全力で語る、そういう方針に切り替えたのかも知れない。語りながら見せるその笑顔は、心なしか先週よりとても澄んでいるように見えた。
神と鬼と人。三人で並んだ凸凹の背中を、縁側から吹いた秋の風が優しく撫でた。時折三人の笑い声が、澄み切った空の下に流れていった。




