第9話 商会が売らないなら、五つの領地で回します
「塩は十二日、薬は十八日、灯油は九日で尽きます」
収穫月三十一日の朝、北方五領の在庫表をまとめたニナが報告した。
指定商会が供給を止めてから一日。フィオナが約束した二日間の調査期限は、あと一日しかない。
「ただし、五領すべてが不足しているわけではありません」
フィオナは五枚の表を一枚へ並べ直した。
クローデンには塩がない。一方、西隣の領には塩が三か月分余っている。北の領は薬草を備蓄し、東の領には灯油がある。反対に、どの領にも不足品があった。
目的は、指定商会の代わりを一社だけ探すことではない。五領の余剰を必要な場所へ動かし、冬まで続く供給網を二日以内に作ることだった。
「余っている品を売っていただくのですか」
マルタが尋ねる。
「今の価格で領ごとに売買すれば、現金が先に尽きます」
フィオナは品目ごとの基準価格を記した。
「まず物資を送り、受け取った価値を共通の台帳へ記録します。春までに、自領の余剰品か現金で返す仕組みにします」
クローデンは羊毛と鉄製品を出せる。塩を受け取った分を、それらで返せばよい。
「だが、返済されなければ損をする」
西領の財務官が反対した。
当然の懸念だった。破産寸前だったクローデンの約束だけでは、信用が足りない。
「ですから、五領すべてが互いの債務を確認します。一領が返せなくなった場合も、ほかの領が負うのは一領につき取引額の二割まで。受領量、返済期限、担保にする物資を同じ様式で三部ずつ残します」
フィオナだけを信じる制度ではない。
誰が担当しても、同じ数字を確認できる仕組みだった。
◇
問題は、運ぶ費用だった。
北方の五領は広い。別々に荷馬車を出せば、運賃だけで金貨九百枚を超える。
「空で戻る荷車を使えませんか」
フィオナの問いに、ダリオが街道予定表を広げた。
臨時市へ来た七商人のうち、四人は西へ、二人は北へ、一人は東へ帰る。帰路の荷台は半分以上空いている。
「積み荷が増えれば、車輪も馬も傷む。無料では運べんぞ」
「もちろんです。通常運賃の半額を支払います。その代わり、五領すべての春の取引市へ、優先出店権を出します」
「領主たちが認めるのか」
五人の財務官が顔を見合わせた。
彼らは共同監査に際し、冬の緊急調達について領主の代理権を与えられている。それでも、春以降の市場枠まで決めるには慎重にならざるを得ない。
優先権を与えれば、地元商人から反発が出る。それでも指定商会一社へ頼るより、複数の商人が競えるほうが将来の価格は下がる。
「各領で出店枠の四分の一まで。今回の協定では春の一回に限り、その後は各領主の承認を得る。価格と品質の記録を公開し、翌年は実績で選び直します」
フィオナが条件を加えると、ダリオは指で机を二度叩いた。
「独占ではなく、入口を一つ増やすだけか。なら商人にも悪くない」
運賃は金貨四百二十枚まで下がった。
不足品は翌朝から動かせる。
「指定商会から違約金を請求されませんか」
ニナが契約書を開く。
「今回は、先に契約を破ったのが商会です」
生活必需品の供給を止める場合、三十日前までに通知しなければならない。戦争、街道閉鎖、在庫枯渇の場合だけは例外だが、今回の通告にはどれも記されていなかった。
「品質争いを理由に供給を止める条項もありません。違約金なしの停止ではなく、商会側の契約不履行です」
五領の財務官が一斉に該当箇所を確認した。
反対していた西領の財務官が、最初に共同供給協定へ署名する。
「三か月分の塩を眠らせて、隣領の肉を腐らせる理由はない」
残る四人も続いた。
指定商会が閉じた道の代わりに、五領と七商人を結ぶ新しい道ができた。
協定により、クローデンへは塩八十日分、薬六十日分、灯油七十日分が届く。代わりに羊毛と農具を送り、差額は春に精算する。ほかの四領も、それぞれ不足していた鉄材、穀物、薪を受け取れることになった。
一つの領地だけを救う案なら、ここまで早く全員の署名は揃わなかっただろう。
同日夕刻、最初の塩を積んだ荷車が西領を出た。薬と灯油も別の街道からクローデンへ向かい、五領の共同台帳には最初の三件が記された。
◇
協定から五日後、王太子の使者から偽造押収命令の調査結果が届いた。
宿場に現れた二人が示した旅券は、王宮の発行簿にも記録された本物だった。一人は指定商会の法務係。もう一人は契約調整室でセドリックの補佐を務める書記だった。
「受付記号は盗まれたのではありません」
帰都した補佐書記は拘束され、セドリックから旅程表と押収命令を渡されたと供述した。正規の命令だと思っていたと主張しているが、偽造文書の出所はセドリックの机までたどれた。
共同監査の予定が漏れた経路も分かった。
王太子が北方五領を受け入れるため作らせた旅程表が、慣例どおり契約調整室を通っていた。北方契約に関する文書として、セドリックの机へ回されたのだ。
「王宮へ送れば、また同じ場所を通ります」
ニナの顔が曇る。
「ですから、完成した証拠一式は送りません」
フィオナは照合表を五つに分けた。
各領が異なる街道から、自領の原本と全体表の一部を運ぶ。同じ頁の写しは別の二領にも持たせ、王都で三部が一致したものだけを証拠として組み直す。
一人を止めても、証拠は消えない。
王太子は王宮側でも軍務庁、財務庁、監査院へ原本を分散し、五領の立会人が到着するまで封印すると回答した。
「これなら届けられます」
マルタの言葉に、フィオナはうなずいた。
◇
その日の夕刻、最初の塩はすでにクローデンの倉庫へ届いていた。
薬と灯油も検品を終え、共同台帳には受領記録が増えている。指定商会が供給を止めても、五領の暮らしは止まらなかった。
アーヴェルは城壁の上で、遠ざかる使者を見送っていた。
「王都へ行けば、君の名誉は回復するだろう」
「まだ、証明が終わったわけではありません」
「終わった後の話だ」
彼はフィオナを見ず、街道へ視線を向けたまま続けた。
「王宮から復職を求められたら、君は戻るのか」
答えはすぐ出るはずだった。
追放された日から、潔白を証明することだけを望んできた。それなのに王宮へ戻る自分を思い浮かべると、最初に浮かんだのは、ここで一緒に帳簿を囲んだ人々だった。
「今は、分かりません」
アーヴェルは引き止めなかった。
「分かった。答えを決めるまで、俺の都合は考えなくていい」
冷たい風の中で、その言葉だけが温かかった。
「ですが」
フィオナは一歩、彼の隣へ近づいた。
「王都での審問には、一緒に来ていただけますか」
「領主としてか?」
「それだけでは、困ります」
初めてアーヴェルがこちらを向いた。
「承知した。君が望む立場で、隣にいる」
翌朝、王太子から正式な召喚状が届いた。
公開再審問は七日後。フィオナ、アーヴェル、北方五領の立会人が招かれている。
末尾には、ベルナールの申立書が添えられていた。
――七十三件の支払いを正常化するため、フィオナ・レーヴェルを直ちに王宮監査院へ復職させるべきである。
自分を追放した男が今度は、戻ってきてくれと求めていた。




