第11話 私が選んだ帰る場所
「お帰りなさい、フィオナ様!」
クローデン城の門が開いた瞬間、聞き慣れないほど多くの声がフィオナを迎えた。
冬至月に入り、街道の端には雪が残っている。それでも城門前には、農家や職人、商人たちが集まっていた。
家畜を売らずに済んだ夫婦。新しい小麦を運んだ荷役人。五領共同の荷車を任された商人。
フィオナが守ったのは帳簿の数字だけではない。その数字の向こうで暮らす人々が、目の前にいた。
「王都でのことを聞きました!」
「監査官様が正しかったんでしょう?」
「戻ってきてくださって、ありがとうございます!」
追放の日には、雨の中を一人で歩いた。
今は、待ってくれていた人がいる。
フィオナは何度も頭を下げながら城へ入った。
泣くのはまだ早い。
確かめなければならないことが、一つ残っていた。
王宮で名誉を回復しても、クローデンの冬を越す資金まで自動的に増えるわけではない。
破産を本当に回避できたのか。最後の支払いまで確認することが、財務監査官としての仕事だった。
◇
「昨冬から残っていた薪代、金貨六百八十枚です」
財務室では、商業組合長ダリオが待っていた。
「期限は本日。今度は春まで待てません」
「お待たせしました。本日中に全額をお支払いします」
フィオナは旅装のまま、マルタが用意した資金予定表を開いた。
現金で全額を払うことはできる。しかし、それでは薬の追加購入後に残る予備費が薄くなる。
「金貨四百八十枚を現金で。残る二百枚については、西領から届いている農具の注文をダリオさんへお譲りします」
注文書には品目、価格、引渡日、西領財務官の確認印がそろっている。
ダリオがクローデンの工房から農具を受け取り、西領へ運べば、代金二百二十枚が支払われる。薪代の残額を受け取ったうえで、運賃として二十枚が残る計算だった。
「注文が取り消された場合は?」
「五領共同台帳に確定取引として記録されています。取り消す場合、西領が二割を保証します。それでも不足した分はクローデンが現金で支払います」
ダリオは注文書と共同台帳を見比べた。
「私に損を押しつける話ではないようだな」
「次の冬も薪を売っていただきたいので、不利な条件にはできません」
「なら、この条件で受けよう」
署名が交わされた。
去年から残っていた最後の滞納が、これで消えた。
ダリオが帰ると、マルタは新しい資金予定表を全員に見えるよう机へ広げた。
「冬の終わりまでに必要な食料、薬、薪、給与は確保済みです。春の税収を入れなくても、金貨千二百枚が残ります」
架空債務として請求されていた金貨二万四千枚も、正式に取り消された。
五領共同取引による利益を加えれば、翌年度の予備費は金貨三千枚になる見込みだ。
「では、もう三か月後に破産しないのですね」
ニナが確かめる。
「はい」
フィオナは収入日と支払日を、もう一度指で追った。
「現在確認できる範囲では、すべての支払いができます」
「そこは、もっと喜んでください」
マルタが呆れたように言う。
「クローデンは冬を越せます。あなたが破産を止めたのです」
室内の六人が一斉にフィオナを見た。
以前なら、皆が記録を残したおかげだと答えていただろう。
もちろん、それは今も事実だ。
けれど、自分の働きまで消してしまう必要はない。
「皆さんと一緒に、止めることができました」
フィオナが答えると、ニナが満面の笑みで拍手した。
マルタが続き、六人の監査班の手が重なる。
フィオナは今度こそ、その拍手を受け取った。
◇
翌日、領地評議会が開かれた。
アーヴェルは各部署の責任者がそろう前で、一枚の任命書を読み上げた。
「フィオナ・レーヴェルを、クローデン領財務責任者へ任命する」
臨時でも、監査だけでもない。
税、契約、在庫、資金繰りを横断して確認し、根拠のない支払いを止める正式な役職だった。
「監査班六名は常任とする。各部署は在庫と支出を毎月報告し、重大な異常は財務責任者と領主へ同時に届ける」
アーヴェルは任命書へ署名した。
「領主の判断も、監査の対象から外さない」
評議員の一人が目を見開く。
「辺境伯様の支出まで、止められるのですか」
「根拠がなければな」
「フィオナ殿が反対しても?」
「反対の理由を聞く。そのうえで必要だと判断したなら、結果への責任は俺が負う」
アーヴェルはフィオナへ任命書を差し出した。
「権限を渡すとは、俺に都合のよいときだけ従わせることではない」
王宮では、正しい仕事をしていても、結果を一人で背負わされた。
この人はフィオナの判断を尊重しながら、その責任を押しつけない。
