第10話 王宮へ戻ってくれと言われても、私が選ぶ席はここではありません
「フィオナ・レーヴェルを陥れたのは、私ではない」
公開再審問が始まるなり、財務庁次官ベルナールはそう言い切った。
召喚状が届いてから七日。王宮大審問室の傍聴席には、北方五領の立会人と各庁の高官が並んでいる。正面には王太子エドガー。その左右には監査院長と王宮印章局長が座っていた。
フィオナの隣には、約束どおりアーヴェルがいる。
五年間働いた王宮へ戻ると、雨の中を一人で去った日の冷たさがよみがえった。けれど、机には五領で守り抜いた証拠があり、肩が触れそうな距離には彼がいた。
今日の目的は、ベルナールを言い負かすことではない。
三重払いと監査印の偽造を証明し、止まっている七十三件を正しい支払いへ戻すことだ。
「では、契約調整室が独断で行ったと申すのか」
王太子が問う。
「セドリック・モーンが私の決裁印を悪用したのでしょう。七十三件の混乱を収めるためにも、制度を熟知するフィオナを復職させるべきです」
ベルナールは、昔と変わらない穏やかな顔をフィオナへ向けた。
「戻ってきなさい。以前より上の役職を用意しよう」
謝罪ではなかった。
彼が必要としているのはフィオナではなく、彼女が直せる七十三件だ。
「復職の話より先に、事実をご確認ください」
フィオナは五つに分けて運んだ照合表を広げた。
◇
「軍務庁は防疫物資費として全額を支払い、財務庁も緊急輸送費の名目で同額を支払っています。さらに各領へ王宮立替金として全額を請求し、その返済先を指定商会の口座にしていました」
一つの薬に、三度の代金が払われる仕組みだった。
北方第三便に至っては、物資そのものが届いていない。
冬至月十一日の街道は閉鎖中。荷を運ぶには最低四十七台が必要なのに、受領証には八台しか記されていない。倉庫の在庫も増えていなかった。
五領の財務官が、一人ずつ原本と写しの一致を証言する。
「確認できた不正支出は、三年間で金貨八万二千四百枚です」
傍聴席のざわめきが広がった。
「すべてセドリックが確認した書類だ」
ベルナールは即座に切り返した。
「次官の印が正規でも、内容を読まずに押した可能性はある。その責任は認めよう。だが、不正を命じた証拠にはならない」
その反論は想定していた。
「はい。決裁印だけでは証明できません」
フィオナが認めると、ベルナールの口元が緩んだ。
「ですから、お金の戻り先を調べました」
王太子の合図で、指定商会から押収された内部帳簿が運び込まれた。
三度受け取った代金の一部は、〈北方調整費〉としてベルナール家が管理する救済基金へ送られている。三年間で金貨六千四百枚。
「基金は北方の救済に使った」
「初年度は、です」
フィオナは基金の支出台帳を重ねた。
最初の年は橋の修理と薬の購入。二年目からは、ベルナール家の借金返済、支持者への融資、次官就任前の贈答が増えていた。
「議会は防衛費の追加を認めず、冬の災害は予算成立を待ってくれなかった」
ベルナールの声から余裕が消えた。
「帳簿外の資金がなければ、救えなかった村もある。私が地位を保たなければ、その仕組みも守れなかった」
始まりには、北方を救うという理屈があったのだろう。
「その地位を守るために、途中から架空の荷を作り、辺境領へ借金を負わせたのですね」
「国全体を動かすには、避けられない負担もある」
「クローデンは三か月後に資金が尽きるところでした。それも避けられない負担ですか」
ベルナールの返事はなかった。
◇
「次に、私の監査印について申し上げます」
王宮印章局長が、本物と偽造された印影を拡大して並べた。
偽造印の左端にだけ、針のような突起がある。それは地下書庫閲覧許可書の封蝋に残った紙の繊維と一致した。
複製元の許可書を管理していたのはセドリックである。
「私が型を取らせました」
入室したセドリックが認めた。
「だが、次官の命令だった。私一人が罪を負わされると分かり、指示書の写しを指定商会の金庫へ残しました」
「追い詰められた者の作った偽物だ!」
ベルナールの怒声が響く。
フィオナは指示書そのものではなく、余白の受付番号を示した。
