第32話 リジーの保険と役割、そして懐妊の噂
「なるほどねぇ。あの狂犬に首輪を付けるなんて、やるわね。公爵家――いえ、ヴァルターは厄介な物まで持ち出してきたわけね」
「マーガレットは腹を括ってリチャードに付いていくつもりだ。俺も行く。――放っておけないからな。リジーは……」
素早くメモを取る。この場で二枚は必要だ。
あまり時間をかけると、メイド長に怪しまれるかもしれない。
カリカリとペンが動く音が響く。
書き終わったものをローランに押し付けて、二枚目に移る。
「これをセス殿下に渡して。……ローラン。こんな事は今さらだけど。私たちはどうやって生き延びてきた?常に疑って、保険を掛けてきたでしょう」
「……そうだな」
「今回は、私が保険になるわ。人質みたいなものだけどね。それに――」
リジーは一度言葉を切って、ローランの襟首を引き寄せた。
いつもとは違う、きっちりと着込んだ騎士服。
セス殿下の用意した物だろうそれは、随分と仕立てがいい。
ほら。
私たちとは、こんなにも生きる世界が違う。
「動くときは、周りを巻き込みなさい。損得勘定は相手に任せるのよ。……上手くいけば手柄、失うものは相手が勝手に想像する」
頭のいい人間ほど、想像力が働くものだ。
尻馬に乗りたい者。損をしたくない者。傍観を決める者。
ただ、私たちは最初から賭け金が低い。
見捨てられる可能性も捨てきれない。
ならば――?
「証拠は一つじゃ足りないわね。首輪、茶葉、ハーブの効能……。決め手がないわ。……これじゃあ王族は動かない」
写し終わったメモを懐に入れて、リジーは薄く笑った。
「まあ、まずは私たちが潰されたら困るから、今後も使えるって思わせなくちゃ。このメモ。もっと数が必要かな……。そうね……。ルイーズに罠も仕掛けたいわね」
「罠?どうやって?」
どう説明しようかしら?
少しだけ考えてから、ローランの手を掴む。
リジーはローランの手を握り込み、そして力を込めた。
「マーガレットの『お仕置きー!』のビリビリよ!」
ローランは、ぽかんとした顔で首を傾げる。
こら。
何気に私の手をさわさわするな。
真面目な話だ。
「なんだよ??」
「もう……!伝わらないかなぁ。マーガレットの得意技を使いましょうってこと!」
「電撃か?」
うん。確かにそれが印象深い。
マーガレットが言うには、『お仕置き』には電撃が定番らしい。
本当に、よくわからない子だ。
「馬鹿ねぇ。そこじゃないわ。あの子、まずは水を撒くでしょう?」
「……ああ。濡らしてから痺れさせるやつか」
「そう。しかも、どれだけ痺れるか、どのくらいの人が巻き込まれるか怖がってくれたら最高ね」
一点だけを刺しても、権力者は握り潰せる。
だから“疑心”という水を撒く。
じわじわ染み込んでいくように――立場のある人間だからこそ足場を守る。
噂や評判、そんなものでも、実際に崩れるものもある。
それ自体は確証にならない。
でも、証拠を探させるきっかけにはなる。
「第三王子まで脅したら、敵に回すぞ」
「そこは気をつけるわ。まだまだ役に立たなくちゃ。うーん、全部終わった時が危ないわねぇ」
「だな……。あ~あ、だから権力者絡みの依頼は勘弁なんだよな」
――そう。本来なら逃げるべきだった。
関わらないのが賢明で正しかったけれど、ローランも私も賢くないからね。
冒険者にとって、信頼が一番大事なんだから。
これまで何度もリチャードに命を預けてきた。
そして彼も、それに応え続けてくれた。
そんな仲間にはそう巡り会えるものでもないから、私たち二人は今ここにいる。
それなのに、何を一人でカッコつけて背負っちゃってんのかしら、うちのリーダーは。
「何かあっても、逃げ切れるだけの時間を作らなきゃ。何とかしてみるわ。脅すのは最終手段にしたいわね、危険だもの」
ルイーズの顔を思い出すと、苛立ちが多い毎日だったが。
あの我儘娘の頭の中はどうなっているのか、本当に気になる。無茶振りが凄い。
「……それにしてもS級ね。ここが突破口かも。ルイーズも面白いことやるわ。そのお陰で生き延びる可能性が増えた」
私の言葉に、ローランがニヤリと口角をあげる。
よくもまあ。
こんなに悪ガキみたいな笑顔を作れるものだ。
「ああ。リチャードならS級は夢物語じゃない。俺もいるしな。規格外のマーガレットもいる」
マーガレットはあまり意識していないようだけど、彼女も大概凄い。
四種類も属性魔法を使えるだけでも驚くが、魔力量が桁違いだ。
「まあ、リチャードの方は任せろ。それより公爵家のお坊ちゃんは?」
「……読めない」
隠しても意味がないから、正直に答える。
脅すとやばい、それだけはわかる。
するとローランが、勢いよく私の肩を掴んできた。