「お引き受けします」
最初に拍手したのはマルタだった。
ニナと監査班が続き、やがて評議室全体が拍手に包まれる。
アーヴェルも皆と同じように手を叩いていた。
ただし、フィオナと目が合ったときだけ、その表情が領主のものではなくなった。
◇
その夜、フィオナは城の北塔へ呼ばれた。
雪の積もった街には、家々の明かりが並んでいる。
城の燭台まで消していた頃とは違う。倉庫には百八十日分の小麦があり、塩も薬も薪も届いていた。
「王都を出るとき、伝えたいことがあると仰いましたね」
「ああ。仕事の話ではない、とも言った」
アーヴェルは小さな箱を取り出した。
中には、雪角鹿の紋章と一本の麦穂を彫った銀の指輪が収められている。
「フィオナ。俺と結婚してほしい」
命令ではなかった。
領主として見下ろすのでも、救ってくれた報酬として差し出すのでもない。アーヴェルはフィオナと同じ高さに立ち、返事を待っている。
「君の能力がクローデンに必要だからではない。それなら、財務責任者として頼めば済む」
いつも迷わず署名する彼の指が、箱の端を強く握っていた。
「正しいか迷う君も、一人で抱えて失敗する君も、それでも誰かを責める前に原因を確かめようとする君も、そばで見ていたい。成功した日だけでなく、うまくいかない日も一緒に考えたい」
「結婚した後も、私は財務責任者を続けます」
「もちろんだ」
「あなたの支出も止めるかもしれません」
「理由を聞いて、必要なら改める」
「夜中まで帳簿を見る日もあります」
「そのときは食事を運ぶ。ただし、食べなければ休むまで隣にいる」
フィオナは笑った。
「仕事の邪魔ではありませんか?」
「君を一人で働かせないことも、俺の仕事に加えたい」
フィオナは指輪より先に、アーヴェルの手を取った。
「お受けします」
「王宮へ戻りたくないからではなく?」
「はい」
フィオナは明かりのともる街を見下ろした。
「私がここにいたいからです。あなたと一緒に、この領地の明日を確かめたいと思っています」
アーヴェルはようやく息を吐き、彼女の指へ銀の指輪を通した。
◇
一年後。
フィオナはクローデン辺境伯夫人となった後も、財務責任者を続けていた。
領地には一年分の予備費が確保され、監査班は六人から十二人へ増えた。五領で始めた共同供給制度には二領が加わり、今では北方七領が同じ台帳を使っている。
王宮でも、十二人の会計官が照合を分担する制度が定着した。
フィオナがいなくても、支払いの重複は止められている。
その日の執務室では、アーヴェルが一枚の支払申請書を前に首を傾げていた。
「北門の補修費が、予定より金貨三十枚高い」
「石材の輸送費が上がっています。ただ、こちらの二件は荷馬車番号が同じですね」
「同じ荷なら、運賃は一度で足りるのではないか?」
「その可能性はあります。けれど、積み替えたのかもしれません」
「では、現場で確かめよう」
アーヴェルは書類をフィオナへ押しつけず、外套を二着持ってきた。
一着を受け取り、二人で執務室を出る。
王宮で失った席を取り戻したから、フィオナに価値が生まれたのではない。
辺境伯の妻になったからでもない。
彼女が積み重ねた仕事を読み、その判断を求め、間違えたときには一緒に直してくれる人々がいる。
「道が凍っています。気をつけてください」
「君もだ」
差し出された手を、フィオナは握った。
正しい答えは、最初から帳簿の中にあるわけではない。
人と話し、現物を見て、違いを確かめることで見つけていく。
その道を、これからは二人で歩いていくのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
追放されたフィオナが、自分の仕事を正しく評価してくれる人々と出会い、帰る場所と人生を自分で選ぶ物語でした。
「フィオナが報われてよかった」
「アーヴェルとなら幸せになれそう」
「領地のその後も見てみたい」
少しでもそう感じていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価していただけるとうれしいです。
ブックマークやご感想も、今後の物語を書く大きな励みになります。
また、同じく「能力を正当に評価されなかった大人の女性が、破産寸前の辺境領で人生を取り戻す」新連載を、本日開始しました。
『「愛人に帳簿は読めますか?」離縁されましたので、辺境伯様の財務官になります――元夫の領地が破産寸前でも知りません』
https://ncode.syosetu.com/n5848mv/
こちらもぜひご覧ください!




