第15話:幸福の極致と、果てなき溺愛
頭上から降り注ぐ光の粒子が、アルテの銀色の髪に幾重もの煌めきを与えていた。
辺境伯城の中心に新設された大聖堂。かつては分厚い氷と石に閉ざされていた天井は、ガーディアの純度百パーセントの魔力によって巨大なステンドグラスへと作り変えられ、春の陽射しを万華鏡のように堂内へと乱反射させている。
アルテが身に纏うのは、辺境の特産である雪羊の最高級の毛と、魔力を帯びた銀糸を何層にも織り込んで作られた純白のウェディングドレスだった。
歩みを一つ進めるたびに、ドレスの裾に縫い付けられた何千という細かい真珠が擦れ合い、微かな、しかし確かな重量感を持ってアルテの足元を包み込む。それは、かつて王宮で着古したドレスの薄寒さとは対極にある、彼女の存在をこの世界に確かに繋ぎ止める「重さ」だった。
大聖堂を埋め尽くす領民たちと騎士たちの歓声が、石壁を震わせている。
彼らの手には、アルテがその知識と魔力で辺境の土壌から蘇らせた、色とりどりの古代の花々が握られ、足元には香りの良い薬草の花びらが絨毯のように敷き詰められていた。踏みしめるたびに、甘く清浄な匂いが鼻腔を満たす。
しかし、アルテの五感を最も強烈に支配しているのは、群衆の歓呼でも、花の匂いでもなかった。
彼女の腰を、骨が軋む一歩手前の絶妙な力加減で抱き寄せている、巨大な男の熱。
「……前を向くな。俺だけを見ろ」
耳朶を直接震わせる、低く湿った囁き。
漆黒の礼服に身を包んだガーディアは、数千の領民の視線が集中する大聖堂の中央を歩きながらも、ただの一度も前を向いていなかった。
彼の真紅の瞳は、まるで外界のすべてが灰色の塵であるかのように群衆を黙殺し、ただ腕の中のアルテの横顔だけを、狂信的な熱を帯びて舐め回している。
彼が呼吸をするたびに、微かなオゾンの匂いと、彼自身の麝香の香りがアルテの肺に流れ込み、視界の端が甘く溶けていく。
「ガーディア様……皆が、見ています」
「見させておけばいい。お前がこの世界で最も尊く、同時に、俺以外の誰にも触れることの許されない絶対的な所有物であるという事実を、奴らの網膜に焼き付けてやる」
祭壇の前に到達するや否や、ガーディアは神官の言葉を待つことすらせず、アルテの顎に指をかけ、その顔を上向かせた。
降り注ぐ光の中、彼の分厚い唇が、アルテの薄い唇を完全に塞ぐ。
チュッ、という艶めかしい水音が、静まり返った大聖堂に響き渡った。
誓いのキスというような、儀礼的なものではなかった。アルテの唇を割り、舌を絡め、彼女の吐息のすべてを自らの肺へと貪り喰うような、圧倒的で深い捕食。
アルテの左手薬指に嵌められた漆黒の結晶――ガーディアの命の核が、彼の心音と同調してドク、ドクと熱く脈打つ。
歓声が再び爆発する中、アルテの身体からは完全に力が抜け、ただ彼に抱きすくめられるまま、濃密な熱の渦の底へと沈んでいった。
*
季節が巡り、辺境の空に柔らかな風が吹く頃。
かつて瘴気に覆われ、不毛の凍土と呼ばれた辺境伯領は、大陸で最も豊かで美しい理想郷へと変貌を遂げていた。
城のバルコニーから見下ろす大地には、地平線の果てまで、アルテの魔導薬膳の知識によって栽培された希少な薬草や農作物が、黄金や翡翠の波のように揺れている。
彼女の調合する薬は、領民のいかなる病も癒やし、騎士たちの疲労を一瞬にして吹き飛ばした。
誰もがアルテを「命の女主」と崇拝し、城下町には活気が溢れ、他国からの行商人たちが辺境の奇跡を求めて列をなしている。
アルテは、城の最上階に設けられた、陽光が降り注ぐ広大な調合室で、瑠璃色のガラス瓶に琥珀色の液体を注ぎ終えたところだった。
指先には、もはや古い火傷の痕も、薬草の棘の傷もない。
少しでも指先が荒れようものなら、その夜のうちに、ガーディアが特製の魔力軟膏を彼女の指一本一本に執拗に塗り込み、傷跡が消えるまで何度でも唇を落とすからだ。
コトリ、と乳鉢を置いた瞬間。
背後から、一切の音もなく巨大な影が近づき、アルテの視界を塞いだ。
「……本日の執務は、終わりだと言ったはずだ」
