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第1話 本家追放

「霧花。今この瞬間を以て絶縁を言い渡し、お前を水無月家から追放する」


 顔を覗かせた白い月が闇夜を照らす頃。


 寝殿造が特徴的な水無月家の本邸。その中心に位置する母屋にて、屋敷の主人である男──水戸部忠蔵(みとべちゅうぞう)は冷たい眼差しで私を見たまま、無感情な声音で告げた。


「屋敷の外に人買いと牛車が待機している。持っていく荷物など何もないだろう。すぐに向かえ」


「……理由は、聞かせてもらえないのでしょうか」


「話す必要は──いや、これが最後になるのだ。聞かせてやる」



 忠蔵は不愉快そうに鼻を鳴らし、正座のまま深く頭を下げ続ける私に語った。



「お前も知っての通り、我が水無月家は先代当主──私の兄であり、お前の父が死んでから三年の間当主が不在。その影響は甚大であり、十二の名家としての立場や力を弱めている。無論のこと、当主代理として私も日々奔走しているが、努力の成果は微々たるものだ。何故なら、私は代理であって当主ではないから」



 忠蔵の声量が大きくなり、また、声色には苛立ちが混じった。



「全ての名家に通ずる掟──本家の血筋を持つ人間が一人でもいる場合、分家の者は当主の座に就くことができない。つまり霧花。お前がいる限り、私は水無月家の正当な当主にはなれず、一族は衰退の一途を辿るしかない」


「それで、絶縁と追放を」


「そうだ。これも全て水無月家再興のため。悪く思うな──呪われた娘よ」




 私は何も言い返さない。


 抵抗も、拒絶も、非難もせず、私は淡々と現実を受け入れる。


 理解しているから。何をしようと、何を言おうと、決定は覆らない。私は生家を追われ、奴婢として売られ、知らぬ誰かの所有物となる。人以下の存在になるのだ。


 もう、諦めている。


 どうにでもなれ。私はこういう運命なのだ。幸福なんて望まない。希望なんて抱かない。光なんて求めない。




 立ち上がった私は忠蔵に一礼し、母屋を後にする。


 向かう先は正門だ。忠蔵の言う通り、私には持っていく荷物などない。このみすぼらしい薄い着物を纏った身一つで出ていくことができる。


 ……いや、少し違う。身一つではない。


 たった一つだけある。私が肌身離さず持ち続けている、大切なものが。


 胸元に手を当てた私は、そこにあった固い感触を確かめた。



「遂に追い出されることになったわね、お姉様」



 不意にかけられた、嘲笑を多分に含んだ声。


 廊下を歩いていた私が足を止めて其方を見ると、そこに立っていたのは忠蔵の愛娘であり、私の従妹に当たる甘蔓(あまづる)


 私が屋敷から消えることが余程嬉しいのだろう。口元は三日月に裂かれ、目には隠しきれない高揚が浮かんでいた。



「しかもしかも、よりによって奴婢になるなんて……人買いに買われて、誰かに売られるのですよね? フフ、可哀そう」


「……」


「ねぇ、知っていますか? 奴婢として売られた女は悉く、買った主人に酷い目に遭わされるんですって! それはもう、口にするのも憚れるような所業を──」



 私は甘蔓が語る奴婢の末路を聞き流す。


 脅しのつもりだろう。今後に恐怖を抱かせたいのだろう。けれど、私には無駄だ。既に諦めているし、もう自分の未来なんてどうでもいい。どうなろうと知らない。死んでしまっても構わないとすら思っている。だって、生きていたって、苦しいだけだから。



「あーあ、でも寂しくなるわね」



 甘蔓は自分の頬に手を当て、残念そうな笑みを作った。



「実は私、お姉様の作る食事が結構好きだったんですよ? それに、掃除や馬の世話をする従者も新しく雇わないといけませんし──」


「何をしているの、甘蔓」



 甘蔓の声を遮ったのは、彼女の背後から現れた女──甘蔓の実母であり、私の叔母である菊音(きくね)


 愛する娘が私と話していることが不愉快だったのだろう。彼女は私を睨み、冷たい声で言った。



「貴女はもうこの家の人間ではないでしょう。早く出て行きなさい。そして、何処かで野垂れ死んでしまいなさい」


「……勿論、すぐに出て行きます」


「甘蔓も、あんな者を引き留めてはなりません。言葉を交わすなどもってのほか。本家の末路は知っているでしょう? あれは人にあらず。不幸を齎す悪鬼と同じなのです」


「はい。申し訳ありません、お母様」



 ここに留まっていても、不快なだけだ。


 私は何も言わずにその場を立ち去った。


 長い廊下を抜け、草履を履き、正門の前に立つ。衛兵が門を開ける間、私は一度振り返り、最後に屋敷を眺めた。


 産まれてから十六年間過ごした生家。


 楽しかったことも、辛いことも、多くの思い出がある屋敷。何処に何があるのかも、壁や天井に刻まれた小さな傷すらも、鮮明に記憶している。



「ごめんなさい。お父様、お母様」



 貴方たちとの思い出が詰まった屋敷を、守れなくて。


 誰にも聞こえないほどの小さな声で謝罪の言葉を口にし、私は門を潜って、外に待機していた人買い商人の牛車へと乗り込んだ。

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