「この番号は、財務庁次官室の発送簿にも残っています。受取人はセドリック。内容は『地下書庫許可書の処理』。発送日は、私が原本の所在をベルナール様へ報告した翌朝です」
発送簿を管理する書記が、記載は自分の筆跡だと証言した。
指示書の紙には次官室専用の透かしがあり、封蝋もベルナールの私印と一致する。
一つなら否定できる証拠が、三つ重なった。
「私の机へ金貨を置いたのは?」
「指定商会の法務係です。偽造帳簿と一緒に運ばせました」
セドリックの答えに、ベルナールの顔から血の気が引いた。
「君を信頼していた」
向けられた言葉が、最後の棘のように胸へ刺さる。
「私も信頼していました。だから、証拠の所在をすべて報告しました」
フィオナは息を整え、彼を見返した。
「ですが信頼とは、罪を着せても、必要になれば戻ってきてくれることではありません」
ベルナールは、もう反論できなかった。
◇
王太子が壇上から降りた。
「フィオナ・レーヴェルへの嫌疑を撤回する。監査官免職と王都退去命令も取り消す」
そして傍聴人の前で、深く頭を下げた。
「証拠が足りないことを、調べない理由にした。私の判断が君を傷つけ、不正を広げた。王家の名において謝罪する」
追放の日には一人も来なかった人々が、今はフィオナの潔白を見届けている。
喉の奥が熱くなった。それでも泣く代わりに、礼を返した。
「訂正を公にしていただけたことへ、感謝いたします」
ベルナールは次官を解任され、財産を保全されたうえで正式な司法審問へ送られる。セドリックも免職となり、偽造と証拠隠滅への関与を裁かれることになった。
指定商会は王室指定資格を剥奪され、資産を凍結された。倉庫と輸送部門は王宮の管理下に移し、罪のない使用人と御者の雇用は守られる。
七十三件の支払いも、その場で仕分けられた。
四十九件は重複として取り消し。二十四件は物資の到着を再確認したうえで支払いを再開する。
フィオナが照合方法を説明すると、十二人の会計官が同じ手順で同じ結果を出した。
「これなら、私がいなくても確認できます」
王太子はうなずき、それでも一枚の任命書を差し出した。
「王宮監査院へ戻ってほしい。首席監査官の席を用意する」
フィオナは、かつて望んだはずの席を見つめた。
追放された自分が正しかったと認められた。以前より高い地位も提示された。
けれど、胸に浮かんだ答えは一つだった。
「お断りします」
審問室の視線が集まる。
「私が戻れば、王宮はまた一人の監査官へ確認を集中させます。必要なのは私ではなく、私がいなくても間違いを止められる仕組みです。その方法は、すべてお渡ししました」
「では、君はどこへ?」
「クローデンへ戻ります」
フィオナは隣に立つアーヴェルを見た。
「私の仕事を無条件に信じるのではなく、自分で確かめ、その結果への責任を分けてくださる方がいます。私も、その方と領地を支えると決めました」
アーヴェルは彼女の返答を代弁しなかった。
ただ、フィオナが差し出した手を取る。
「俺も、君にクローデンへ戻ってきてほしい。監査官としてだけではなく、一人の女性として」
「はい。私も、あなたの隣へ戻りたいです」
◇
王宮を出ると、追放の日とは違う青空が広がっていた。
「審問の間、ずっと手を握りたかった」
アーヴェルが言う。
「握ってくださらなかったのですね」
「君が自分の手で証拠を示しているのに、邪魔はできない」
そう答えてから、彼は今度こそフィオナの手を取った。
「クローデンへ着いたら、改めて伝えたいことがある」
「仕事の話ですか?」
「違う。今度は、君の返事を待つ話だ」
その問いが何か、フィオナにはもう分かっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
追放されたフィオナが皆の前で名誉を取り戻し、自分の意思で帰る場所を選びました。
「よく断った」
「アーヴェルと幸せになってほしい」
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次回はいよいよ最終話。明日10月4日、19時10分投稿予定です。
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