アルテの背中に、岩のように硬く熱い胸板が密着する。
同時に、彼女の身体はふわりと床から浮き上がった。ガーディアの太い両腕がアルテの膝裏と背中に回り、軽々と彼女を抱き上げたのだ。
「閣下……あと少しで、騎士団用の滋養薬が完成するのです。おろしてください」
「騎士どもの体調など、俺の知ったことか。すでに十分すぎる量の薬膳をくれてやった。これ以上、お前の時間を奴らのために一秒でも消費させるつもりはない」
不機嫌に喉を鳴らしながら、ガーディアはアルテを抱いたまま、調合室から隣接する私室へと大股で歩き出す。
彼が歩くたびに、漆黒の軍服から漂う冷たく鋭い気配と、彼自身の内側に煮えたぎるマグマのような熱が、アルテの皮膚を粟立たせる。
窓から差し込んでいた暖かな陽光は、私室の分厚い扉が閉ざされた瞬間、完全に遮断された。
私室の中は、魔力炉によって真夏のように甘く、重い熱気に満たされていた。
アルテは、天蓋ベッドの滑らかなシーツの上にゆっくりと下ろされる。
逃げる間もなく、巨大な男の肉体が上から覆い被さってきた。左右の逃げ道を彼の太い腕が塞ぎ、真紅の瞳が至近距離でアルテを見下ろす。
「……お前の瞳に、薬草の粉ばかりが映っている。俺が隣にいるというのに、なぜ別のものを見る」
「お仕事です、ガーディア様。それに、あなたが用意してくださった温室の薬草たちは、どれも素晴らしくて……」
「花も薬草も、すべて燃やしてしまおうか。そうすれば、お前はもう俺以外を見る必要がなくなる」
ひどく静かな、そして本気で実行しかねない響きを帯びた声。
アルテは、小さく息を吐き出した。
他者には絶対零度の恐怖を与え、国を揺るがすほどの力を持つ男が、自分の視線をほんの一瞬逸らされただけで、これほどまでに脆く、狂気的な執着を露わにする。
アルテは、シーツに沈み込んだまま、自らの両手をゆっくりと持ち上げた。
そして、彼女を見下ろすガーディアの首筋に腕を回し、その銀色の髪にそっと指を絡めた。
彼女の左手薬指で、漆黒の結晶が脈打っている。
「……燃やす必要は、ありません」
アルテが微かに腕に力を込めると、ガーディアの巨大な身体が、抗うことなく彼女の胸元へと崩れ落ちた。
彼の鼻梁がアルテの鎖骨に押し付けられ、深く、重い呼吸が繰り返される。
「私が育てた薬草も、領地も、そして私自身の命も。……すべては、あなたのものです。私がどこを見ていても、私がどれほど薬草に触れていても、結局、私はあなたの腕の中にしか帰る場所を知らないのですから」
アルテの甘く、澄み切った声が、密室の熱気に溶けていく。
ガーディアの肩が、微かに跳ねた。
彼の喉の奥から、獣が満足げに喉を鳴らすような、低く震える音が漏れる。
アルテの腰を抱く彼の手のひらの温度が、さらに跳ね上がった。
「ああ……そうだ。お前は俺の腕の中から、永遠に出られない」
ガーディアの熱い唇が、アルテの首筋に、鎖骨に、そして唇に、隙間なく落とされていく。
外の世界には、一点の曇りもない青空と、笑顔に溢れた領民たちの理想郷が広がっている。
しかし、アルテが今存在しているのは、すべてを支配する絶対者が、自らのすべてを懸けて織り上げた、甘く、重く、決して開くことのない究極の鳥籠の中だった。
互いの体温が完全に混ざり合い、境界線が消失していく。
彼の命の核が指先で鼓動し続ける限り、この身を焦がすような絶対的な幸福と、狂おしいほどの溺愛の鎖が解けることはない。
甘美な重圧の底で、アルテはそっと瞳を閉じ、永遠に続く至高の熱の海へと、深く、深く沈んでいった。
(完)
最後までお読みいただきましてありがとうございます!
最近お絵かきが楽しくてyoutubeにてPV的なショート動画作りました。まだまだ下手くそですが、もしよかったらこちらも見ていただけるとうれしいです✨
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https://youtube.com/shorts/LBd-MFSxO0E