「リジー!やっぱり一緒に行こう。いや、嫌がっても連れて行く」
「だから〜。これから“特別扱い”する王子様が、私たちの保険でもあるのよ。裏切ったとは思われたくないんだってば」
リチャードが、マーガレットの命については心配をしていない。
そこが大きい。きっと信用できるんだろう。
でも、所詮は権力者だ。
「ったく、うちのリーダーが『天恵』を上手く使えればねぇ〜!男はメンタル弱すぎなのよ。ねぇ、ローラン?」
「……おう!当然だ。だが隷属の首輪なんて――」
一瞬だけ間を空けて、コクコクと頷くローランを睨みつける。
すると彼は、言葉の途中で口を閉ざした。
ちょっと嫌味だったかしら。
でも、文句くらいはいいじゃない。こっちも命懸けだ。
「そんなの、敵地に残る私も同じでしょうが」
「だから一緒に来いって言ってんだよ」
「はいはい!こっちは任せて、行ってきなさい。三人でちゃんと帰ってくるのよ」
不貞腐れた顔で口を曲げる彼の頬に、ちょんと唇を寄せた。
日に焼けて浅黒い彼の肌とその温かさに、少し名残り惜しさを感じてしまう。
見送る時に、お互いに湿っぽさは要らない。
だから、このくらいでいい――はずなんだけどな。
「ローラン、男を見せなさいね。……任せた」
「当たり前だろ。なんせお前に選ばれた実績持ちだ」
「ふふ。確かに。じゃ、ローランが選んだ女のことも信じなさいよね」
グッと眉を寄せたローランは、最後に強く私を抱きしめて窓の外へ消えていった。
無音になった部屋の中で、数秒だけその窓を見つめた。
窓の外からは、微かに葉擦れの音が聞こえてくる。
「さて、お仕事お仕事〜」
グッと腕を伸ばし、頭の中を切り替える。
そして、ソファで寝息を立て始めたダニエルを置いて、部屋を後にした。
――後日。
「なにこれ……!?ハーブティーじゃない!」
「あ……王太子妃殿下が飲んでいるものが混じってしまったようです……」
ルイーズが声を荒げるのに合わせて即座に謝罪する。
頭を下げるリジーの言葉を聞いて、彼女はさらに怒鳴りつける。
「何やってるの……!そんな物を私に飲ませるなんて……」
お茶を淹れたメイド――リジーを激しく叱る。
そんな場面を見たお茶会の参加者たちは困惑した様子だ。
「……ルイーズ様?」
「……なんでもないの。あまり数もないのに、メイドが勝手に出したから慌てたのよ」
ルイーズが慌てて取り繕うが……。
もう遅い。
ローランに教えた通りに、すでに水は撒かれた後だ。
これで周りが勝手に憶測してくれるだろう。
「これが、王室に献上しているお茶なんですね……。妃殿下も体調に気を遣っていらっしゃるのかしら。そういえば、まだ噂ですが、妃殿下がご懐妊なさったとか」
場の空気を変えようとしたのか、歳若い女性が無邪気な声を上げた。
「……へえ。おめでたいわ。どこからの情報なの?」
「うちの親戚が、妃殿下付きの侍女をしていまして。毎日それはもう幸せそうだと――」
ルイーズの表情にも気づかずに話を続ける女性を、別の女性が制する。
「……マリア嬢!あまり高貴な方の噂をしては駄目よ、ね?」
ルイーズの隣の席の女性が、戸惑いながらカップの取っ手に触れる。
「それが本当なら、次の狩猟祭は参加なさるのかしら」
「王太子殿下主催のイベントですから。でも、それが本当なら……」
噂話に花を咲かせる女性たち。
その彼女たちの会話を中断させるように、ルイーズが声をかけた。
その声はわずかに震えている気がする。
――面白くなってきたわ。
リジーは、隅の方でそのやり取りをじっと聞いていた。
「皆さま、せっかくのお茶が冷めてしまうわ。貴重なハーブが入っているから、味の感想を聞かせてちょうだい。せっかく淹れたんだもの」
勧められても、誰もお茶に手をつけようとはしない。
当然だ。
もう、疑心が染み込んでいるのだから。
「……ルイーズ様は?飲まれないのですか?」
「……私は、このハーブが少し苦手なのよ」
――その日のお茶会は、まるで盛り上がらずにすぐに終わりを告げた。
この日からルイーズの当たりがきつくなり、リジーがさらに苛立つことになるが。
命懸けなのだから、我慢できるまでは耐えよう、と決意する。
まだローランたちは帰ってきていない。
向こうのほうが、もっと大変だ。
でも、これだけの成果を出せば、まあ第三王子も満足――してくれるかしら?
リジー、かなり頑張っています。
なお、ローランは褒めると伸びるタイプです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
もし物語を楽しんでいただけましたら、
★やブックマークで応援していただけると励みになります。




