第7話 王宮が二度払い、辺境がもう一度払う
「家畜の病を広めたのは、指定商会ではありません」
収穫月二十四日。フィオナは北方五領の往診記録を机へ並べた。
病の初発は領ごとに十日以上ずれている。共通する飼料も、家畜商もいない。商会が意図的に病を運んだ証拠はなかった。
「では、薬の買い集めは偶然か?」
アーヴェルの問いに、フィオナは首を振る。
「偶然でもありません。病が広がることを、私たちより早く知っていた者がいます」
目的は商会を先に犯人と決めることではない。誰がいつ情報を得て、どう利益へ変えたのかを、王宮でも否定できない記録で示すことだ。
フィオナはニナへ、獣医局が送った早馬の記録を頼んだ。マルタには薬代の請求書、ガレスには関税所を通った薬荷の一覧を求める。
「ガレスも調査へ加えるのですか」
マルタの声には警戒があった。架空の北方第三便の受領証へ印を押した人物である。
「だからです。彼の説明が正しいか、彼自身が残した記録で確かめます」
◇
最初に見つかったのは、獣医局の緊急報告だった。
夏至月十四日、南東の村で牛七頭が同じ症状を起こした。領内で初発と認定された日より十三日前で、まだ疑いの段階だった。
獣医局は翌十五日、王宮の北方衛生局と近隣領へ早馬を出している。
「クローデン城には届いていません」
ニナが受取簿を示した。領主府の欄だけが空白になっている。
「早馬はどこで止まったのでしょう」
経路をたどると、通知は関税所までは来ていた。
ガレスは発送控えを見るなり、顔色を変えた。
「指定商会の輸送責任者へ渡した。王都から来た薬馬車が、その日のうちに城へ向かうと言ったからだ」
「受取証は?」
「ここに……あるはずだ」
綴じ紐の間には、切り取られた跡だけが残っていた。
ガレスの言葉だけでは証拠にならない。
だがフィオナは、発送控えの端についた青い染みを見た。指定商会が荷札へ使う耐水顔料と同じ色だった。
「商会の記録と照合します。染みだけで結論は出せません」
「私を疑わないのですか」
「疑っています。指定商会も、あなたも。だから両方を調べます」
ガレスは苦い顔でうなずき、鍵束を差し出した。
「関税所の原簿をすべて開示する。今度は、私が見たものを証言する」
◇
関税原簿には、指定商会の空荷の薬馬車が記録されていた。
夏至月十五日にクローデンを出発し、王都へ戻ったのは二十二日。帰着した翌日から、商会は解熱薬と消毒薬を通常の四倍買い集めている。
さらに四日後、北方五領へ薬を発送していた。
病が確認される前の領にも、である。
「通知を王都へ運び、城へは届けなかった」
マルタが唇を噛む。
「早期情報を独占した可能性が高いです。ただし、買い集めただけなら投機で済まされます」
フィオナは五領の請求書を価格順ではなく、日付順に並べた。
病が報告される前は通常価格。発生直後は二倍。死んだ家畜が百頭を超えた領では三倍になっている。
さらに五領の薬代請求書には、王宮で見たものと同じ支払番号があった。
同じ薬代を、軍務庁は「防疫物資費」、財務庁は「緊急輸送費」として、それぞれ全額支払っている。それとは別に、各領へも全額が「王宮立替金」として請求され、返済先には指定商会の決済口座が記されていた。
「王宮が二度払い、領地がもう一度払う……」
ニナが請求書を見比べる。
「北方第三便と同じです」
「はい。品物を架空にするか、値段をつり上げるかの違いだけです」
薬一箱につき、指定商会は三度代金を受け取れる。病が深刻な領ほど単価まで上げられていた。
フィオナが王宮で見つけた二重払いと、クローデンを破産寸前にした架空債務は、同じ仕組みの両側だった。
◇
「それでも、王宮は書類上の手違いだと主張できます」
フィオナは浮かれる代わりに、反証に必要なものを挙げた。
「各領へ立替金を命じた原本と、指定商会への支払命令が同じ人物から出ている証拠が必要です」
マルタが、黒く潰された独占契約の担当者欄を机へ置く。
そのときガレスが口を開いた。
「先代様から日付を遡らせろと命じられた、と私は話した」
「はい。まだ証言だけです」
「正確には、先代様の署名がある王宮文書を、指定商会の者から見せられた。直接命じられたわけではない」
ガレスは目を伏せた。
「亡くなった方へ責任を預ければ、自分の押印を正当化できると思った」
差し出された私物箱には、その王宮文書の封筒が残っていた。中身は返したが、封筒の裏に文書番号が書かれている。
〈財契調・四一七号〉
マルタが保管する契約起草命令にも、同じ番号があった。
フィオナは王宮時代の文書番号台帳の書式を思い出す。番号の前半は部署を、四百番台は次官決裁を必要とする北方特別契約を示していた。
黒く潰されたのは起草担当者名だけで、最終欄には財務庁次官の決裁印が残っている。
ベルナール・オルセインの印だった。
決裁印だけで、彼が不正を企てたとは断定できない。だが、この契約を知らなかったとは言えなくなる。
フィオナは息を止めた。
証拠の所在をすべて報告した相手。
審問で、二重払いという前提自体を否定した上司。
「原本を王宮へ返還するよう求めますか」
アーヴェルに問われ、フィオナはすぐには答えられなかった。証拠を持つと知らせれば、また消されるかもしれない。
「いいえ。先に北方五領で写しを交換し、同じ番号の文書を集めます。一領の訴えではなく、五領の共同監査にします」
「必要な使者と護衛を出す。王宮への抗議は、証拠が揃うまで俺が止めよう」
アーヴェルはフィオナの答えを待ってから決めた。
「かつての上司を調べることになる。それでも進めるか」
「怖くないとは申せません」
フィオナは決裁印から目をそらさなかった。
「ですが、今度は一人ではありません」
「ああ。君が集めた証拠も、君自身も、一人にはしない」
◇
三日後、臨時市が開かれた。
南部商人七人が参加し、羊毛と乳製品を載せた荷車が行き交った。
三日間の取引税は金貨六百七十枚。延期した工事費金貨五百枚と合わせ、家畜税の不足千百枚は補われ、金貨七十枚を予備費へ戻せた。
税を猶予された農家は、繁殖用の家畜を売らずに済んだ。
売買記録はニナが二部作り、商人と農家が一部ずつ確認した。臨時市が終わっても、次の税収を支える取引先が領民の手元に残った。
評議会で、アーヴェルは新しい任命書を読み上げた。
「本日より臨時の名を外し、フィオナ・レーヴェルをクローデン領財務監査官へ任命する。全公文書の閲覧権と、六名の監査班を預ける」
マルタ、ニナ、ガレス、鍛冶師長、獣医局長、倉庫記録係が立ち上がった。
王宮では一人で証拠を抱え、追放された。
ここでは六人が、同じ記録を守るために並んでいる。
「お引き受けします」
答えると、最初に拍手したのはマルタだった。
その直後、北方五領の一つから早馬が到着した。
使者が運んだ立替金命令書の原本にも、〈財契調・四一七号〉とベルナールの決裁印がある。
書類の日付は夏至月十七日。最初の疑いが報告された三日後で、クローデンで病が正式確認される十日前だった。
獣医の警告が領主府へ届くより先に、どの領へ、いくらの借金を負わせるかが決められていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
王宮で一人だったフィオナに、ようやく一緒に証拠を守る仲間ができました。
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